関東中央病院PTSD訴訟・高裁判決文

(事件概要はこちら,尋問記録抜粋等はこちら,一審判決文抜粋要旨はこちら)

(注:赤文字は注釈です)

主文(概要)
被控訴人は控訴人に対して201万5674円および平成16年1月30日から支払済みまで年5分の遅延損害金を支払え。訴訟費用は一・二審を通じて3分し,2を控訴人,余を被控訴人の負担とする。

第1 控訴の趣旨(原告の請求)
被控訴人は控訴人に対して679万6544円および平成16年1月30日から年5分の遅延損害金を支払え。

第2 事実概要

1. 本件は被告関東中央病院精神科を受診した控訴人が,被控訴人病院のA医師には,控訴人を人格障害であると誤診し,また,治療行為をする意思もないのに誤診に関わる病名を控訴人に告げたり,その上で治療を拒否する態度を示すなど違法な行為があったなどと主張し,被控訴人に対し診療契約上の債務不履行または不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償及びこれに対する5分の遅延損害金を求めた裁判である。
 原審はA医師が控訴人をBPD(「境界性パーソナリティ障害」,「境界型人格障害」)と判断したことに誤りはなく,また,控訴人が被控訴人病院を受診した当時PTSD(「心的外傷後ストレス障害」)であったとはいえないので,A医師には控訴人がPTSDである可能性を見のがした過誤があるということはできないし ,PTSDを念頭において問診等をしなければならなかったということもできず,さらに,BPDの病名告知を初診時から行うという医学的見解があること及び控訴人の診療を2回目の診察日に終了させるつもりであったとしても,控訴人が両親等と来院すればBPDの治療を行う可能性もあったことからすれば ,A医師が,同日,控訴人に対し人格障害であると告知したことをもって違法であるということはできず,さらに,A医師の診療における言動が,客観的に違法と評価しうる程度に威圧的であり,人格を否定するようなものであったかどうかは明らかではない,と判断し,控訴人の請求を棄却したため ,控訴人が控訴した。

2. 前提となる事実
(原判決の訂正と金額のみ)

第3 当裁判所の判断

 当裁判所は,控訴人が,平成16年1月30日において被控訴人病院精神科を受診した当時,過去においてストーカー等の被害にあったことがあり,PTSDを発症する可能性がある状態であり,このような患者に対しては,患者に安心感を与え,暖かい受容的な態度で接する必要があるにもかかわらず ,A医師は控訴人をBPDと短絡的に診断し,控訴人の状態を考慮することなく「人格障害」との病名を告知し,控訴人の人格を否定するような発言をしたものであり,しかも,A医師は,当時,控訴人につきBPDの治療を進める予定ではなかったことからすれば,この病名告知行為は,そもそも治療行為としての必要性がなく ,かつ,患者の状態を観察した上で必要な時期にその病名を告知すべき義務を怠ってされたものであり,控訴人はA医師による「人格障害」との病名の告知行為とそのほかの人格否定的な発言から自己の主体的意思ないし人格を否定されるという再外傷体験を受ける結果となり,これによりPTSDを発症する結果となったものであるから ,被控訴人病院におけるA医師の上記行為は,診療契約上の債務不履行ないし不法行為を構成するものと判断する。その理由は以下の通りである。

1(1) 被控訴人病院受診前の控訴人の状況等及び被控訴人病院における診療経過等(A医師による診療の詳細を除く。)並びに平成16年1月9日のA医師の診療行為については,原判決22頁17行冒頭から21行末までを削除,原判決の「事実及び理由」第3の1(1)及び(2)並びに(3)アないしエ(17頁8行から23頁24行目)に認定されたとおりであるから ,これを引用する。

(2) 平成16年1月30日のA医師の面接(以下「本件面接」という)
 証拠によれば,平成16年1月30日における控訴人とA医師との面接に至る経緯と面接の内容は,概ね以下の通りであると認められる(控訴人がA医師の発言内容から受けた驚きや衝撃の程度は,主観的なものであるので,ここではA医師や控訴人の客観的な発言内容及び発言態度などにとどめて認定した。)。
 なお,診療室における面接における客観的な会話の内容については,控訴人とA医師との間で,その陳述書,その供述ないし証言内容において齟齬がある。このような場合,被控訴人が主張するように,精神科領域において,患者がその病理から医師の説明を歪曲して理解,記憶することがあることは注意すべきところであるが ,本件においては,平成16年2月18日に行われた被控訴人病院のA医師及びD副院長らと控訴人とその家族との面談(以下「平成16年2月18日面談」という。)の記録(録音テープ)があり,その内容からすると,控訴人の記憶内容に沿ったA医師の発言についてその理由を問う質問に対して ,A医師から発言内容自体を明確に否定する回答はほとんどなく,むしろ,A医師はそのような発言をしたことを前提にその趣旨や理由を弁明しており,また,A医師において説明が不十分であったことや,控訴人を傷つける発言をしたことを謝罪していることからすれば,概ね控訴人が記憶している内容がA医師からなされたものと認めるのが相当であり ,同認定に反する証人A,乙A5のA医師の陳述は採用し得ない。

