医師法21条と、医療事故調に関する覚え書き

2012年8月8日

法学セミナーという雑誌に連載されている、米村滋人東北大准教授の「医事法講義」が面白い。

その連載第5回の中で、医師法21条・異状死体届出義務について解説があった。

もともと医療事故への適用を想定されていなかった医師法21条が、時代の流れから医療事故にも適用されるところとなり、広尾病院事件では、その届出義務を医療事故の担当医に科すことと、憲法で保障されている黙秘権との関連が問題になったという。

最高裁は、「医師が一定の不利益を負う可能性があっても、それは医師免許に付随する合理的根拠のある負担である」として合憲と判断したが、これに対して学者からの批判が極めて強く、違憲だという説が有力であるという。ちなみに、最高裁が医師法21条の義務を医療事故の担当医に科すことは違憲であると判断していたならば、その判断に異論を挟む必要性は乏しいと思われ、学者からの批判はほとんどなかっただろうと想像する。

医師法21条に関して、警察への届出・報告ガイドラインがいくつかあるという。その中でも特に日本外科学会ガイドラインは、黙秘権を否定するのみならず死亡事例以外にも報告をすべしとしており、およそ医師法21条を念頭において作成されたものとは考えられず、極めて不適切であるようだ。

これに対して、臨床医からの評判が極めて悪い日本法医学会の異状死ガイドラインについては、米村滋人准教授は基本的に適切と考えているようである。このガイドラインの特徴は、検案と異状の解釈を広く取っているところにあるようである。しかし、広尾病院事件の高裁判決では、検案は死体の外表を検査することを言い、異状はその外表に異常が表れることと判断しており、そうするとこの日本法医学会のガイドラインも、日本外科学会のガイドラインほどではないにしても、独自の見解に基いて医師法21条の適用範囲を広げようとしたものであって、適切とは言いがたいと判断されても止むを得まい。法律の素人である日本外科学会が的外れなガイドラインを作成することも問題ではあるが、「法」の字を冠する日本法医学会が、裁判所にも受け入れられていないような独自解釈のガイドラインを公表することは、見方によってはより大きな問題であろう。

余談だが、日本法医学会の異状死ガイドラインに対して臨床医が不愉快になる最大の理由は、医療現場の臨床医と協議した形跡がないことにあろう。日本法医学学会「異状死ガイドライン」についての見解には、「日本法医学会「異状死ガイドライン」は、決して医師の萎縮医療を招いたり、医師と患者の信頼関係を破壊するような結果にはならないものであり」と述べられているが、正直なところその自信はどこから湧いてきているのかと不思議になる。臨床医に対して大きな影響を与えるこのようなガイドラインを作成するにあたって、医療現場の臨床医との協議を欠いたないしは不十分なままにそれを作成し、日本法医学会が発表することは、およそ「法」の字を冠する学会の行為としては適切とは言い難い。しかもその内容が裁判所に受け入れられていないとなれば、なおさらのことである。

話を元に戻す。医師法21条を巡ってこれほどに紛糾する根源は、業務上過失致死傷罪にあるように感じる。業務上過失致死傷罪を通常の医療行為に適用するようなことさえなければ、このような紛糾はまず起こらないだろうし、起こったとしても解決に大きな困難を伴うとは考えにくい。一体何のための業務上過失致死傷罪なのかという疑問は拭えない。しかも、日航機ニアミス事故に対する最高裁の判断を見るに、日本の司法はもはや業務上過失致死傷罪の本来の目的を見失い、司法判断というパズルへの適応そのものを目的化しているのではないかとの疑問を抱かざるを得ない。実際、日航機ニアミス事故に対する評釈をいくつか読んでみたところ、そのほとんどすべてが予見可能性、結果回避可能性の有無について論じるものであり、航空管制上のシステムエラーに対する業務上過失致死傷罪適用の是非に対する言及はわずかであり、もっと根本的に、「言い間違い」という悪意のない行為に対する可罰性の是非という、私から見れば一番根本的な問題に対する言及は皆無であった。

あるシンポジウムで、飯田英男弁護士(元検察官)が「医療関係者が事故調の結果が刑事訴訟に使われるのが問題だとか言っているが、そういう細部にこだわって一番大事なものを見失っていて、心底がっかりだ」というような旨の発言をしていた。私は一番大事なのは憲法だと思うのだが、それを細かいことだから気にするのはおかしいかのような物言いを、法律家がするのは如何なものかと思う。このような、憲法に規定された権利を軽視するような弁護士や最高裁がはびこり、また業務上過失致死傷罪の過失認定のあり方について、専門職への影響を考えに入れられずに旧態依然の判断しかできないような法曹が(一部かもしれないが)存在する日本の司法界においては、いっそのこと医療行為には業務上過失致死傷罪を適用しない規定を明文化したほうが良いのではないかと思う。そんなことは無理だというならば、法曹界は、医師から見ても有罪が当然と言えるような事件(銀座眼科クリニック事件、山本病院事件など)だけを的確に選別する方策を例示して、医療関係者の理解を得る必要がある。

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