東京脳梗塞見落しカルテ改ざん訴訟判決文

事件概要はこちら

平成21年3月18日判決言渡
平成19年(ワ)第26540号
原告 B,C,D,E
原告ら代理人 澤本淳,藤井陽子
被告 F
被告代理人 小西貞行,寺西康一郎

主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第1 請求
1 被告は,原告B,原告C及び原告Eに対し,各949万8342円及びこれに対する平成18年10月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告Dに対し,1224万8342円及びこれに対する平成18年10月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事件の概要
1 事案の要旨
 本件は,亡Aの相続人である原告らが,Aが脳梗塞の後に誤嚥性肺炎を発症して死亡したのは,Aに対する往診を行っていた被告が,脳梗塞の発症を見落とし,入院加療指導を怠ったためであるとして,被告に対し,不法行為または診療契約上の債務不履行に基づき損害賠償を請求した事案である。

2 前提となる事実(証拠を掲記しない事実は当事者間に争いがない。)
(1)当事者
ア 原告らは,いずれも平成18年10月1日(以下,特に記載のない限り,日付は平成18年の日付である。)死亡したA(大正9年5月20日生まれ)の子であり,相続人である。(甲A1,11,12,甲C1ないし3)
イ 被告は,肩書地において,F医院(以下「被告医院」という。)を開設,運営する医師である。
(2)診療経過
ア Aは,平成14年3月16日,高血圧,高脂血症,不整脈等を主訴として,被告医院を初めて受診し,以後,継続的に被告医院に通院し,狭心症,心肥大,心房細動,腰痛等の疾患について治療を受けていた。(乙A1,6)
イ 平成15年8月ころ,被告は,Aの意識がややはっきりしないことがあったことから,脳梗塞の発症を疑い,Aに対し,頭部MRI検査を勧め,他院にて同検査を行ったところ,陳旧性多発性微小脳梗塞が認められた。そのため,以降,被告は,Aに対し,採血,心電図,胸部レントゲン等の検査を定期的に行い,インデラル(不整脈治療薬),バファリン(解熱鎮痛剤),ジゴシン(狭心薬)等の薬剤を処方しながら,前記各疾患に対する治療を継続した。
 なお,被告は,Aからの頭が急にボーっとしたり,熱くなったりするという訴えを受けて,平成16年9月3日に,他院への診療情報提供書を作成し,検査を依頼した。Aは翌4日に他院でMRI検査等を受け,同検査の結果,Aの脳には慢性の微小梗塞(慢性微小循環障害に起因した高信号領域)があると診断された。(乙A1,6)
ウ 8月1日,Aは,両足背浮腫,腰痛,頻尿の精査を目的として,M医療センターに入院し,同月16日,M医療センターを退院した。退院後間もなく,Aに脱水症状や意識状態の低下等の症状が見られるようになったものの,Aは,被告の往診やN株式会社の訪問看護を受けるなどして,輸液等の処置を受けながら,自宅にて経過を観察していた。(甲A11,12,乙A1,6)
エ 9月9日午後9時頃,Aは,食事中に突然意識を失い,翌10日になっても目を覚ますことはなく,同月11日ころからは発熱も見られるようになったが,入院はせず,その後も自宅にて被告やN株式会社の看護師から輸液や抗生剤の投与などの治療を受けていた。(甲A12,乙A1,6)
オ 9月21日,原告らは,Aの容態に不安を覚えたことなどから,救急車を呼び,AをP病院に搬送してもらい,Aは同病院に入院することとなった。
 同病院での検査の結果,肺炎及び脳梗塞が確認され,入院後,これらに対する治療が行われたが,肺炎及び脳梗塞が改善することはなく,10月1日,Aは死亡した(甲A1,12,乙A1,6,7)

3 争点
(1) 脳梗塞の発症を見落とし入院加療指導を怠った過失の有無
(2) 脳梗塞の発症を見落とし入院加療指導を怠った過失とAの死亡との間の因果関係
(3) 損害額

