令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
落合洋司弁護士の最高裁判所の役割に対する無理解
2017年9月25日
元検察官の落合洋司弁護士が衆議院選挙に出馬するというので、以前から気になっていたこの方の司法に対する無理解、無思慮な発言について記しておこうと思います。
2001年に管制官が便名を言い間違えたことをきっかけとしてニアミスが起き、けが人が多数発生した日本航空機のニアミス事件がありました。言い間違いをした管制官とその指導をしていた管制官が業務上過失致傷罪で起訴され、一審では無罪とされたものの高等裁判所で逆転有罪となり執行猶予付きの禁錮刑を言い渡されました。最高裁判所でもその判決が覆されなかったため有罪が確定し、禁錮以上の刑が確定した者は失職するという公務員の規定により職を失いました。最高裁判所では有罪は覆されませんでしたが、最高裁判所でこの事件を担当した5人の裁判官のうち櫻井龍子裁判官だけは、この事件は無罪とするべきだとして全体の意見と異なる反対意見を述べました。落合洋司弁護士は、その反対意見について「間違い」と述べました。
弁護士落合洋司(東京弁護士会)の日々是好日2010年10月31日分
ここでニアミスの状況の骨子を簡単に解説しておきます。
日航機の958便と907便がこのように飛んでいました。
そこで管制官は、958便に下降するよう指示して、安全を確保しようと考えました。そのようにすることで、2000フィート(約600メートル)の間隔を得ることができるはずでした。
しかし管制官が958便に下降の指示を出すべきところを、間違えて907便に下降の出してしまいました。907便はこれに従って下降をはじめました。もっとも、このままであっても結果的には1000フィート(約300メートル)の間隔を得ることができて、結果的には危険が迫る事態にはならないはずでした。
しかしここで、航空機衝突防止装置(TCAS)が作動し、958便に下降の指示を、907便に上昇の指示を自動的に出しました。このとき907便は管制官の下降指示と、TCASの上昇指示を受けたことになったわけですが、この事件当時は、管制官とTCASから相反する指示が出た場合、どちらの指示を優先すべきかについての取り決めがなく、907便は管制官の指示が絶対であると考えて下降し続けました。一方、958便はTCASの指示に従って下降をし続けました。なおこの事件当時、TCASから飛行機に対していつどのような指示が出たかについては、管制官に自動的に知らされるしくみにはなっていませんでした。
双方がお互いに近づく異常事態が発生したわけですが、最後の最後に958便は上昇に転じる決断をし、907便がさらに急降下を決断したことによって、最悪の事態である衝突は避けられました。しかし急降下をした907便に多数の負傷者が出てしまいました。
地方裁判所の判決と最高裁判所の櫻井龍子裁判官は、このニアミスは航空機衝突防止装置(TCAS)の指示が介在したがためのニアミスであり、管制官は便名を言い間違えたとはいえ、TCASの自動作動がなければニアミスになることはなかった指示であったのだから、言い間違い自体は業務上過失致死自体を基礎づける過失には当たらないというものでした。しかし日本の刑事司法の世界では、このような考えは特異な考え方であるようで、最高裁判所の他の4人の裁判官には賛同されず、有罪は覆されなかったわけです。私はこの事件と判決、最高裁判所の決定には難しい問題が含まれていると感じ、その問題の中心が最高裁判所の宮川光治裁判官の意見に如実にあらわれていると感じたため、以前に以下のような記事を書きました。
しかしながら上記記事にも書いたのですが、個人的にはこの事件には日本の刑事司法の重大な問題が含まれていると考えるものの、それが日本の刑事司法の一般的な考え方であったのであるならば、この事件で有罪判決が出されることはやむを得ないことであり、多くの法律家の支持を得る現実は受け入れるしかないことだと思っています。
しかしそうではあっても、その一般的だと思われる意見と異なる櫻井龍子裁判官の反対意見について、落合洋司弁護士が「間違い」と評価したことは問題だと思います。
この事件のような、過失によって人が死傷した事件について刑罰を与える根拠である業務上過失致死傷罪は、どのような過失を処罰の対象とするかについては法律には示されていません。刑法211条には「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。」と規定されているだけで、どのような過失を処罰の対象とするかについては述べられていないのです。そうすると、どのような過失を処罰の対象とすべきかについては、裁判所、特に最高裁判所が判例をもって判断を示して規定してゆくのが筋であるということになります。そしてその判断は、そのときそのときにおける最高裁判所の裁判官の考え方次第で変更される可能性があり、またそれができる仕組みになっています。ですから最高裁判所の裁判官がそれについて表明した意見というのは、その内容がよほど荒唐無稽であるなどの特別な事情がない限り、「正しい」とか「間違い」といった評価をくだされる筋合いのものではないということになります。落合弁護士の言うところの「間違い」も、それがもし最高裁判所の裁判官の多数派の考え方になれば、それが「正しい」意見になるわけです。今ここで多数派の考え方のことを『「正しい」意見』と書きましたが、そのときそのときの最高裁判所の裁判官が示した判断が結果的に規範となったものであるに過ぎないのであって、本質的には、正しい・正しくないなどと評価されるべきものではないと言えます。
落合弁護士は櫻井裁判官の意見について「刑事法の過失や因果関係の考え方としては、かなり特異(別の表現で言えば間違い)」と述べました。この事件の最高裁判所の決定がなされた時点では、櫻井裁判官の反対意見は特異な意見であったことは事実のようですが、わざわざ「別の表現で言えば間違い」とまで述べたところを見るに、落合弁護士は、最高裁判所が判断を示し、またときとしてその判断を変えることがあるという最高裁判所の基本的役割について理解ができていなかった、あるいは思いを致すことができなかったようです。
落合弁護士はその後段で、櫻井裁判官の反対意見のような考え方を法学部の試験等で書くと合格点は取れないので、そういう意味で参考になると述べています。その点に異論を挟むつもりは毛頭ありませんし、私にはその能力もありません。しかしさらにそれに続けて「こういった刑事法の素養に欠ける裁判官が、最高裁裁判官として数多くの刑事事件に関与しているというのはいかがなものか」とまで述べている事実は、落合弁護士が最高裁判所の何たるかを理解し損なっていることを再度自白したものと考えられ、法律家としていかがなものかと思います。落合弁護士のこのような考え方を参考にして最高裁の役割に関する法学部等の試験に臨んだら、合格点は取れないのではないかと想像しますが、如何でしょうか。
個人的には、ご自身の専門分野である司法のしくみの、それも極めて根本かつ重要な事項について無理解ないしは十分に思いを致せない一方で、言い間違いというなんの悪気もない過失を犯罪として処罰することについて一点の疑義も抱かないような人には、立法府には出てきてもらいたくないと思っています。