令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
2010年5月の記事
○○看護師が母を殺したと思っています
2010年5月31日
1年前にちょっとだけ傍聴した事件なんですが、遺族の「私は今でも○○看護師が母を殺したと思っています」という証言が鮮烈で、気になっていた事件を閲覧してきました。
で、結末なんですが、和解でした。見舞金100万円で、病院側の反省文は無し。経過は後回しにして、その証言の最後をまず紹介。
秋吉裁判長
この件に関して、話しておきたいことがあればおっしゃって下さい。
—— いいですか。私の母は91まで生きて、引き上げてきて、乳飲み子の私を今まで育ててくれたんですね。正直者で嘘をつくことが大嫌いで、家に帰りたい、帰りたいって孫に言っていたくらいですので、さぞ無念だったと思います。私は今でも看護師のXさんが母を殺したと思っています。
なんだかなぁ、と思いつつ、原告の準備書面をパラパラ見ていると、また別の「なんだかなぁ」が。
訴状 平成19年12月30日
原告準備書面1 平成20年6月3日
「なお、本件義務違反の具体的内容と結果との因果関係については、文献収集とその内容による検討がなお不十分であるので、次回書面にて再整理を行いたいので、今一度、次回までの準備の時間をお借りしたい。」
最初に検討しろっつーの。つーか一体なにを検討して受任したのかと小一時間。
原告準備書面2 平成20年7月7日
「因果関係について
次回書面において主張する。」
もう2回目だっつーの。
結局同年9月2日提出の準備書面3で主張が出たものの、こんな調子だから箸にも棒にも引っかからない。弁護士を確認したら、二人とも医療問題弁護団なんでまた驚きですよ。勘弁してよホントに。
以下、訴状と、裁判所作成の争点整理案から抜粋した事実経過等です。
平成19年(ワ)第35365号
原告 B、C
原告代理人 宮城朗、宮川倫子
被告 Y
被告代理人 平沼髙明、平沼直人、加治一毅、柳澤聡、平沼大輔、小高健太郎、金子玄、渡辺周
亡A 明治45年○月○日生、平成16年1月8日死亡、当時91歳
昭和53年から慢性腎不全で通院
平成15年
5月31日 自宅で転倒して整形外科受診。
6月4日 慢性腎不全に対して、人工透析と腹膜透析の説明をした。
10月29日~11月22日 入院、シャント造設。(訴状と争点整理案とに日程の食い違いあり)
11月29日~ 嘔気、食欲低下で内科入院。
12月4日 8:45 病室でベッド上端に座位となっていたところ、病室内のポータブルトイレへ移動しようとして、転倒。靴下を履いていたため滑った様子だった。
平成16年
1月7日 3:35 トイレへ行きたいと看護師を呼び、病室外のトイレへ移動。担当看護師がAのそばを離れた際にAはトイレの個室内で転倒。左大腿骨頚部骨折。
1月14日 左大腿骨人工骨頭置換術(全身麻酔下)
1月16日 リハビリ開始
1月26日 朝レントゲンを施行したところ、左股関節が上方へ脱臼していた。
9:15 透視下で整復を試行するも困難。
全身麻酔下に非観血的に整復施行するも筋拘縮が強く困難。
16:03 全身麻酔下で観血的に脱臼を整復。
1月28日 透析中にシャント閉塞。
1月29日 16:25 全身麻酔下にシャント再作。
2月1日 2:00 Aは強い不穏状態に。レントゲンで人工骨頭脱臼再発を確認。
4:50 非観血的に整復施行するも不能。
9:20 全身麻酔下で非観血的に整復。
2月2日 10:40 透析中に意識障害、血圧低下。血中ガス酸素分圧も測定できず。
その後意識状態は徐々に改善するも、2月4日 0:20容態が急変、心停止し1:45分に死亡。
争点
1) 転倒、転落防止義務違反
原告らの主張 3:45~3:50までAを放置した。
被告の主張 他の患者からナースコールがあった。Aの足がトイレで地面に付くことを確認し、終了後にコールをするように指示、Aの了解を得てその場を離れた。予見は不可能だった。
2) 人工骨頭置換術後の脱臼および再脱臼防止の管理義務違反
3) 損害額
慰謝料 1650万円
遺族固有の損害 葬儀代各75万円、固有慰謝料100万円、弁護士費用100万円
原告一人あたり (1650万円÷2)+75万円+100万円+100万円=1100万円
モナリザもびっくり
2010年5月23日
平成20年1月に一審判決が出た、眼科の医療訴訟です。
http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=2842
なにが凄いかって、請求金額が5億円超…
