代理人が辞任してしまったので・・・

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時系列:平成14年
10月2日午後10時頃、関西地方の旅館の階段から転落し、左足に受傷。近くの病院に入院。
10月3日、退院。
10月4日、慈恵医大第三病院に受診。10月5日の診断書では「リスフラン関節脱臼」、カルテには「ope or not」「仕事の都合もあり非常に迷っている」の記載。
10月7日、中国地方の出張先から被告に電話あり。「ちょいちょいと引っ張れば良いのだろう、やってあげるよ」との返事。
10月12日、被告病院入院。レントゲン胸部一方向、左足部2方向
10月15日、手術。13:30入室、13:35全麻開始、13:50執刀開始、14:05終了。
左足部基部に約3cm縦方向の皮切、関節包を切開し、整復するため直径1.8mmのキリュシュナー鋼線を挿入して関節を固定する。術後カンファで部分荷重可と判断。
(原告主張:整復目的手術だが、手術後手術前第二中足骨の位置がほとんど不変。健側へと大きくずれがある。曲がりやすいキリュシュナー1本だけで立体的関係を保持できず、回転力に弱いことを含め、強度不十分。術後にカンファレンスが行われていたとは、考えにくい)
10月18日、この日に、「10月21日から部分荷重歩行許可」の指示。原告側からは、「こんな痛みが続くなら、いつまでたっても歩けない」との発言あり。
10月19日、キリュシュナー鋼線突出部痛があるも自制内。
10月22日、退院
10月26日、全荷重許可。アーチサポート無し。
11月16日、キリュシュナー鋼線抜去。
原告は、どんどん足を使えと言われたと思っており、通院もせずに出張など仕事に明け暮れた。痛みが取れない。次の受診が3ヶ月後の平成15年2月になった。その後もどんどん歩いていたが、痛みが抜けないことを確信した。ひどい手術をされた。被告病院は信用出来ないと思った。平成15年10月に慈恵医大受診。その後奈良県立医大タカクラ教授を受診。タカクラ教授診断「最初の受傷の時は大したことない。今は左足が外回転している。早く関節固定をせよ。東京のウサミ医師にお願いしてはどうか。ワイヤー1本で止まるわけない。4−5本は必要だよ」と。ウサミ医師の話もだいたい同じ。平成15年12月13日、被告病院受診。「固定術は骨萎縮があるのでやめたほうがよい。最後の最後に受ければ良い」と。

原告側意見書
大阪市立大学 松倉登医師「手術後レントゲンにて、整復されていないことがわかる」
至誠会第二病院 宇佐美則夫医師「整復自体は良好」「Q: 原告に後遺症が残ったのは、再手術時(宇佐美医師による固定術)の骨癒合が不適切だったからだと被告が主張しているが → A: 初回手術が不十分なため陳旧化したために関節や周囲組織の二次性変化が生じたためだ。骨癒合については、リスフラン関節での荷重に耐えるだけの骨癒合は得られている。」

宇佐美医師証言
第三中足骨転位の見逃し。第三中足骨と楔状骨のズレを見つけるべきだった。第二中足骨の固定は弱かった。第三がもう少し第二に寄っているべきだった。被告は整復をしっかりしたというが、キルシュナー1本では固定力不十分。2本以上が一般的。手術後11日での全荷重は時期尚早。現在転位している部分は手術時の整復状態の固定が不十分だった。被告はリンデロンと温熱でそのうち治ると指導したが、受傷部は脱臼位で不良な整復なので不適切だと思う。

被告側意見書
獨協大越谷病院 大関覚医師「ワイヤーが時代遅れとは言えない。11日で全荷重、4週間でワイヤー抜去は一般より早いが、状態によって決定するものであり、間違いとは言いがたい」

被告本人陳述書の「最後に」の要旨
原告の第二中足骨脱臼骨折に対する診断、整復固定術、足底板使用、キリュシュナー鋼線抜去時期は平成14年の水準に従った適切な処置だった。しかし平成14年当時、リスフラン関節の外傷がこのように関節の変形性関節症に進む症例があることを認識しておらず、その説明ができなかったことは、いま振り返ってみれば至らなかった。


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