抗癌剤内服拒否死亡事件

  事件番号 終局 司法過誤度 資料
一審東京地裁 平成29年(ワ)第9227号 判決令和元年8月9日 妥当  
二審東京高裁 令和元年(ネ)第3807号 判決令和2年1月21日 妥当  

* 判例時報2450・2451合併号(令和2年9月発売)に一審判決文と評釈が掲載されました。

 以前にたまたま証人尋問を傍聴した事件です。医師が指示した抗癌剤服用を拒否して死亡した患者さんについて,無理やり服薬させるべきだったというような主張を原告側がしていたことから,強い関心を持ちました。既に裁判が終わっていることを知り,裁判記録を閲覧したのでご報告します。

 まずはじめに,故人のご冥福をお祈りします。

 患者さんは,27歳のときにA病院で白血病(慢性骨髄性白血病)を見つけられ,特効薬であるグリベックで治療をしていましたが,副作用がきつい等の理由で勝手に服薬を中止したりしていたようです。平成25年,34歳のときに被告施設で診療を受けることになり,グリベック投与を継続する方針が取られました。被告施設での診療開始当初は白血球数が1万台(正常よりは多少多い値)でしたが,診療5ヶ月目に近いある日,29万台になりました。被告施設の医師が大学病院の専門医に相談したところ,薬をきちんと服用していない可能性もあるので,まずは薬をきちんと服用させるようにと指示されました。薬の管理を厳重にして服用させるようにしたところ,3日間はきちんと服用しましたが,その翌日に副作用が辛いとのことで服薬を拒否しはじめました。施設側は,服薬しないと死ぬが服薬すれば助かる可能性が高いとして粘り強く説得しましたが,患者さんの服薬拒否の意思は変わらず,患者さんが「投薬一時中止願い」を提出することでやむなく投薬を中止することになりました。投薬は中止されましたが,服薬中止から1週間後の検査では白血球数は1万台に低下し,3日間の服薬の効果が認められました。また血液検査上も,グリベックが効かないことを示す異常(付加的染色体異常)は認められませんでした。
 その後も被告施設では服薬再開の必要性について粘り強く説得し,本人も前向きに考え始めていたところ,先の服薬中止から約1ヶ月後のある日に白血球数が測定不能になるほど大幅に増加していたため,ついに服薬再開を決断しました。しかし時すでに遅く,その5日後に亡くなりました。測定不能となった日の白血球数は後に62万台であったことが判明しました。

 さて,一審では,原告側が主張する被告施設の過失は,副作用が辛くてグリベックを服用できなかったのだから,新薬であるニロチニブ又はダサチニブに変更すべきだったというものでした。これに対して裁判所は,グリベックが著効することは明らかであるし,副作用が辛いとはいうものの主な症状は関節痛で,グリベックの投薬継続が困難なほどとは認められないし,本人も説得に応じて服薬を再開する意思を見せるほどであったし,新薬がグリベックより効果があるか否かも不明で,逆に新たな副作用が出る可能性もあったのだから,新薬に切り替えること試みなかったことが過失であるとまではいえないと判断しました。また原告側は,被告施設は本人に対してグリベックを服用するようにもっと説得すべきだったとも主張したようですが*1,裁判所はこれに対しても,診療録に記載されていた詳細な説明記録などから,施設側の説明は不十分であったとはいえないと判断し,原告敗訴となりました。

 この稿の冒頭で述べた,原告側からの「無理やり服薬させるべきだった」との主張については,私がたまたま傍聴した東京地方裁判所で行われた一審の証人尋問の際に言及があったのですが,実際には一審では原告側はそのような主張をしておらず,原告側が控訴して東京高等裁判所で行われた控訴審で主張されていました。

 控訴審で原告側は,被告施設側で薬を管理してきちんと服用させなかったことは過失であったと正式に主張しはじめ,また適切な説得をしなかった過失を改めて主張しました。被告側は原告側の新たな主張に対しては,薬の管理は被告施設側でしていたが,薬を無理やり飲ませるような処置は取りようがないので過失ではない旨反論しました。そして裁判所も,患者の医師に反して服薬させる方法があったとは認められないとして,過失を認めませんでした。結局,控訴審でも原告側の主張は認められず敗訴し,最高裁判所への上告等はされずに,原告側の敗訴が確定しました。

 裁判記録を見ると,提訴の前に施設側と遺族側とで話合いなどが行われていたことがわかるのですが,その話合いに「患者の親戚」と称して同席していた人物が,実は親戚ではなく近所の住民だったなどということがあり,また,その近所の住民が「白血球が29万もあるのに薬を飲ませなかったのはありえない」との旨をひたすら話していたようでした。しかし患者本人がきちんと説明も聞いたにもかかわらず服薬を拒否している状況では,本人の意思に反して強制的に服薬させれば,患者は自分で治療を受けるか否かを決めることができるという患者の自己決定権を侵害することになり,それだけでも損害賠償を求められてもおかしくないですし,強制的に服薬させて副作用のために健康被害が発生すれば業務上過失致死傷の刑事罰を受ける可能性もあるのですから,いかにも無理な要求です。提訴前の話合いの際には強制的な投与のことが大きく取り上げられていたにもかかわらず,いざ裁判となってみると一審では原告側はそのような主張を正式には繰り出しませんでした。これは,事件を引き受けた原告側弁護士が流石に無理だと判断して引っ込めたからではないかなどと想像します。逆に控訴審で新たにその主張を追加したのは,原告側からの突き上げがあってそうせざるを得なかったのかな,などと勝手な想像が膨らみます。

 2019年に毎日新聞によって大々的に報道された公立福生病院の透析中止事件でも話題になったことですが,自身が受ける治療を自分で決める権利(自己決定権)が極めて重要であることが司法によって示されている現代では,たとえ受けなければ死んでしまうような治療であっても,本人が受け入れないという揺るぎない決心をした場合には,その意思に反してその治療を行うことは間違った行為であると判断されるのが普通だと思います。そもそも医療行為は基本的に患者にとって苦痛なものなのであって,行う医師は親心であり正しいことだと確信したのだとしても,それを患者の意に反して行うことは残酷なことであり,非人道的なことであるのだということを理解する必要があります。透析中止事件については,透析を中止することは安楽死を行うようなものだという見解を述べる人もいましたが,医療の力を用いて人を死に至らしめる安楽死と,患者が医療という他人の手による操作を受けることを自ら拒否した結果死に至ることとは,全く別物であることを理解すべきです。

 上記公立福生病院の事件も訴訟になっていますが,結末を見届けたいと思います。

*1 この点については,判決文に「原告の主張」としての記載はなく,判決理由の後半で突如言及されています。

令和2年9月11日記す。(同日中に事件発生年を追記)


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