ア 平成16年1月30日,控訴人から,被控訴人病院精神神経科に対し,診療受付終了時刻である午前11時前ころ,受付時間に少し遅れるが,診察をして欲しい旨の電話があった。
 この電話については,被控訴人病院の看護師が対応し,以下のような会話がなされた。すなわち,看護師は,控訴人に対し,受付は11時までで,11時を過ぎると薬のみとなる旨伝えたところ,控訴人は脳外科の先生から精神科に返事を聞くように言われた旨述べた。これに対し,看護師は受付時間を過ぎるのであれば ,まだ多数の患者がいるので,緊急ではなく検査結果のみの確認なら次回にお願いしたい旨伝えた。これに対し,控訴人は,緊急の場合はどうなのか,私はいつだって調子が悪いんですなどと訴えたため,看護師はA医師に確認することにした。A医師は,看護師から,控訴人が興奮した状態で受診を要求しているという経緯の報告を受けた。A医師は ,検査結果を伝えるだけと言うことで受診を了承し,看護師はその旨を控訴人に伝えた。

イ 控訴人は,無理に受診をしてもらったことを詫びながら診療室に入った。A医師は,検査結果の確認が受診目的であったことから,控訴人に対し,MRI検査の結果,異常がない旨を伝えた(乙A5,証人A)。そして,脳神経外科から筋緊張性頭痛が考えられ,脳神経外科でフォローする旨の報告を受けていたことから(乙A1の13頁),A医師は,控訴人に対し,頭痛のコントロールが当面のテーマであることを説明し,脳神経外科を受診するよう指示し,精神科はもう終わりですから,来なくていいですといって,診察を終了しようとした(乙A5,証人A)。

ウ すると,控訴人は,A医師に対し,「落ち込むことがある」と訴えた。これに対し,A医師は,頭痛の影響もあるので,まず頭痛のコントロールから始める旨を伝えた(甲A4の2,乙A5)。また,控訴人は,「頭痛のほかにも,不眠とかいろいろあって,友達に話を聞いてもらっているときに,時に叫んだりすることもある。」などと訴えたところ ,A医師は,その友達が男友達であることを確認した上で,「次は,両親と男友達と3人そろって診察に来なさい」と述べた。控訴人がその理由を聞いたところ,「あなたの場合は環境全部を見直して,生活全体で対応しなければならないんです。」との答えであった。また,控訴人が病名を聞いたところ ,「あなたの場合は人格に問題があり,普通じゃない。普通の人と行動が違う。」との答えであった。これに驚いた控訴人がその理由を聞いたところ,無理にMRI検査を入れたり,看護婦に強い口調で話し,無理に受診したことや,部屋の空気がこういう空気に普通はならないことなどを挙げた。控訴人がその病気についてどのように対応すべきかと聞いたところ ,A医師は,「自分は人と違って人格が普通でないところ,つまり突然泣いたり,怒りっぽく,暴力的,攻撃的態度を取ることがあるんだと肝に銘じて,人と一定の距離を置くということを一生やっていくわけですよ。」と答えた。ショックを受けた控訴人がその治療法を聞いたところ,A医師は ,「両親そろってきてやるんですよ。いろいろするとあなた自身がめちゃくちゃになります。閉鎖病棟に入院してもらいます。ここにはないから他に行ってもらいますけど。そんなことやらない方がいいと思いますよ。」,「治療の内容を話すのは治療に入ることになるのでお話できません。」と答えた。控訴人は ,そこでストーカー被害にあったことや,家族や友人に助けてもらったものの,頭痛やいらいらすることなどの理由がわからないなどの説明を始めたが,A医師に「それは弁護士でも頼んで裁判でもすればいいんでしょ,法律の問題でしょ。」と遮られたため,「弁護士も頼んだし,入院もしました。」と声を大きくして反論した。そして控訴人が自分の病気について知りたいと言ってもA医師が無言であったため ,「いい本を紹介してほしい。」と告げたところ,A医師は,「ボーダーライン」,「境界型」等のキーワードを告げて「自分で探しなさい」と返答した。また,控訴人が病名を尋ねたところ,A医師は「人格障害」である旨回答した 。控訴人は,5分遅刻したこともA医師が人格障害と判断した理由に含まれていたことに納得がいかなかったため,婦人科で5時間も待たされたことなどを反論したところ,A医師は「だからあなたはそうやってひとつのことに執着するでしょう。話を終わらせない。普通なら帰りなさいていえば帰るんですよ。はい,お終いです。帰りなさい。」と言って,立ち上がって控訴人に伝票を渡しながら,「もう来なくていいから,帰りなさい。」と言って,退室し,その後,戻ってきたところで,控訴人から,別の病院にかかるならば紹介状は書いてもらえますかと質問されたので,A医師は,紹介状は書けるが,病院を決めていただければファックスしますと回答して,立ち去った(甲A4の2,乙A1の16頁,A2)。
 以上の通り,A医師の控訴人に対する発言内容が控訴人に対し厳しいものであり,また,説明不十分なものであったことは,平成16年2月18日面談においてA医師も認めるところである。なお,平成16年1月30日のカルテには,「それはパーソナリティの問題,とりあえず今は治療として扱わない」 ,「パーソナリティに踏み込んだ治療を行うと,怒り↑となって精神科的入院が必要となる」,「もし治療するならば家族や彼氏も含めて大がかりなものになるであろうし また経過中に入院が必要になるので精神療法的治療は患者にとってプラスではないと説明するも納得せず」,「そのように納得できないという思いをずっとかかえてきたのが病理であり このようにきりのない話になるので治療は家族の参加も必要であると繰り返し説明」 ,「ボーダーライン 境界例の本をすすめる」との記載があるが(乙A2),これらはA医師が上記認定の面談の内容から必要と認められる部分を要約して記載したものと認められる。