遅延損害金を無視して、着手金を一般的な弁護士報酬表にしたがって普通に計算すると、
5億8628万5586円×2%+369万円=1541万5711円
標準的には着手金だけでこの額だということです。
訴訟自体は、これはもう普通に眼科医の意見をちょっと聞けばわかることですが、箸にも棒にも引っかからないような、提訴した瞬間に敗訴が確定しているような無理筋な訴訟と映りました。
どこの誰がどうやってこの裁判を仕掛けたのか。
一審判決の約3週間後、東京地裁で記録を閲覧しようとしたら、なんとこんな勝ち目のない裁判で控訴しているため、記録の整理中だとか。
そのため全部記録を閲覧することはできず、とりあえず判決文だけを閲覧することに。
そしたら、
被告には、いつもお世話になっている先生方の名が… (汗)
そして、原告側弁護士は…
伊藤芳朗 …
聞いたことがない名前なので早速ググる…
なんかいろいろと書いてあります。
彼の事務所の報酬規定(現在は削除されているようです)は、一般的な報酬規定+消費税になっているので、遅延損害金を無視して普通に計算すると、
5億8628万5586円×2.1%+387万4500円=1618万6497円
となるようです。すごいですね。
あ、でも wikipediaで以前に書いてあった、「金と名声がほしくて弁護士になった」という考えは、否定すべきものではないと思います。
骨髄減圧術・説明不足の合併症訴訟
2010年5月13日
平成21年2月4日に傍聴した事件です。東京地裁民事第35部、事件番号平成19年(ワ)第16046号。骨髄減圧術という、痛みをとるための特殊な治療に関する事件です。詳細はこちら。
原告Fは、A病院、平成18年8月29日初診。「痛くて歩けない」と。
同年9月19日および12月5日に、骨髄減圧術を施行された。9月19日の治療ではある程度効果があったがその後効果が消失。
12月5日の骨髄穿刺で非常に強い圧がかかり、出血。臀部血腫となって歩くこともできず、しばらく入院となった。その期間の収入減少などについての請求で、後から確認したところ請求額2700万円余り。同意書はなく、危険に関する説明は不十分だった模様。
病院側弁護士が尋問している最中に、原告側弁護士から「異議あり!」を連発されていた。その原告側弁護士は、例の弘中淳一郎弁護士とその娘である弘中絵里弁護士の揃い踏み。弘中絵里弁護士は父親譲りか、尋問中の目つきと発声が鋭く映った。内容にも判決にも興味深い一戦。久しぶりに歯ごたえのある訴訟を見たという印象。
以下は傍聴メモですが、かなり杜撰です。参考までに。
Bは術施行者、Cはその師匠で事件後に病院辞任しその後死亡、Dは同僚?、Eは別の病院で骨髄減圧術を手がけている証人。Fは原告本人です。
原告本人尋問
(質問書き取りなし)
—— 原告が知らないうちにやってしまった。話がないうちにやられた。9月19日は腰から下が痛くて病院に行った。減圧術の話は聞いていない。乙A3号証(カルテ)18ページ、「10月3日、前回減圧術で効果+」と書いてある。効いたか効いていないかを言ったか否か?
—— 記憶にない。12月5日にも骨髄減圧術をやった。これもはじめから神経根ブロックだけでは効かないので2回にわたって、10月27日と11月21日に打ち合わせをしたが。
—— 記憶にない。私はいつもの神経根ブロックだと思っていた。減圧術を医師に申し入れたことはあったか?
—— ない。11月7日に減圧術の申し入れをしたことは?
—— 減圧術自体を私が理解していないので、申し入れた憶えもない。「予 寛骨臼蓋減圧術」と(書いてある?)。打ち合わせをしたことは?
—— 記憶にない。減圧術後はどうだったのか?
—— 2~3日はよかった。日にちが経つにつれて元に戻ってしまう。退院した後のほうが(痛くて)50mくらいしか歩くことができなかった。脊柱管狭窄症を持っている。
8月29日、この日の検査では300歩だった。
—— 背中が痛くて。12月5日から12月26日の間に脊柱管狭窄症の治療は何回受けたか?
—— 1回しかやっていないんじゃないですか?もっとやっているんじゃないですか?
内出血の痛みが止まったのは?
—— 退院の2~3日前。内出血は脊柱管狭窄症の治療から来ている。平成18年10月3日、減圧術は効果があった、減圧術との意識はないにしても軽快したと言ったか?
—— 言った。(峰村注:さっきは「記憶にない」って言ったのに…裁判長
模型を用いての説明は?
—— 2~3分。良くわからなかった。————————
D医師尋問
平成18年、診察開始時は?
—— C医師→亡くなられた。薬の一覧表は渡されたか?