4 争点についての当事者の主張
 別紙主張要約書のとおりである。

第3 当裁判所の判断
1 認定事実
 証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1) M医療センターへの入院
ア 7月31日,原告らは,Aの体調が優れないことから,被告に往診を依頼した。その際,Aは,被告に対し,7月22日,28日と改善傾向にあった腰痛が強くなり,歩くのも困難であると訴えた。被告は,Aの腰痛について,加齢による脊椎変形に伴う症状を疑ったが,腰痛の程度も弱いものではなく,以前に比して夜間頻尿の症状が増悪しており,便秘,浮腫等の症状もあったことから,他に重大な病気が隠れている可能性もあると考え,Aに対し,現症状の原因精査,疼痛治療のため入院を勧めた。Aは,被告からの勧めがあったことなどから,翌8月1日からM医療センターに検査入院をすることになった。(甲A11,乙A1,6,被告本人)
イ 8月1日,Aは,両足背浮腫,腰痛,頻尿の原因精査等の目的で,M医療センターに入院した。
 M医療センターでのMRV(MR静脈造影)検査等の結果,両足背浮腫の原因は,両総腸骨静脈血栓症,下腿深部静脈血栓症と考えられると診断され,これらに対し,ヘパリンの投与が開始されたところ,両足背浮腫は改善,消失した。なお,MRV検査の結果,両総腸骨動脈・内腸骨動脈に瘤が確認された。
 また,入院中,腰痛については,骨粗鬆症に伴う疼痛であり,頻尿は,神経因性頻尿と診断された。そして,腰痛に対しては,ボナロン内服,エルシトニン筋注が,頻尿に対しては,ブラダロンの投与が行われ,いずれについても改善傾向が認められた。(甲A12,乙A1,6)
ウ 8月16日,Aは,M医療センターを退院した。なお,退院後は,8月22日と24日にM医療センターの外来を受診することが予定されていた。(甲A11,12,乙A1,6)
(2)M医療センター退院後の経緯
ア 8月19日,被告は,原告から,AがM医療センター退院直後であり体力が弱っているため,M医療センターの外来には行けそうにないが,どのようにすればよいかとの連絡があったことから,状態が落ち着いているのであれば,自宅で少し様子をみて通院の時機をうかがうように指示し,それでも通院が難しいということであれば,被告がしばらくの間,往診に応じる旨を伝えた。(甲A11,13,乙A1,6,被告本人)
イ 8月23日,被告はAを往診し,その際,Aに尿失禁,発熱,不整脈,物忘れ傾向などの症状が確認された。被告は,発熱について,尿路感染症と考え,抗生剤を投与した。
 同月26日,被告がAのもとを訪れた所,Aの物忘れ傾向は進行しており,腰痛も強い状態であった。被告は,Aの既往歴等から,脳梗塞又は脳出血を疑い,再入院を勧めたが,原告らが入院に同意しなかったため,入院には至らなかった。(甲A11,13,乙A1,6)
ウ 8月28日の往診の際,原告らから,Aが昨日までは普通に話をしていたが,夜ころより眠っていることが多くなり,反応が鈍くなったとの話があり,被告が診察したところ,左半身の動きが低下しており,瞳孔反応も鈍く,強い不整脈等も認められたことから,被告は,Aの症状は,多発性脳梗塞発作,全身衰弱であると診断した。
 そこで,被告は,そのころ,原告らに対し,精査・治療のための入院の必要性を説明したが,原告らは,入院はAが一番嫌がっているので,原告らはその意思に従うとして,入院に反対の意思を示したため入院には至らなかった。
 なお,8月29日,N株式会社の訪問看護が開始され,G看護師がA宅を訪問した。被告が作成した同月29日付のN株式会社への訪問看護指示書・在宅患者訪問点滴注射指示書には,「主たる傷病名」欄に,「1)心房細動 2)深部静脈血栓症 3)腰椎すべり症」,と記載されており,また,「病状・主訴」欄に「腰痛(すべり症による)寝たきり状態となり,脱水症も含めて衰弱が増強している。」と,「療養生活指導上の留意事項」欄に「意識レベルが不安定となっている」と記載されている。(甲A4,5,甲A8の1,甲A11,12,乙A1,6,被告本人)