(3) 被控訴人病院受診後の経緯等について

ア 控訴人は,被控訴人病院での平成16年1月30日におけるA医師による上記診療行為,特に人格障害との告知を受けたことにより精神的に強い衝撃を受け,その直後から頭痛やめまい等が強くなり,帰宅後,自宅の玄関で大声で泣き出し,驚いた両親に被控訴人病院の精神科で人格障害と言われ ,もう来なくていい,来るなら両親を連れてこいと言われたことなどを話した。控訴人の父(注:以下"C"と略すことがある)は,(省略),被控訴人病院の医療相談室のEに連絡を取り,その後,被控訴人病院のD副院長,A医師らを交えた話し合いの機会を持つことになった。控訴人は ,その後も,本件面接でA医師に言われた言葉,特に,控訴人が攻撃的で人に迷惑をかける存在で,人と距離を置いて一生やっていくような存在であると言われたことなどが頭から離れず,問題のある欠陥人間であるかのように精神科医師に宣告された衝撃から立ち直れず,その後,数ヶ月間も ,それまで勤務していた(省略)医院の看護師の仕事に出かけることができず,不眠や頭痛が憎悪し,集中力が低下し,A医師に言われた情景が繰り返し想起され泣いてしまうなど,精神的に非常に不安定な状態となり,自宅で寝るだけで,何も活動をすることができない生活となった。控訴人の両親は ,控訴人のこのような状態をみて,(省略)精神科医師のG医師を紹介したため,控訴人は,このような状態の中で,平成16年2月10日から,週1回,Gクリニックへの通院を開始したが,上記の状況は直ちには改善されなかった。また ,控訴人とその父らは,被控訴人病院のD副院長,A医師らと平成16年2月4日と同月18日の2回にわたり,次の通り,話合いをした(甲A6,A11,乙A3)。

イ 平成16年2月4日,被控訴人病院応接室において,控訴人,C,A医師,D副院長らが出席し,同年1月9日及び同月30日のA医師の診療行為等について話し合いが行われた(甲A4の3)。この話し合いに先立ち,控訴人は,関東中央病院の受診経過のメモを作成し(甲A4の1),これを出席者に配布した(甲A4の3)。A医師も ,同月2日,経過報告という文書を作成し(甲A4の2),この話合いに臨んだ。

ウ 平成16年2月18日,第2回目の話合いが行われることになったが,それに先立ち,控訴人側は,同月16日,第2回目の話合いの協議事項(質問など)を作成した(甲A5の1)。その文章には,平成16年1月30日の診療の際に,「もう来なくていい。帰りなさい。」との発言につき医師として配慮に欠けるものではないか ,医師として苦しんでいる患者に対し暖かい心で接していないのではないか,控訴人の生活歴等をどの程度知っているのか,問診の有無,平成16年2月4日の最終確認でも「うつ病と人格障害」とした診断根拠を再度伺いたい,人格障害であったという言葉を撤回していただきたいこと,控訴人は ,現在,不眠,頭痛などの症状が悪化し,休職状態にあり,寝込んでいるため,控訴人の心に残っている疑問点,心に染み込んだ絶望感,悔しさをいやし,解決するための打合わせにしたいことなどが記載されている。
 被控訴人病院応接室における同日の打ち合わせにおいて,被控訴人,C,控訴人の妹(省略),A医師,D副院長らが出席し,同年1月9日及び同月30日のA医師の診療行為等について第2回目の話合いが行われた(甲A5の3)。この話合いにおいては,A医師が作成した「質問事項へのお答え」というタイトルの文書が出席者に配布された(甲A5の2,3)。
 この文書には,「もう来なくていい。帰りなさい。」との発言について,「平成16年1月30日には,内界への深入りは危険と判断して,精神内界に踏み込まない面接をしました。治療者として,より深刻な状況になることをさける義務があると感じました。そのため,あえて治療的に深みにはまることを回避する言動をとりました。しかしこの時点でご本人の中に ,依存欲求が高まっており,突き放されたように感じられたのでしょう。しかしこのときに優しい言葉かけをしてご本人のつらさを引き出すような面接をしたならば,もっと状況は悪くなっていたと考えます。」と記載され,控訴人の生活歴や問診の有無については,「生活歴は,まだお聴きしておりません。それは ,前回にも申し上げたように,生活歴も含めて掘り起こすことがご本人の過去の感情体験(寂しさや辛さや怒り)を賦活化することとなり,治療的ではないと判断したからです。ご本人にも治療に入ることの危険性を十分に説明いたしました。」と記載され,「うつ病と人格障害」とした診断根拠については ,「『うつ病』はご本人の抑うつ的な様子と頭痛などの身体症状から前主治医が診断したものと思われます。『人格障害』は以下の点で診断いたしました。・些細なことで感情的になる。・過去に過量服薬などがあり,衝動コントロールが不良である。・激しい怒りの感情をもっており,それが「行動爆発」という形を取ることもある。表面的には何かを取り繕おうとしておられますが ,心の奥に空しい空虚感(絶望感ともいえるでしょう)があると推察された。という点から判断しました。」と記載されている。また,控訴人が人格障害との言葉の撤回を求めたことに対しては,「人格障害ということは,それだけ大変な人生を送ってきたということです。様々な怒りや頼りたい気持ちをじっと我慢してきた結果そのようになってしまったと解釈しております。従って,『人格障害』とはご本人の生きてゆく大変さを考えた上で診断した病名であり,治療者としても安易につけた病名ではないので撤回はいたしません。」と記載されている(甲A5-2)。

