円錐角膜移植手術後散瞳症訴訟

  事件番号 終局 司法過誤度 資料
一審東京地裁 平成15年(ワ)第22464号 判決平成19年4月13日 判決文
二審東京高裁 平成19年(ネ)第2798号 判決平成20年2月13日 妥当 判決文抜粋
上告 平成20年(ネオ)第118号 却下(上告理由不備) 妥当 追記
最高裁
第二小法廷
平成20年(受)第892号 上告受理申立不受理    

 医療裁判でトンデモ判決が出る原因の多くは、判断の元になる医療鑑定がおかしいのではないか、と言われていたのですが(参考)、この裁判の東京地裁判決を読みさらに裁判資料を見て、それだけでは済まされない、そもそも裁判所の判断がトンデモないものがあるようだと気づかされた事件です。

 裁判は、角膜移植術後に散瞳症(瞳孔が開きっぱなしになること)が発症したことをめぐる争いです。争点はたくさん挙げられていますが、東京地裁判決では、ミドリンPという散瞳薬を過剰投与した過失を認めて、原告勝訴としました。 なお、賠償額は1700万円余り。

 まず、この症例において角膜移植術後の散瞳症の原因として、判決では

1. 手術後に眼圧があがったことと、

2. ミドリンPという散瞳薬を日中1日6回の過剰投与を10日間継続したこと、

の二つがあげられるとしました。これらはいずれも、医学的に因果関係が証明されたものではありません。しかし判決では、裁判における因果関係の立証の手法(高度の蓋然性があると確信できれば良い)に かなうとして、散瞳症の原因になったと因果関係を認めました。

  なお、散瞳薬は、手術後の炎症によって引き起こされうる「虹彩後癒着」を予防するために点眼したものです。(虹彩後癒着=虹彩がその後ろの水晶体と癒着してしまうこと)

  ミドリンPの1日6回投与が散瞳症の原因であると判断した手法は概ね次のとおりです。

1. 作用持続時間が7~12日間であるアトロピンというを散瞳薬を使用すると、散瞳症を起こす可能性が示唆されている。(ただし、これに関しては医学的にも賛否両論であり、 賛否両論であることは判決文でも言及されている)

2. 作用持続時間が3~6時間であるミドリンPでも、日中1日6回も点眼して概ね8時~24時に持続的に作用させれば、アトロピンと同様に散瞳症を起こす可能性が予測できた。

  次に、ミドリンPを過剰投与が過失とした判断は次の通りです。

1. 本件のミドリンPの使用法は説明書に無い。すなわち目的外使用である。

2. しかし虹彩後癒着を予防する観点から点眼自体には合理性はある。

3. しかし虹彩後癒着を予防するには、普通は1日3回の点眼で十分である。

4. よって能書の使用法を超えて、必要以上の過剰投与をしたことは過失である。

 このような、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の論法に、大きな疑問を持ちました。すなわち、以下の通りです。

1. いくら裁判における因果関係の立証手法(厳密な立証でなくても、高度の蓋然性が認められれば良い)を取ると言っても、因果関係に医師の間で賛否両論がある*1*2ものにまで「高度の蓋然性」を確信できるのか?

2. 専門家の間で賛否両論である、アトロピンと散瞳症の因果関係を、さらにまた別の薬剤で持続時間も異なるミドリンPに援用して、それで「高度の蓋然性」を確信できるのか?(アトロピンは7~12日間効きっぱなし、ミドリンPを1日6回なら、夜間には効果が切れているし夜間は生理的に縮瞳が強くなる。したがって両者で状況は全然違う)
ちなみにアトロピンの添付文書には、不可逆的散瞳のことは書いてありません。

3. 別の鑑定人は、「1時間おきに投与する場合がある」(E鑑定人)、「1日6回の使用も考えられる」(G鑑定人)と意見している。それを判決文で(恐らく裁判官の判断で)『それは炎症が非常に強くて虹彩後癒着が生ずる危険が強い場合に許される』と一蹴しているが、このような判断を裁判官が下すことは妥当なのか?
ちなみに「普通は1日3回の点眼で十分」との鑑定意見があったことは判決文でわかりますが、「6回投与は過失」等の意見は見られません。

