「業務上過失人権侵害罪」の立法を

 私が医療訴訟に強い関心を寄せるようになったきっかけは大野病院事件でしたが,その後刑事事件に対する関心よりも,はるかに件数が多く事例研究の機会を得やすく,より世間の感覚が反映されやすいと思われる民事事件に対する関心が強くなりました。とはいえニュースなどで「医師が書類送検」などの声を聞けば,「どうにかならないのか」の思いが巡ります。

 多くの法律家の方々は,医療事故が業務上過失致死傷罪の下で刑事事件化すること自体は止むを得ないことである,と考えているのではないかと思いますが,果たしてそれでいいのでしょうか。医療行為を刑事事件化することに対して医療関係者から巻き起こる,終わることのないヒステリックな反発を受けて,そのような反応がなぜ起こるのかということについて,基本的人権を擁護し社会正義を実現することを使命とする法律家の方々は,少し考えを巡らせてみてもいいのではないでしょうか。

 医療関係者が業務上過失致死傷罪という刑事罰の存在下で医療業務を行うのは,例えて言えば,弁護士が「業務上過失人権侵害罪」の存在下で業務を行うようなものではないかと考えます。医療行為は本質的に患者の健康に介入する業務であり,弁護士の行為は本質的に依頼人の人権に介入する業務と言えます。もちろん他の業種の人々であっても,業務上過失致死傷をなすこともありますし,「業務上過失人権侵害」をなすこともありますが,医療関係者にとっての前者及び法律家にとっての後者は,それぞれ直接介入する業務であるだけに,他の業種の方に比べればそれらを犯す危険性は比べ物にならないほど大きいものであると言えるでしょう。

 例えば,既に当サイトで報告した弁護過誤事件などは,医療に例えれば「治療原則を間違えた過失があり患者死亡」に該当するくらいの明らかかつ重大な過失と考えられ,現行法の下では,業務上過失致死傷で有罪となるべき事件であると考えます。

 裁判所の記録閲覧室でいろいろな裁判記録を眺めていると,請求金額を間違えてしまい後から上申書で訂正しただとか,年5分の遅延損害金の請求を忘れてしまい後から上申書で訂正しただとかの「未遂」事件はしばしば見ますし,弁護士の懲戒事例をみると,上訴期日を忘れて上訴ができなかった例なども結構あるようです。法律家の方々は,そういう凡ミスが刑事罰の対象になるという状況で働くということが,どういう心理状況になるかということを想像してみてると良いと思います。それがまさしく,医療関係者が業務上過失致死傷罪の存在下で働いている状況と言ってよいと思います。

 さらに言えば,裁判における請求金額の間違いなどは後から訂正もできるでしょうが,医療における薬剤の用量間違いなどでは,直ちに傷害が発生してしまい後からの訂正が効かない場合も少なくないと思います。そうすると医療関係者の業務は犯罪と紙一重の行為の連続であるということになります。医療関係者にとって業務上過失致死傷罪の存在は,それだけ重いわけです。

 ここでふと疑問に思うことは,業務上過失致死傷罪の存在下で医療行為を行わせること自体が,もしかしたら人権侵害なのではないかということです。業務そのものが常に犯罪行為になりうるような状況下で労働を強いることは,果たして人道的に正しいことなのでしょうか。逆に「業務上過失人権侵害罪」の存在下で弁護士業務を行わせることは如何でしょうか。私見では,そのような状況は通常の社会人の労働環境としては苛烈に過ぎて,人道的には到底許容できるものではないと思うのですが。

 それでももし法律家の方々が,業務上過失致死の存在下で医療関係者に医療行為を行わせることに疑問を感じないのであれば,人権が非常に重要視される現代においては「業務上過失人権侵害罪」も立法されてしかるべきであると考えます。法律家による人権侵害を抑止する効果はさぞかし大きいものであろうと愚考します。

 「「業務上過失人権侵害罪」の立法を」というこの稿のタイトルは,かつてのベストセラーである「東京に原発を」からヒントを得たものです。最初からお読みになればお分かりかと思いますが,私が本当にそのような立法が望ましいと考えているわけがなく,「論外」な例として掲げたまでです。同様に業務上過失致死傷罪などというものは,今の時代にそぐわない野蛮な刑罰なのであって,少なくとも医療の安全向上には何ら寄与していないどころか,長い目で見れば逆効果ですらあろうと考えます。

平成21年11月12日記す。同日中に第2段落に追記。


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