エ 平成16年2月18日面談においては,控訴人やその父(省略)及び妹(省略)からA医師に対し,平成16年1月30日の診療においてA医師から控訴人に対してなされた上記認定の各発言に関し,なぜそのような発言をしたのかという質問が投げかけられ,同医師がこれに対し,当日は治療に踏み込まないようにしていたため ,拒絶的な態度に終始していたという趣旨の回答をし,上記認定の発言をしたこと自体については,特に争っていない。また,A医師は,当日は治療に踏み込まないようにしていたため,上記のような発言に終始したが,後半では,その説明が不十分であり,控訴人をずいぶん傷つけたこと ,その対応に不適切なところがあったことは詫びており,また,人格障害と診断したことは2回くらいの問診では短すぎたことも認める発言をしている(甲A5-3の25, 30, 32, 35, 36頁)。

(4) Gクリニックでの診療経過等については,原判決の「事実及び理由」第3の1(5)エ(29頁14行から33頁14行)に認定されたとおりであるから,これを引用する。

2 医学的知見については,後記3,4において付加するほかは,原判決の「事実及び理由」第3の2(33頁15行から42頁14行)のとおりであるから,これを引用する。

3 争点(1) (平成16年1月9日及び同月30日のA医師の診療行為が過失・違法行為に当たるか否か)について
 平成16年1月9日のA医師の診療行為に過失がなく,同行為が違法行為に当たらないことについては,原判決の「事実及び理由」の第3の3(5)中のア及びイの各一部(58頁13行目の「前記」から59頁10行目末尾までの部分)の通りであるから,これを引用する。
 次に同月30日のA医師の診療行為の過失ないしは違法性について判断する。

(1) 控訴人のPTSDの診断基準該当性について
 証拠(甲B4, B40, 証人G)によれば,次の事実が認められる。
ア 控訴人は,平成16年2月10日にGクリニックを受診し,(1)被控訴人病院の精神科,産婦人科,脳神経外科での受診経過,特に,精神科のA医師と同年1月30日に面談した際に,唐突に「親を呼んでこないとダメ,情緒不安定なのを肝に銘じて我慢して生きていかねばならないのだ 」,「いろいろと質問するのはクリンギングだ」などと厳しい口調で言いわたされ ,ショックのあまり泣いて帰り,そのとき以来,不眠や頭痛が憎悪し,集中力が低下し,A医師に言われた情景が繰り返し想起され泣いてしまうなど,精神的に非常に不安定な状態となり,仕事も日常のごく普通の事柄も処理できなくなっていることを悟り,また,これまでの生活歴について ,(2)X県で生活していた過去10年間において,大学時代にアルバイトで知り合いX県に移住してきた男性がストーカー行為を開始し,脅迫的内容の手紙や電話がくる状況が続き,突発性難聴となり,ついには自宅までやってきて首を絞められるという行為に至ったことから,弁護士に依頼して出入り禁止の法的措置を取ったこと ,さらに,平成13年3月には,職場の上司からセクシュアルハラスメントを受け,加害者が2ヶ月の懲役となり,その事件がマスコミに報道されたため,職場に居づらい状況となったものの,診療や友人の情緒的支援があったため,従来の生活を取り戻すことができたこと,(3)平成15年に入り ,仕事上のストレスなどから頭痛,倦怠感を感じたことからY市立病院精神科を受診,抑うつ神経症との診断を受け,抗うつ薬(パキシル)と抗不安薬(デパス)を処方され,一時安定したところ,上司の男性からある夜すごい勢いで迫られ,不安が極限に達したため,抗不安薬(デパス)を過量に服用してしまい ,意識状態に異常をきたし,一晩入院して治療を受けることになり,同年4月には退職し,実家に戻ったこと,(4)東京では(省略)B医院でパートタイムの仕事を開始し,親兄弟の中で安定した生活となり,セクハラやストーカー事件に伴う恐怖感などについてはかなり克服していたこと ,(5)しかし,時折,頭痛,憂うつ感や,急に悲しくなり涙するといった症状も出ていたため,平成15年11月21日に被控訴人病院精神科を受診したことなどを礼儀正しく理路整然と語り,その後,週1回程度Gクリニックに通院を継続した。

イ Gクリニックのはじめの数回の面談は,A医師の言動に対しての不信感,怒り悲しみと受診したことへの後悔などが話題の中心であり,A医師の「普通じゃない」,「人格が普通でないそのことを肝に銘じて,人と一定の距離を置くということを一生やっていくわけですよ」などと言われたことから ,自分が異常な人間なのではないかとの恐怖感,不安感などの無力感に圧倒されている状態であった。

ウ A医師は,そのころ,G医師との面談を求め,控訴人がBPDに間違いないことを繰り返し述べていたが,控訴人との面談を数回経ていたG医師は,控訴人はこれまでに診察してきたBPDの患者とはかなり違うという印象をもっており,少なくとも,当時の控訴人の状態は,A医師から受けた外傷体験により ,これまで抑えられてきた過去の外傷体験が蘇ってきている状態にあると考えていた。