*1 中村晋作,他: 円錐角膜に対する角膜移植術後にみられた不可逆性散瞳について, 眼科臨床医報, 80: 922-925,1986 など
*2 Geyer et al: Atropine in Keratoplasty for Keratoconus. Cornea 10: 372-373, 1991 など

 この裁判は病院側が控訴して、東京高裁で審理が続きました。その間に私は東京高裁で資料閲覧をして来たのですが、3人の鑑定医が意見を述べたカンファレンス鑑定の議事録を見ても、どこにも病院側を責めるような記載もなく、また下っ端眼科医である私の拙い感想ですが、なんら落ち度らしいものは感じられませんでした。

 そして平成20年2月13日に、東京高裁判決が出ました。綺麗に原告逆転敗訴です。控訴審判決をメモしてきましたが「証拠がない」の連発です。確かに裁判資料のどこをどう探しても、過失についても因果関係についても、それを認定できるような証拠が本当にありませんでした。証拠がないのに東京地裁は過失も因果関係も認定してしま っていたということであり、まったくもって東京地裁の判断は不当なものだったと感じました。証拠もないのに医療側に責任を被せる、そんな判決が出るようでは、医療なんかやっていられないということになるのは当然です。

 ちなみに原告側弁護士には、かの有名な弘中淳一郎氏が付いていました。なんでこんな負け筋事件を請け負ったのでしょうかね?


追記

 最近になってこの裁判記録を再度確認したところ,原告は上告および上告受理申立てをしていました。どちらもいわゆる三行決定(wikipedia参照)が出ているのだろうと思いきや,そうではありませんでした。上告が東京高裁で却下されていたのです。上告却下などというのは初めて目にしました。 法律家以外の方には難しい話ですが,民事訴訟の上告には「憲法違反」や,手続き上の瑕疵などの重大な理由付けが必要になっています。しかしながらこの事件の上告理由書には,「最高裁判例違反」の主張が2つ書かれているだけでした。これでは先に述べた民事訴訟の上告理由にはなりません。そのため,上告を受付けた東京高裁はこの上告を却下し,最高裁には送りませんでした。

  また,上告理由には重大な理由付けを要求して上告を厳しく制限しているため,そこまではいかなくても上告を受け付けてもらうようお願いをする「上告受理申立て」という制度があり,冒頭に述べたようにこの事件では上告受理申立ても併せて行われているのですが,上告受理申立て理由書では,「最高裁判例違反」の主張はなされていませんでした。「最高裁判例違反」は, 上告理由にはならないものの上告受理申立ての理由になるはずなのですが,それがなされていませんでした。こうしてこの原告は,「最高裁判例違反」を理由とする不服の主張を,最高裁で審理してもらう機会を失いました。

 原告側は,どうにも無理筋としか思えない事案で医師の責任追及をしようと提訴したわけですが,その厳しい責任追及をする側の弁護士が,このような杜撰な弁護活動をしたという事実に,新鮮な驚きを覚えました。

 刑事訴訟では「最高裁判例違反」が上告理由として認められるので,それと混同したのではないかと推察しますが,それにしてもお粗末です。明白な弁護過誤ではないかと思うのですが,如何でしょうか。

 平成20年(ネオ)第118号(原審・当裁判所平成19年(ネ)第2798号損害賠償請求控訴事件)

決定

上告人 甲野花子
訴訟代理人弁護士 弘中惇一郎
同 加城千波
被上告人 学校法人乙田学園
代表者理事長 丙川太郎

主文

1 本件上告を却下する
2 上告費用は,上告人の負担とする。

理由

 本件上告状兼上告受理申立書及び上告人が平成20年4月17日に提出した上告理由書には,民事訴訟法312条1項,2項に規定する上告理由の記載がない。
 したがって,本件上告は,民事訴訟法316条1項2号により,却下を免れない。
よって,主文のとおり決定する。

平成20年4月25日
東京高等裁判所第12民事部
裁判長裁判官 柳田幸三
裁判官 大工強
裁判官 村上正敏

平成20年5月4日記す。平成21年9月25日,追記。平成21年10月4日,誤字修正。平成21年10月10日,文献例の提示,上告受理申立てについての説明を追記に挿入。


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