エ 8月30日,Aは,前日と同様,G看護師から点滴等の処置を受け,その後,被告の往診を受けた。被告が診察したところ,飲水量は増加している様子であり,発熱もなく,握力も含めて力が少し入るようになっており,排尿・排便も確認された。しかし,Aの意識レベルについては,はっきりとした改善は見られず,嚥下機能が低下していたこともあって,処方されていたジゴキシン,インデラルといった薬剤等の服薬も十分にはできていなかった。(甲A14,乙A1,6)
オ 8月31日,Aは,H看護師から,点滴等の処置を受け,9月1日もH看護師の訪問看護を受けた。同日,被告の往診も行われ,被告が診察したところ,Aの反応は比較的良くなっているものの,大きな改善は認められなかった。被告は,多臓器不全の可能性を考えたものの,腎機能は保たれていたことから,脳を中心とした循環障害による衰弱と判断した。(甲A11,12,14,乙A1,6)
カ 9月2日もH看護師による訪問看護及び被告による往診が行われた。往診の際,被告は,Aの経口摂取量の減少が確認されたことから,やはり入院が必要と考え,原告らに対し,入院が必要であること,入院をすればIVH(中心静脈栄養)もできることなどを説明したが,原告Dがこれに反対したことから,入院には至らなかった。そこで,被告は,エンシュアリキッド(経腸栄養剤)を使用することとし,同月3日,エンシュアリキッドをAのもとに届けた。(甲A11,12,14,乙A1,6)
キ 9月5日から同月8日は,被告の往診はなく,N株式会社による訪問看護のみが行われた。
 なお,同月5日付のN株式会社に対する訪問看護指示書・在宅患者訪問点滴注射指示書には,「主たる傷病名」欄に「1)心房細動 2)脱水症 3)全身衰弱」,「病状・治療・状態」欄には「腰痛のため寝たきり状態となり全身衰弱が著しい」,「療養生活指導上の留意事項」欄には「2次感染,脱水に留意」と記載されている。また,同月8日には,訪問看護に訪れたJ看護師により,Aに褥瘡が生じつつあることも確認された。(甲A8の2,甲A12,乙A1,6)
(3) 9月9日以降の経緯
ア 9月9日,被告がAを往診した際,Aは,被告の話しかけを理解をしているようであったが,意識レベルに変化はなく,傾眠傾向が続いている状態であった。
 同日午後9時ころ,Aは,食事中,急に眼を閉じベッドに寄りかかるように寝入ってしまい,翌10日朝になっても目覚めることはなかった。同日午前10時40分ころ,J看護師が,Aのもとを訪れ,点滴のための処置を行った。その後,J看護師は,原告らから点滴漏れがあるとの連絡を受け,同日午後3時ころ,再度A宅を訪れた。その際,原告らは,J看護師に対し,Aの容体の変化について被告に連絡するよう依頼し,J看護師から連絡を受けた被告は,A宅に急遽往診を行うこととした。同日午後5時45分ころ,被告がA宅に到着し,Aを診察したところ,Aは,反応がほとんどなく,瞳孔反応も鈍い上,経口摂取はほとんどできておらず,点滴を含めた水分の総摂取量も少なく,排尿もない状態で,昏睡に近い状態であった。被告は,Aの衰弱感が強かったことなどから,原告らに対し,入院治療を勧めたが,原告らの同意を得ることはできず,輸液を追加し様子をみることとなった。(甲A4,5,12,乙A1,6,被告本人)
イ 9月11日,K看護師がAのもとへ訪問看護に訪れたところ,体温は38.6℃で,肺雑音も確認され,K看護師は,点滴とともに,リンコシン(リンコマイシン系抗生剤)を筋肉注射を実施した。被告は,同日,往診を行い,Aを急性肺炎と診断した。
 なお,同日付の訪問看護指示書では,「主たる傷病名」欄に「1)心房細動 2)脱水症 3)全身衰弱」,「病状・治療・状態」欄には「意識レベル低下し,経口摂取は不可能となっている。」,「療養生活指導上の留意事項」欄には「2次感染予防と脱水留意」と記載されている。(甲A5,甲A8の3,甲A12,乙A1,6)