エ 控訴人は,平成16年6月には○○販売の店でアルバイトを始め,平成17年には情緒的に安定し,平成19年には,通院回数も減り,精神医学的に安定した状態が続いている。G医師は,このような4年間の診療経過を経た現在においては,控訴人はBPDではないとの最初の考えが正しかったとの確信に至っている。すなわち ,G医師は,控訴人については,BPDに起こりがちな治療者にしつこくしがみついてくる態度や振る舞い,治療者を情緒的に巻き込んで治療場面を混乱させる未熟な激しい感情の突出,それに伴う自傷行為をはじめとする衝突的行為の出現などが全経過を通じて見ることはなかったのであり ,控訴人は,BPDの治療に求められる複雑な精神療法的な操作を必要とすることなく,治療者の共感的な治療姿勢に安心したように話し,受け入れられると受診後1年で安定した状態を取り戻したことがその根拠となっている。

オ 以上認定の事実によれば,控訴人は,平成16年1月30日の被控訴人病院精神科におけるA医師による病名告知行為とその拒絶的言動を契機(再外傷体験)として,従来の体験に起因するPTSDの症状が再現し,同年2月10日にGクリニックを受診したものと認められる。
 また,控訴人がPTSDであることは,次のとおり,DSM-IV-TRでPTSDの診断基準として挙げられている基準をすべて充たしていることからも確認できる。

a) PTSDの診断基準のうち,「A. その人は,以下の2つがともに認められる外傷的な出来事に暴露されたことがある。(1)実際にまたは危うく死ぬまたは重症を負うような出来事を,1度または数度あるいは自分または他人の身体の保全に迫る危険を,その人が体験し,目撃し,または直面した。(2)その人の反応は強い恐怖 ,無力感または戦慄に関するものである。」については,控訴人は,ストーカーに長期間付きまとわれ,ついには自宅で首を絞められるという状態に至ったことやセクシュアルハラスメントなどの外傷体験があり,それに伴う恐怖,無力感,悔しさを有していた(甲A9, A22の1-5, 一審原告本人)。

b) 同「B. 外傷的な出来事が,以下の1つ(またはそれ以上)の形で再体験され続けている。(1)出来事の反復的,侵入的,かつ苦痛な想起で,それは心象,思考または知覚を含む。・・・」については,控訴人は,本件面接後のGクリニック受診中に,ストーカー等の上記体験及びA医師との本件面接により自己の主体性を否定されたとの体験が ,頭痛,流涙,嘔気,悲哀感,悔しさを伴ってたびたび想起され,いわゆる侵入性想起(フラッシュバック)がたびたび見られた。

c) 同「C. 以下の3つ(またはそれ以上)によって示される,(外傷以前には存在してなかった)外傷と関連した刺激の持続的回避と,全般的反応性の麻痺,(1)外傷と関連した事故,感情,または会話を回避しようとする努力,(2)外傷を想起させる活動,場所または人物を避けようとする努力 ,(3)外傷の重要な側面の想起不能,(4)重要な活動への関心または参加の著しい減退,(5)他の人から孤立している,または疎遠になっているという感覚,(6)感情の範囲の縮小(例:愛の感情を持つことができない。),(7)未来が短縮した感覚(例:仕事,結婚,子供,または正常な寿命を期待しない)」については ,控訴人には,(1)接近する男性を回避する傾向,(2)外傷場面を想起させるX県行きを恐れていたこと,(3)仕事等の社会活動への参加ができていない時期があったこと,(4)結婚して出産するという正常な一生への期待ができないこと等が見られた。

d) 同「D. (外傷以前には存在していなかった)持続的な覚醒亢進症状で,以下の2つ(またはそれ以上)によって示される。(1)入眠,または睡眠維持の困難,(2)易怒性,または怒りの爆発,(3)集中困難,(4)過度の警戒心,(5)過剰な驚愕反応」については,控訴人は(1)男性への過度の警戒心 ,(2)入眠及び睡眠維持の困難,(3)易刺激性が高く,情緒不安定であった,(4)集中困難であったこと等が見られた。

e) 同「E. 障害(基準B, C, およびDの症状)の持続期間が1ヶ月以上」及び同「F. 障害は臨床上著しい苦痛,または社会的,職業的,または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。」については,控訴人においては,上記の状態が少なくとも5ヶ月以上続き,その間,仕事も手につかない状態であった。

(2) A医師によるBPDの診断とその告知の違法性について

ア A医師のBPD診断根拠とその信用性について
 A医師は,A医師が控訴人を診療した時点で認識できた事実等によれば,控訴人はDSM-IV-TRのBPD診断基準の9項目中5項目以上に該当するとしており,その判断の概要は以下のとおりである(乙A5, 証人A)。

(ア) (1)(現実に,または想像の中で見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力)について
 平成16年1月30日に検査結果を聞くだけということで受診したにもかかわらず,控訴人は,検査結果の説明が終わってもいろいろと訴えたことに現れている。

(イ) (2)(理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴付けられる,不安定で激しい対人関係様式)について
 平成16年1月9日のMRI検査の執拗な要求,同年1月30日の遅刻してきたことを電話連絡したときの看護師への対応はこの特徴を示す。