—— 全く見ていない。9月19日、減圧術。
—— 詳細は陳述書に。いつ、どこで、減圧術についての説明は?
—— 当日。5番椎体に穴あけをすれば痛みが楽になる、と。12月5日は、1人目の患者で時間がかかって大変だった。いらいらした。有効率、合併症発症率の説明はしていない。手順の話は?
—— していない。臀部血腫→硬膜外ブロックをしていたが。
—— はじめは非常によく効いていたが、だんだん効かなくなってきた。脊柱管狭窄症。第2腰椎神経根やってみてどうだった?
—— 仙骨ではなく第2腰椎疼痛と考え、著効した。平成19年2月1日、退院前に脚が悪かった。原因は?
—— 臀部血腫。平成19年2月13日に悪化していたが。
—— 驚いた。原告代理人。弘中絵里
腰下の痛み。大抵の方は5~6回受けている。C医師は12月に、「もう辞めます」と言って来なくなった。
骨髄減圧術はF氏の合併症以来止(と)められている。B医師は12月5日で終了。C医師は他院ではやっていた。
メリット、合併症のパンフレットは?
—— みんなに配るまでは渡していない。合併症については良くわからなかった。あまり書かれていないと思う。口頭のみだった。同意書は?
—— 同意書は取っていません。求めた治療は?
—— C医師は減圧術ばかりをやっていた。診察室の広さは?
—— 4~5畳くらいか。減圧術についてF氏は知っていたか?
—— 「穴あけ」という言葉は知っていた。C医師がしたのではない。被爆して手が黒くなっている。自分ではできない。
対症療法か?
—— 中間。効果は?
—— 2~3ヶ月。穴が塞がるまで。F氏はお尻の痛みを伝えなかった。
9月19日、脊柱管狭窄症の治療ではないが効いたので、第2腰椎に効いても寛骨には効くとは限らない。
仙骨ブロックをしても痛みがあったので減圧した。痛みを2つに分類。
ペインクリニックでは一般的。C医師の圧痛点診断法。
歴史は、若杉医師、40年。浅い。
治療法もどんどん変わる。
神経根性疼痛、骨膜性疼痛。
臀部に血腫ができた例は、F氏より前に1例あった。寛骨臼蓋に穴を開けた。開けた場所は…レントゲンを見ていません。
かんこつ臼蓋に穴を開けた、という論文はなかったか?
—— ありませんでした。訴訟には出していません。こんな大きな血腫ができるとは考えていませんでした。こんなに強い疼痛が起きるとは考えていませんでした。12×8×17cmの血腫が筋肉内に。12月 13日が一番大きかったです。
12月2日以降、ずっと出血し続けていたのか?
—— 可能性はあります。12月11日にご家族に説明。
出血がおきてから。
想像もつかない、理解できないことだった。初めての経験でした。私が刺して疼痛が非常に強くなり、私も舞い上がっていました。骨髄が、今回は噴いた感じでした。
説明時は「動脈を刺したと思う」と。
—— 何が起こっているのかわからなかった。少し血腫が。動脈の圧が体重をかけないと入らないとか、押さえていないとポンと戻ってくるとか、信じられない事態だった。骨髄圧がメチャメチャ高かった。血腫がびまん性に拡大された。
骨髄圧が非常に高かった症例は?
—— C医師の1500症例中2例でした。投薬一覧は?
—— 見ていません。見ていれば書いていました。———————–
E医師
骨髄減圧術の有効性は?
—— 治る症例をたくさん経験した。重篤な合併症は経験していない。減圧術はいつから?
—— アイデア自体は新しいものではない。それを復興したものだ。血腫は?
—— 経時的に小さくなる。特殊な例を除いて治癒する。本件は?
—— 血腫発生後も病院内で診ている。危険は少なく、生命の危険はなかった。
で、結末なんですが、250万円での和解でした。説明などについて、いろいろと考えさせられる事例でした。
魅惑の弁護過誤訴訟・結末編
2010年5月11日
昨日の続きです。
判決は予想通り,原告敗訴なですが,判決文は医療訴訟並みの50ページ!!
