クルーズ船脳出血発症緊急搬送訴訟

  事件番号 終局 司法過誤度 資料
東京地裁 平成26年(ワ)第33917号 和解平成29年12月26日 和解  

 

 クルーズ船での世界一周旅行中,南米付近を航行中に脳出血を発症し,2年後に亡くなられた方について,遺族が約19000万円を求めて提訴した訴訟です。

 まずは亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

 亡くなられた方はクルーズ船に乗船当時73歳でした。10年前に脳出血を発症した既往があり,そのときは点滴治療で軽快し,歩行障害が残りましたが,その後もクルーズ旅行にたびたび参加されていたとのことでした。

 脳出血発症は南米地域を航行中のある日の午後4時過ぎのことでした。客室から援助のコールがあり,船医が往診しました。心電図,酸素飽和度のモニターが装着され,意識レベル,血圧その他救急でなすべき診察がなされました。ほどなく酸素吸入が開始され,脳出血に続いて起こる脳浮腫(脳のむくみ)を減らすための点滴もされました。診療録と看護記録の記載も時系列で詳細に記録されており,対応に問題があったとは考えられませんでした。

 残念ながら船の上ではさらなる治療をすることはできないため,担当した船医は副船長に対して,「乗客が脳出血を発症した可能性が高く,できるだけ早く陸上の病院へ搬送する必要があるので,すぐに緊急搬送に向けた準備をするように」との旨を依頼しました。船ではヘリコプター搬送を検討したようですが,午後510分に日没が迫り,しかもデッキディナーパーティーが悪天候で変更されるような状況でもあり,難しかったようです。ちょうど翌日午前9時にブラジルの港に寄港予定だったので,速度を速めて早着することとなりました。もっとも港のほうが早着に対応できず,結局予定通り午前9時に接岸し,救急病院に搬送されました。午前1020分にCT撮影され,脳室ドレナージが行われました。しかし結果は芳しいものではありませんでした。当然ながら診療は現地の医療陣が担当しており,船医が関与できるものではありませんでした。

 裁判は遺族である原告が,船医とクルーズ催行会社,そして旅行代理店を相手取って行われました。救急診療が不十分であったこと,救急搬送が遅かったこと,搬送先の選定が不適切であったことなどが争われました。しかし日本を遠く離れた船上で,外国の病院に搬送せざるを得ないような状況で,船医や船にできることに限界があるのは当然であり,恐らく裁判所も過失は認められないとの心証を持ったものと思われます。裁判は当事者本人と証人に対する尋問をしてから約3ヶ月後に, 300万円の「見舞金」をクルーズ催行会社が支払うという和解で終わりました。「見舞金」という書き方は,被告側に過失がないと考えられるときに使われることが多い用語です。金額がやや高い印象ですが,世界一周クルーズの参加費用が二人で1400万円以上,しかもそれ以前にもこのクルーズ船に8回,延べ330日以上乗船していたということも考慮されたのかも知れません。

 ところで,おそらく多くの方は,「遠く離れた海外クルーズ参加中の突然の脳出血では,船医やクルーズ船会社に文句を言っても仕方がない」と考えるのではないかと思いますが,本件はそれでも裁判になりました。原告は証言で,もともとA弁護士に相談してはいたものの,知り合いの人々からは「裁判は大変で難しい,勝ち目がないし得られるものは少ない」等の意見を聞かされていて,相手方に謝ってもらえれば裁判を起こす気はなかったとの旨を述べました。そうしたところ,ある日B弁護士と話をする機会があり,これは裁判をするべきだとの意見を聞かされ,提訴に踏み切ったそうです。ところが,なんとそのB弁護士は提訴から約7ヶ月後に辞任をしてしまいました。その結果,その後はA弁護士をはじめとする4人の弁護士が裁判を引き継ぐことになりました。こんな勝ち目のない訴訟をけしかけておいて,途中で投げ出すような弁護活動には弁護過誤はないのでしょうか。本件の和解でクルーズ催行会社が支払うことになった300万円は,本当ならB弁護士が支払うほうが妥当ではないかと思いました。

 なお,医療訴訟の中には,患者側弁護士の見立てが杜撰なために不毛な提訴がされていると思われる例が多々あるのですが,そういう事案であってもお金を積んでの和解となると,その支払いは医療者側が行うことになります。見立てが杜撰だったからといって弁護士が和解金を負担する例を聞いたことはありませんし,むしろ着手金と和解に際しての報酬を得るのです。そういう恵まれた状況に置かれている弁護士が,医師に対して「難しいのは分かっていて引き受けたのだから,ミスがあったら損害を全部償うのが当然だ」(参考)と言って憚らないことには強い嫌悪感を覚えます。しかも弁護士は,相談された事案が難しいと思えば受任しない自由があるのに対して,医療者は診療が難しいと思っても基本的に拒否権がないのです。「自分に甘く他人に厳しい」性向は,裁判官に対して感じることが多いことですが,一部の弁護士にも通じるのかも知れません。

 

(以下はやや法的な話になります。)

 B弁護士が受任しての提訴は本当にひどいものでした。冒頭で書きましたが請求額は約19000万円という大金で,その計算にも疑問がありますが,ともあれ1人の死亡に対してこれだけ高額の賠償を求める場合,「医師の過失によって死亡した,つまり医師の過失と死亡との間に因果関係がある」と主張して提訴するのが普通です。ところがこの訴訟の提訴では,そのような因果関係の主張がされていないのです。提訴にあたっての主張は,医療行為が適切であったならば後遺症が残らなかった相当程度の可能性があるという主張と,医療行為が著しく不適切である場合には患者が適切な医療行為を受ける期待権を侵害したことの責任を負うという主張でした。こんな主張で19000万円を請求することは非常識であり,提訴にあたって593000円という高額の訴訟費用が必要でしたが,その大部分はB弁護士が原告に負わせた損害ということになると思います。着手金をいくら取ったのか知る由もありませんが,こんな提訴をしておいて7ヶ月で辞任するとは,無責任にもほどがあると思います。クルーズ会社の担当者は,「A弁護士からの質問に回答したあと2年間連絡がなく,納得されたものだと思っていたら,担当がB弁護士に変わって提訴されて驚き,のちにB弁護士が辞任してA弁護士が再度担当するようになり,さらに驚いた」との旨を述べました。当然だと思います。

 A弁護士が再度担当することになった経緯は分かりませんが,やむを得ないところだと感じます。やむを得ないことだと思うのであまり細かい指摘をしたいとは思わないのですが,尋問中に気になった点がありました。船医に対して質問する場面で,「なんとかして○○さんを救ってあげようという気はなかったということですか」と尋ねたところ,船医の代理人から,民事訴訟規則115条に反するとの異議がありました。民事訴訟規則115条は,「証人を侮辱し、又は困惑させる質問」などについて禁じているようです。この程度はB弁護士の所業に比べるとささいなことかもしれませんが,自分も証言台で侮辱的な質問をされる場合があるかも知れないので,覚えておこうと思いました。

令和2年3月8日記す。


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