(ウ) (3)(同一性障害:著明で持続的な不安定な自己性または自己感)について
 被控訴人病院において,頭痛を抑うつ状態といわれてショックであったという話しをしたが,その9ヶ月前に同じことを他の病院で言われたことはショックではなかったことなどから,不安定な自己性があるのではと判断された(証人A)。

(エ) (4)(自己を傷つける可能性のある衝動的で,少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費,性行為,物質乱用,無謀な運転,むちゃ喰い))について
 平成16年1月9日にMRI検査を何が何でもオーダーしなければならないという感じの話し方や,同年1月30日の遅刻連絡の際の看護師への対応などからすれば,思うようにいかないときに衝動性が現れる可能性があると思われたことから,この項目に該当すると考えられる(証人A)。

(オ) (6)(顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2,3時間持続し,2,3日以上持続することはまれな,エピソード的に起こる強い不快気分,いらいら,または不安))について
 MRI検査日程についての執拗な申し入れ,平成16年1月30日の遅刻連絡の際の看護師への対応などに現れている。

(カ) (8)(不適切で激しい怒り,または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす,いつも怒っている,取っ組み合いの喧嘩を繰り返す))について
 MRI検査日程についての執拗な申し入れ,平成16年1月30日の遅刻連絡の際の看護師への対応などに現れている。

 上記各指摘は,控訴人が平成16年1月9日のMRI検査日程について執拗な申入れをしたこと並びに同年1月30日の遅刻連絡の際の看護師への対応及び検査結果の説明終了後のA医師に対する訴えや質問というエピソードを主とするものであるところ,一般的な意識からすれば,このエピソードからは ,控訴人の性格を自己中心的と評価しうるものということはできる。しかし医療関係に関する控訴人の経歴及び(省略)に加え,主訴であった頭痛について脳神経外科の受診を要する疾患の可能性を示されて不安に陥ったことを考慮すると,上記各エピソードは,医療関係への距離感を感じない控訴人が無理を願い出たものであり ,その相手が担当医であったA医師であったと理解され,控訴人の性格に自己中心的な面があるということはできても,BPD診断基準の9項目中5項目以上に該当するとの判断を直ちに採用することはできない。
 しかも,精神科における面接では,家族歴,生活史,生活習慣,性格,精神症状や,青年期周辺状況についての問診を経て,診療に必要な情報を漏らさず聴取することが肝要であるのにかかわらず,A医師は,平成16年1月30日までに控訴人を2回診察しただけであり,控訴人をBPDとする診断は ,上記状況の問診などを一切行わずになされたものである。
 以上によれば,A医師の控訴人に対するBPDとの診断は,控訴人に対する問診をほとんどせずに,先入観に基づき少ないエピソードから短絡的に結論に至ったものであり,上記診断は,控訴人を4年間診察し,治療行為を行ってきたG医師の上記診断と比べ,信用性が欠けるものであり ,これを採用することはできない。なお,証人Gは,DSMの基準によっても,控訴人のような患者をPTSDと診断する医師もいるし,BPDと診断する医師もいるはずであり,診断名が100%一致することは考えにくい,とも証言する。しかし証人Gは,患者の家族歴,生活史,生活習慣 ,性格,精神症状や青年期周辺状況等について,患者の話をしっかり聞いて,その上で治療方針を決めていくのが,精神科医としての医療水準であるとも証言しているのであり,A医師のように,控訴人の家族歴,生活史,生活習慣,性格,精神症状や青年期周辺状況も聞かずに短絡的にBPDの診断をすることを是認しているわけではない。 証人Gは ,患者の家族歴,生活史,生活習慣,性格,精神症状や青年期周辺状況の問診をしたうえで,上記視点における精神科医の判断として,控訴人をBPDと診断したとしても,直ちにこれを誤診というべきではないということを述べているのであり,控訴人を4年間診療してきたG医師の現段階における診断としては ,BPDではなく,PTSDであることを確信しているというものであることは,前記のとおりである。なお,証人G及び証人Fは,一般論として,BPDでありながら,PTSDでもある場合があると証言するが,前記判断を左右するものではない。