ほとんどイチャモンレベルの,そんなに難しい事件じゃないと思ったんですが,弁護過誤ということで丁寧に細かく書いたのかな…と。
この事件をざっと眺めて一番印象的だったことは,被告本人(弁護士)が書いた文書の以下のフレーズ。
(前略) これ以上被告乙1として,原告の請求に煩わされる時間が増えれば,事務所経営者として業務上取り返しの付かない損失を被る危険があり,(後略)
紛争処理を生業としているあなたが,紛争に巻き込まれたからといって「業務上取り返しの付かない損失を被る危険」とか,そんな言い草ありですかー?! と。
その気持ちは,訴えられてしまった医師の多くも同じだと思うのですが…
あと、これはうろ覚えで申し訳ないのですが、原告の主張が判然としない云々というようなことが裁判所の判断で書かれていたのを記憶しています。
判然としない主張なんかすんなよ~
あ、ちなみに地裁判決までしか追いかけていません。控訴が出ていたか否かは不明です、というか忘れました。すみません。
(了)
平成30年12月23日追記:判決文は判例データベース「ウエストロー」に収載されています。東京地裁平成19年(ワ)第10466号です。
魅惑の弁護過誤訴訟・閲覧編
2010年5月10日
昨日の続きです。事件の発端は交通事故です。
平成13年1月10日、原告と訴外Sとの交通事故がありました。原告が訴外Sの車の前に割り込みに近い形で車線変更した後,左折のために減速をしたところに,訴外Sの車がよけきれずに角の部分で衝突したというもの。
これを被告弁護士の事務所に相談したのですが,ひと悶着あって結局受任していません。被告である弁護士は受任していない上,念には念をで辞任通知も出しています。そして原告がその辞任通知を受け取った数ヵ月後に、損賠請求時効消滅に気づかずにその権利を失い,これは弁護過誤だと被告を訴えたものです。
この部分については,提訴前に被告らから原告代理人に対して送られた通知の内容を参照します。なお,甲がこの事件の原告となる人(つまり交通事故に遭った人)、被告となる乙1は事務所経営者,乙2はイソ弁(2年目)です。
平成19年3月5日(提訴前)
甲から依頼を受けた交通事故。なすべきことは全て行った上で辞任した。費用も頂いていない。弁護過誤の主張には理由がない。
甲の要望は,比較的軽微な事故であるにもかかわらず,加害者に対して何億もの損害賠償を要求してほしい,また甲側の過失割合をゼロと認定されるようにしてほしいとのもの。
当職らは,甲の希望する解決は見込みとして難しいとお伝えした上で,受任に備えて準備していたが,平成14年1月頃,乙2が,甲から「『前例に鑑みれば難しい』などという見込みを示すような無能な弁護士には頼まない」と,委任しない旨の連絡を受けた。
平成14年末,甲の自賠責請求の消滅時効が迫っていたことから,当職らは甲の紹介者が当事務所の関係者の父であったことから,自賠責時効中断の手続のみを最小限のサービスとして無報酬で行い,他の弁護士に依頼しうる状況にてはっきりと依頼を断った。
委任契約が成立していないことは明らかであり,甲の主張に理由がないことは明白。
ちなみに,今回の訴訟の訴状によれば,原告が主張する事故損害額は2639万1902円とのことです。しかし一方で,実際に自賠責で受け取った賠償金は 50万5520円です。
次に,証人・本人尋問に先立って,被告らから裁判所に送られた通知です。
ご連絡
被告乙1につきましては,本人尋問を立証方法としては行わないことにします。
そもそも,本件は,消滅時効の援用がない以上,当事者尋問は不要であり,これ以上被告乙1として,原告の請求に煩わされる時間が増えれば,事務所経営者として業務上取り返しの付かない損失を被る危険があり,このような援用のない損害賠償請求訴訟を提起した原告及び原告代理人に対して,法的措置を辞さない構えであり,被告乙1としては尋問に応じる意思がないことをお伝え申し上げます。
被告乙1につきましては,これまでの証拠,主張,被告乙2の法廷供述によりご判断いただくことで結構でございます。
なお,被告乙2としましても,このような訴訟に乙1を出頭させるわけには行かず,自分のみが出頭することを希望しておりますことを申し添えます。
事故に関して時効の援用が無かった模様です。消滅時効の援用という概念を初めて知りました。「時効なので払いません」と言われない限り,自動的に時効にはならない,ということのようですね。
それに,訴状を見ると,こんなくだりがありました。
甲は,被告から辞任の通知を受けとった後,自動車保険相談センターの立川相談センターにて,被告らから受領した書面を示しつつ,自賠責保険会社からの承認により,加害者に対する不法行為に基づく損害請求権についても時効中断の措置がとられているのかどうかを尋ねた。すると,相談担当の弁護士から,大丈夫である旨の回答を得た。そのため,原告は,直ちに,訴え提起等の時効中断の措置を取らなかった。
被告が辞任した後にも,原告自身がちゃんと確認もしているし,どうしてこんな事件で訴えようっていうんでしょうかね? しかも,それを受任した弁護士がいるという事実。
医療過誤訴訟における,原告協力医の存在とダブって見える気がします。
(もう少し続く)