ウ 9月12日,H看護師が訪問看護に訪れ,前日と同様,点滴とともに,リンコシンの筋肉注射が実施された。なお,その際のAの体温は37.7℃で,両肺部で肺雑音も確認された。その後,被告の往診も行われ,Aの状態にほとんど変化はないものの,脱水傾向が悪化していることが確認された。
 同月13日,H看護師が訪問看護に訪れ,リンコシンの筋肉注射や点滴等の処置を行った。なお,同日のAの体温は38.3℃であった。(甲A12,乙A1,6,被告本人)
エ 同月14日,15日も,N株式会社による訪問看護が行われ,リンコシンの筋肉注射等の処置が行われた。なお,同月14日,被告は,Aのもとを訪れ,血管確保を行った。
 同月16日,被告はAを往診し,リンコシンの筋肉注射やバルーンカテーテルの設置等の処置を行い,Aの意識状態に変化はなく,衰弱がいっそう強まっていること,褥瘡が深くなっていることを確認した。(甲A9,11,12,14,乙A1,被告本人)
オ 9月18日,L看護師の訪問看護があり,リンコシンの筋肉注射,点滴等の処置が行われたが,その際のAの体温は36.5℃であった。なお,同日付の訪問看護指示書では,「主たる傷病名」欄に「1)心房細動 2)脱水症 3)全身衰弱」,「病状・治療・状態」欄には「意識レベル(反応ほとんどなし)」,「療養生活指導上の留意事項」欄には「脱水と2次感染予防」と記載されている。(甲A8の4,12,乙A1,6)
カ 9月19日,H看護師の訪問看護があり,リンコシンの筋肉注射等が行われた。その際,Aの体温は,前日の36.5℃から,37.1℃まで上昇していたが,肺雑音は確認されず,その後,体温は36℃台から37℃台で推移した。
 翌20日もH看護師の訪問看護があり,前日と同様にリンコシンの筋肉注射等の処置が行われた。(甲A12,乙A1,6)
(4) P病院への入院
ア 9月21日,原告らは,Aの容態について不安を覚えたため,救急車を呼び,AをP病院に搬送してもらって,救急外来を受診させたところ,胸部CT上肺炎が疑われ,同病院総合診療科に入院となった。そして,同日行われた頭部CT検査で,側脳室の中等度拡大,脳質周囲の深部白質・脳幹・両側視床内側領域・右後頭葉・右小脳半球白質に低吸収域が確認されたことから,同病院脳神経内科と総合診療科を兼科して診療を受けることとなった。
 なお,入院当日,原告らは,P病院の担当医師らに,Aが体中に穴を開けての延命措置は望んでいなかったこと,鼻から胃への高カロリー輸液は望まないこと,入院を継続しても診療効果が得られないと医師が判断した場合には,Aを自宅に引き取りたいことなどを伝えた。
 9月25日,頭部MRI・MRA検査が施行され,同検査の結果,脳底動脈血栓症による脳幹,視床,右後頭葉,右小脳半球などの急性期脳梗塞で,脳幹や視床の病変では出血性梗塞が生じていると診断され,また,原因については,Aに心房細動などの既往があり,高脂血症,高血圧の既往がなかったことから,脳梗塞は,心原性のものである可能性が高いと診断された(甲A12)
イ 入院後,Aに対しては,補液を行いながら,脳梗塞についてヘパリン及びグリセロール(製品名:グリセオール)の投与,肺炎についてメロペン(カルバペネム系抗生剤)の投与などの治療が行われたが,脳梗塞及び肺炎の症状が改善することはなく,Aの意識状態は,JCS(ジャパンコマスケール)200(痛み刺激で手足を動かしたり,顔をしかめたりする。)ないし300(痛み刺激に対し全く反応しない。)で推移し,10月1日,Aは死亡した。
 なお,P病院の診療六退院サマリーには,「平成18年9月9日午後8時食事中に突然意識障害をきたし,JCS200となったが,living willとして入院加療を拒否していたため,往診医による点滴・抗生剤投与のみで加療されていた。」との記載がある。(甲A1,12)

