異食症高齢者誤嚥死亡訴訟

  事件番号 終局 司法過誤度 資料
一審さいたま地裁 平成18年(ワ)第2714号 判決平成23年2月4日
(確定)
判決文

 判決当日に、以下のように報道された事件です。

認知症女性窒息死、社会福祉法人に支払い命令
 認知症の女性(当時78歳)がちぎった紙おむつを口に入れて窒息死したのは、入所していた特別養護老人ホームの管理ミスが原因として、女性の遺族3人がホームを運営する社会福祉法人「恒寿会」(埼玉県久喜市)を相手取り、2463万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が4日、さいたま地裁であった。
 加藤正男裁判長は「介護服の使用方法が不適切だった」として原告側の訴えを一部認め、1770万円を支払うよう命じた。
 判決によると、女性は2004年に入所後、おむつなどを口に入れる行為を繰り返し、05年6月、紙おむつを口に入れて死亡した。女性は当時、特殊なファスナーが付いたつなぎタイプの介護服を着ていた。被告側は、事態を予見できなかったと主張したが、加藤裁判長は「おむつを口に入れる行為を繰り返しており、予見できた。介護服を点検し、おむつを取り出せないようにする注意義務を怠った」と指摘した。
(2011年2月4日読売新聞)

 この事件の判決文が、1年遅れて裁判所サイトに掲載されました。それを一読して違和感を感じました。というのは、亡くなった方(以下、Aさん)は自分の紙おむつをちぎって食べてしまうという、認知症を伴う大変な異食症の持ち主であり、放置しておけば早晩死に至ることが明らかでありながら、それを防げなかったことに対して1700万円余りもの高額の賠償金を認められていたからです。以上の事実だけを見ても、公平性も正義もへったくれもないものだと、素人的には思います。判決では、異食を防ぐための防護服をきちんと着せていなかったものと推認しており、その推認がどの程度適切かは判決文だけからは判然とせず、一度は記録を見てみたいと思い、閲覧メモ禁止で有名な、さいたま地裁に出かけてきました。

 遺族が裁判を起こした当初の請求額は1000万円(及び遅延損害金)でした。これは、死亡慰謝料2000万円のうち1000万円を請求するという趣旨でした。当初の原告代理人は舩越廣弁護士でしたが、やむを得ない理由のために途中で辞任されました。その後、森の風法律事務所の朝倉淳也弁護士、工藤一彦弁護士、島貫賢男弁護士、花澤俊之弁護士に交代しましたが、そこで訴額が2463万円余りに増額されました。

 双方の主張書面(準備書面といいます)ですが、原告側からは、被告側に言わせると「ほとんど言いがかり的」な準備書面が15回ほど提出されており、被告側からは3ページ程度の準備書面が5回提出されていました。被告側の最終準備書面によれば、この事件の主な争点は紙オムツの使用適否と、巡回の義務(だったと思う)であるとの認識を示しており、介護服を適正に着用させていたか否かについては、被告側は主な争点とは考えていなかったようです。

 介護服が開いていたことについては、裁判が始まって間もなくに、被告側から「職員がきちんと着用させ、ファスナーが閉じていることを確認したが、Aさんが強い力でファスナーを開いた」との旨が主張されています。この点につき製造業者に対して、強い力でファスナーをこじ開けることが可能か否かを回答するように調査嘱託が出されました。最初の回答では「手で開けることもありうる」との旨を述べながら、その後の書面尋問では「布部分を破くことがある。ファスナーをこじ開けることは無理」と回答を変更しました。そして裁判所は、ファスナー自体をこじ開けることは考えらないものとして、結局きちんと着用させていなかったものと推認したわけです。しかしこの製造業者の書面尋問の回答については、普通の人なら疑問を差し挟む余地があると考えると思います。日常生活においてファスナーが壊れることは、珍しいことではあってもあり得ないことではないですし、また今の日本では、業者としては下手な答えをしようものなら、製造者責任法に問われかねないことを考えると、2回目の回答が変わったことについては、慎重な判断が必要だと思われるからです。

 ちなみに原告側は途中の準備書面で、拘束のない介護を目指す立場の人々の主張を取り入れて、「そもそも介護服を着用させる必要があったのか」などトンチンカンな主張も交えたりしており、被告側が言うとおり、確かに言いがかり的な主張が目立っていたように思います。

 そもそも職員が介護服を適正に着用させたか否かについては、着用をさせた職員は陳述書で適正に着用させた旨を述べましたが、その職員はやむを得ない理由で証人尋問を受けられなかったため、十分に検討されたとは考えられませんでした。この事情の下で、その職員の陳述書による陳述を、裁判所が「反対尋問を経ていないことから信用できない」としたことには、違和感を覚えます。原告による他の主張はおしなべて排斥されており、特に、原告が主張した介護記録の改ざんについては、記録から改ざんは認められないと裁判所も一蹴しているくらいですから、なぜ適正着用の部分に限って、さほど的確とは考えられない証拠をもって、適正ではなかったとの推認をしたのか、大変不思議に思います。

 裁判が起こされる前の話ですが、死亡事故が起きた後に、被告側は保険会社社員と示談交渉に臨み、200万円を提示していました。保険会社の人が「そのくらいの価値」という趣旨の発言をしたとして、原告側が強く非難していますが、繰り返しになりますが、認知症を伴う異食症で放置すれば早晩亡くなることが確実であるのに、それを防ぎ切れずに亡くなったという事情からは、200万円でも小さい額ではないように思うのですが如何でしょうか。しかも原告は、自分で面倒を見切れなくなったから施設に預けたというのです。記録によればこの死亡事故に至る前にも、10回以上の異食事故を起こしており、そのうち数回は生命に係わる重大事故だったそうです。そうすると、もし今回の死亡事故が防げていたとしても、異食事故を繰り返すことは必然であり、そうするうちに異食症を契機として死亡する可能性は十分あると考えられるでしょう。

 ところで裁判では、被害者にも、被害に寄与する相応の事情がある場合には、被告がそれを主張していなくても、裁判官の職権で過失相殺の類推適用をすることができるそうです。あくまで裁判官の自由心証によるものであって、それをしなかったからと言って裁判官が咎められるような性質のものではないのだとは思いますが、この裁判では死亡慰謝料が一般的な死亡慰謝料から若干減額されたとはいえ、過失相殺なく満額認められたということは、元気でピンピンしている高齢者が、加害者過失が100%の死亡事故にあった場合と同程度の賠償ということになるわけです。異食症で放置すれば死亡することが確実な高齢者を預かり、それを防げなかったからといって交通事故と同じ賠償を認められるというのでは、難易度の高い課題に対して厳しい罰ゲームを科されるようなものであり、いかにも公正さを欠くように思うのは私だけでしょうか。

 被告としては、控訴して過失相殺の類推適用を主張する道もあったのではないかと思いますが、そうはしませんでした。素人眼には、裁判官にも、原告代理人にも、被告代理人にも残念さが残る事件でした。

 なお、この事件の有責判決に対して、身体拘束のない介護を目指す方々からは頓珍漢な批判があるようですが、同床異夢に過ぎないので割愛したいと思います。

平成24年2月12日記す。

同系統の訴訟: 老人ホーム誤嚥常習者心肺停止訴訟


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