イ F医師のBPD診断基準該当性についての意見について
 乙B4の1(F医師の意見書)及び証人Fによれば,F医師は,DSM-IV-TRのパーソナリティ障害の全般的診断基準のA項目ないしE項目のいずれにも該当するとした上で,控訴人は,DSM-IV-TRのBPD診断基準の9項目中8項目に該当するとして,控訴人をBPDに該当すると判断している。
 しかし,DSMは,医師が診断基準の意味合いをどのように理解しているかによって,診断名が変化するものであり,一見明確な診断基準を決めているように見えても,実際の患者の状態の認識にずれが生じ,医師により異なる診断を与えうるものであり,特に,BPDの診断基準については ,その内容の性格上,理解の仕方が異なる可能性が高く,(甲B27),現に,控訴人がBPDであると診断しているA医師とF医師とでも,各診断項目についての判断が一部異なっている。しかも,F医師は,実際に,控訴人を診察して判断したわけではなく,乙B4の2記載の資料に基づいて判断しただけであり ,控訴人を4年間にわたり診察し,その上で,控訴人がPTSDであったとの当初の判断に誤りがないことを確信したG医師の前記判断に照らし,その判断の信用性は低いと言わざるを得ない。F医師の意見が採用し得ないものであることの理由の一部を具体的に指摘すれば,例えば,(1)控訴人が被控訴人病院において診療報酬について意見を述べたことを ,全般的診断基準のA項目(その人の属する文化から期待されるものより著しく偏った,内的体験および行動の持続的様式)の「認知」の領域に現れた行為であるとするが,控訴人は,看護師として勤務していたため,診療報酬について知識があり,自分がもった診療報酬への疑問について意見を述べただけであり ,この意見は結局被告病院でも認められたのであり,これを著しく偏った行動とみることは相当ではない,(2)控訴人がX県で公務員を10年以上継続したにもかかわらず,その後東京に戻ったことから,長く安定した人間関係を気づくことが困難であるとして,これを上記C項目(その持続的様式が ,臨床的に著しい苦痛,または社会的,職業的,またはたの重要な領域における機能の障害を引き起こしている。)の根拠としていることも,この間の経過に照らせば,相当ではない。(3)控訴人のBPDの発症を,20歳代の看護師を退職した頃であるとして,上記D項目(その様式は安定し ,長期間続いており,その始まりは少なくとも青年期または成人期初期にまでさかのぼることができる。)を充たすとしているが,BPD発症の根拠を単に「看護師時代に患者と手紙のやり取りをしていること」に求めているだけであり,BPDの発症時期について客観的な根拠を書いている ,(4)控訴人が医療費について意見を述べたことを,「見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力」の根拠としているが、これも上記理由により相当ではない。(5)控訴人がMRIの検査が2週間先になるため、A医師に相談することを思いついたことを、A医師の理想化であるとしているが、控訴人が A医師を理想化していたことを認めうる証拠はない、(6)控訴人の男性との交際が不特定多数であることを、その事実を認めるに足りる証拠がないのに、「自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの」及び「不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難」の根拠としていることも不当である、ことなどが挙げられる。

ウ A医師の本件面接におけるBPDの告知等の違反性について
 精神科の面接においては,患者が気持ちよく面接に参加できるように面接を進め,診療や治療についてわかりやすく患者に伝えることが重要であることは前記のとおりである。また,『精神障害の臨床』(平成16年6月15日発行。甲B1)には,「患者−医師関係のなかで臨床医の最も重要な活動は ,患者と話しをすることであるのはいうまでもない」,面接の開始,最初の受診時には社交的な礼儀正しさを示し,患者を歓迎し,名前を尋ね,患者を大切な人をみなしていることを伝えることが慣用となる.自己紹介の後,相談にくることになった問題について尋ねることから始める 」,「面接では ,患者が自分の言葉で自分のストーリーを語ることをどんどん努めていくようにする.これはバイアス(先入見,先入観によって歪むこと)を最小限にする.」,「主訴となった症状の一つひとつについて,症状の発症や症状が進展してきた道筋を問うのが有効である.」,「発症の時期,持続期間 ,頻度,そして時間経過・・・は,はっきりさせるべきでもある.これは,ふつう,患者の症状を明確化し,組織立てて理解するのに最も役に立つ,」と記載されていることからも明らかである。
 また,患者にPTSDの可能性がある場合,精神的負荷に対し脆弱であり,些細な言葉が症状憎悪を来しうるため,精神科医としては,まずは,患者に安心感を与え,受容的になり,患者との間に信頼関係を築くべきである。
 これに対し,本件面接のA医師の言動は,上記のとおり,控訴人の生活歴や青年期周辺状況について問診をすることなく,患者である控訴人の悩みを聞くとか,温かい態度で患者に接するという本来の精神科における面接とは全く逆に,控訴人の悩みを聞こうとはせず,逆に,控訴人を突き放すような言動に終始し ,また,BPDとの病名を告知するのであれば,本来,十分に問診をし,医師と患者との信頼関係が形成されたところで,治療行為の開始として,これを告知すべきであるのに,そのような信頼関係もなく,診療行為を開始する具体的な予定もないのに,看護師からは興奮した状態で受診を求めていると報告を受け ,しかも自己の状態に不安を抱いている控訴人に対してBPDの病識を得させるための十分な説明や配慮もなしに,告知したものであり,PTSDの可能性も疑われる患者に対し,「人格障害」との病名を告知した上記行為は,精神科医としての注意義務に反する行為であったと言わざるを得ない(甲B14の2)。
 なお,控訴人が被控訴人病院を受診した本件面接当時は,PTSDは,診断基準を充たさない程度に軽快していたものであった。しかし,控訴人が被控訴人病院受診前にPTSDに該当する症状が明確には認められなかったとしても,ストーカーによる被害を受けていたことなどからすれば ,A医師としては,それによる影響は考慮すべきであったのであり,PTSDは,いったん外傷体験を想起させるような出来事などに直面すると一気に再燃することもあることを考慮すると,控訴人への対応については,慎重な対応をすべき状況であったというべきである。
 なお,BPDとの病名の告知については,前記のとおり,「初診時にBPDの診断を下し,患者の病理,とりわけ行動面での問題をある程度同定し,それを治療すべく契約を結ぶということまで一気に行う必要がある。」とする文献(「精神科臨床ニューアプローチ5 パーソナリティ障害・摂食障害」に収載の「診断のための鍵」山下満著・乙B12)も存在するが ,この文献に収載された「外来診療の診療構造」市橋秀夫著を,よく読めば,「パーソナリティ障害の診療に当たっては初診時面接がその後の診療を容易にするか困難にするかの勝負どころとなる。初診時面接だけは十分に時間をかけるべきである(40分から50分)。この時間のなかで以下のことを行う必要がある。・・・(1)早期に診断する(2)病名の告知(3)治療同盟と治療目標の設定(4)診療契約」と記載されているのであり ,初診時面接に十分に時間をかけること及び,その後の治療契約と治療目標の設定などを行うことが記載されているのであり,A医師のように十分な問診をすることなく,控訴人の質問を断ち切るような応答の中で,BPDの治療を行う予定がない(少なくとも行うかどうか不明の)患者に対し ,病名告知を早期にすべきであるとの記載はどこにもないのである。

4 争点(2) (障害の結果及び因果関係の有無)について

(1) A医師によるBPDの告知行為による損害について

ア 前記認定のとおり,控訴人は,平成16年1月30日に被控訴人病院精神科を受診し,A医師と面談してから,PTSDを発症している。すなわち,当日のA医師は,控訴人をBPDであると短絡的に判断していたため,控訴人に対し,「あなたは普通じゃない」などと拒絶的で厳しい言動をし ,かつ,控訴人に対し「人格障害」との病名を告知した後,「帰りなさい」などといって,診療を打ち切ったことにより,控訴人は,診察場面におけるA医師の一方的な決め付けと,控訴人の主体性や控訴人の意思ないし人格を否定されたと感じたことから,これが心的外傷となり,そのときに保持されていたバランスが崩れ ,過去の外傷体験が一挙に噴出し,控訴人においてPTSDの症状が現れる結果となったものである。(甲B14の2)。このように,精神科の診察においては,患者が医師に信頼を寄せ,心理的に無防備な状態となることが多く,控訴人も,A医師との診察場面において,このような状態の中で ,思いがけず過去の外傷体験と類似の体験をすることにより,これまで抑えられていた情緒体験が噴出し,PTSDの症状が現れる結果となったと認められる(甲B14の2,B15,証人G)。
 なお,被控訴人は,再外傷体験(リトラウマタイズ)という概念は一般的ではないと主張する。しかし,「S6巻 外傷後ストレス障害(PTSD)」(24頁)には,「過去に心的外傷歴があると,あらたな心的外傷に対してさらに脆弱となる.たとえばレイプ被害者において,過去にもレイプ歴のある女性は ,対照群と比較してPTSDの発症率が上昇していた.また身体的虐待や性的虐待歴も危険因子となる.」と記載され(甲B15),また,「DSM-IV-TR精神疾患の診断・統計マニュアル」(449頁)にも「もととなった外傷を想起されるもの,人生のストレス要因,または新たな外傷的出来事に反応して症状が再発することもある.」と記載されており(甲B17),これらの文献には ,同一ないし類似の再外傷体験がPTSDを発症させやすいことが述べられており,被控訴人の上記主張は採用し得ない。

イ A医師は,精神科としては,控訴人が過去においてストーカー行為の被害にあったことをカルテから知り得たはずであるし(カルテの記載が不足であれば,過去の生活歴について必要な情報を聴取してこれを補足するのが診療行為として当然必要な行為である。),また,患者としての控訴人の情動の不安定さから ,トラウマの存在を念頭に置き,PTSDの可能性をも考慮すべき義務があったにもかかわらず,十分な問診をせずに短絡的に控訴人をBPDであると判断し,控訴人に対し,前記認定のとおりの厳しい対応をした上で,人格障害との病名を告知し,その治療に入ると閉鎖病棟に行かなければならなくなるなどの言動を取り ,その結果として,控訴人にPTSDを発症させる結果となったものである(甲B14の2)

ウ 以上によれば,A医師の本件面接における控訴人に対するBPDの病名告知と前記認定の厳しい言動により,控訴人にPTSDを発症させる結果となったものと認められる。

5 争点3(損害の額)について (概要)

 証拠(甲C1,C2-1・2,C3-1ないし3)によれば,控訴人は,被控訴人病院におけるA医師の不適切な診療行為により,次の損害を被ったものと認められる。

ア 診療関係費 56万6910円
イ 休業損害 84万2012円
 平成16年1月30日前 Bクリニック勤務時から平成16年6月末,○○を販売するアルバイトまでの5ヶ月間
平成15年年収202万0829円÷12×5=84万2012円

ウ 減収による損害 95万0534円
平成16年6月 ○○販売,アルバイト
平成17年 精神的に安定
平成19年 通院回数減
減収による損害は平成16年7月から平成18年3月(21ヶ月)
平成16年7月からのアルバイト
平成16年収入 66万1000円
平成17年収入 155万5500円
{202.0829円÷12月−(66万1000円+155万5500円)÷(18月)}×21月=95万0534円

エ 慰謝料 50万円

オ 過失相殺
 控訴人が被った上記損害は,A医師の本件面接を契機として再現したPTSDによるものであるが,これはX県におけるストーカー行為やセクシュアルハラスメントによる心的外傷に基づくPTSDを基礎疾患とするものであったということができ,また,上記治療には被控訴人を受診する以前からあった頭痛の治療も含まれているのであるから ,損害を衡平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし,民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用して,本件の事情を総合的に斟酌すれば,本件面接により生じた上記損害の合計額285万9456円の4割(114万3782円)を減殺するのが相当である。従って損害の額は合計171万5674円となる。

カ 弁護士費用 30万円

計201万4674円

東京高等裁判所民事第11部
裁判長裁判官 富越和厚
裁判官 設楽隆一
裁判官 小野洋一


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