2 医学的知見
(略)

3 認定事実に関する補足説明
(1) 原告らは,AがP病院において急性期脳梗塞と診断される前には,被告はAに脳梗塞が発症した可能性があるとの診断をしておらず,脳梗塞の検査及び治療等のために原告らに対してAの入院を勧めたとの事実も,原告らが被告の勧めを拒絶したとの事実もないと主張し,脳梗塞の診断及び原告らに入院を勧めた旨の記載のある診療録(乙A1)はP病院における診断が判明した後に被告によって改ざんされたものであるとしてその信用性を強く争っている。
 そこで,被告による脳梗塞の診断,被告による原告らに対する入院勧告,原告らによる入院拒絶に関する事実が含まれる(1)8月26日,28日,(2)9月2日,3日,(3)9月10日の診療内容等について,上記1のとおりに認定した理由を補足説明し,併せて(4)被告による診療録の改ざんの有無についても付言しておくこととする。
(2) (1)8月26日,28日の診療内容等について
ア まず,原告Dの供述及び陳述書(甲A11)によれば,被告が,8月28日にAを往診したこと,原告CがAの手足の動きが悪く,腕に麻痺があり,呂律が回らないように感じる旨を被告に伝えたことが認められる。
イ 次に,被告が診療報酬請求のために作成した,Aに関する平成18年8分の診療報酬明細書(甲A4)には,平成18年にAに発生した傷病名と診療開始日について「(8)腰痛症 18年7月22日」,(9)骨粗鬆症 平成18年8月23日」,「(10)尿路感染症 平成18年8月23日」,「(11) 多発性脳梗塞発作 18年8月28日」,「(12)全身衰弱 18年8月28日」との記述が印字されていることが認められる。
 そして,診療報酬明細書には,医療機関で記載する請求点数の欄のほか,報酬として適切と認められた決定点を記載する欄があることなどからすると,診療報酬明細書は,診療報酬請求のために,請求点数を集計して作成され,毎月定期的に公的機関に提出されてその控えが病院で保管されているものと認められ,提出済みの診療報酬明細書控え等に医師が改ざんを加えることは,提出済みの診療報酬明細書との間に齟齬が生じ,改ざんが容易に発覚することに照らすと,およそ考え難いというべきであるから,平成18年8分の診療報酬明細書は,「多発性脳梗塞発作 平成18年8月28日」の部分も含め,甲A第4号証と全く同じ内容のものが,被告が診療報酬を請求した平成18年9月ころには,既に作成されていたものと認めるのが相当である。
 また,前記2(1)のとおり,心房細動は脳梗塞発症のリスクを高める危険因子であるところ,Aは心房細動の治療を受けていて脳梗塞を発症しやすい素因を有しており,被告はそのことを認識していたこと(第2の2(2)ア),被告は,Aの意識がはっきりしない場合やAから頭が急にボーッとしたりするという訴えを受けた場合には,速やかに頭部MRI検査を依頼しており,被告は従前から脳梗塞の可能性を念頭に置いてAの診療に臨んできたこと(第2の2(2)イ),そのような状況下で,被告は,前記1(2)イのとおり,8月23日には,Aに物忘れ傾向が生じており,同月26日にはAの物忘れ傾向が更に進行したことを確認し,8月28日には上記のとおり,Aの呂律が回らないように感じることなどを告げられたことなどからすると,被告は,8月26日にAについて脳梗塞又は脳出血を疑い,8月28日にはAに脳梗塞が発症している可能性があると考えたものと認めるのが合理的である。
 以上によれば,被告は,8月26日の時点でAに脳梗塞又は脳出血の疑いがあり,同月28日の時点でAに多発性脳梗塞発作が発生している可能性があると診断したと認めるのが相当である。
ウ そして,原告らが改ざんがあったと指摘する8月28日の診療録の記載のうち,被告が当日往診をしたこと,Aの反応が鈍かったこと,被告が多発性脳梗塞発作を疑った等の基本的な事実関係が,上記のとおり,原告らが被告による改ざんであると主張せず,かつ,改ざんの可能性も考え難い診療録の記載部分及び原告D自身の陳述書によってい裏付けられている以上,8月28日の診療録の記載全体についてもその信用性を肯定することができるというべきであり,これによれば,8月28日の被告の診断内容は前記1(2)ウのとおりであると認定することができる。
 なお,原告Dは,8月28日の被告の診療内容について,被告から脳梗塞という言葉が出たことはなかった,原告らが被告にAの脳梗塞の可能性を尋ねたものの,被告はこれを否定した旨供述するが,上記認定に照らし採用することができない。
エ また,8月28日の診断内容が多発性脳梗塞発作という生命に危険が生じるおそれのある病気が生じた可能性を疑わせるものであること,脳梗塞の確定診断のためには,CT,MRIの画像診断が必要であるところ,被告医院にはこれらの装置が装備されていないこと(被告本人)などからすれば,原告らに対して検査及び治療の目的で入院の必要性を説明することは,医師である被告の行動として合理的というべきであり,逆にこのような診断をしながら入院の必要性を説明しないということはおよそ考えられないということも,前記認定を支える事情ということができる。
 さらに,被告が作成した平成16年9月3日付け診療情報提供書中の「本人は夜間には家に帰ってきたいとのことでなかなか厄介な方です。」との記載(乙A1の23頁)のほか,Aが体中に穴をあけての延命措置は望んでおらず,入院を継続しても診療効果が得られないと医師が判断した場合にはAを自宅に引き取りたい等のP病院入院当日の原告らの担当医師に対する説明内容(前記1(4)ア),living willとして入院加療を拒否していた旨のP病院の診療録退院サマリーの内容(前記1(4)イ)はいずれも,Aが従前から入院加療を嫌がっていたことから,この意を受けた原告らが,被告による入院の必要性の説明に対して,入院に反対の意思を示したとの前記認定を裏付ける事情というべきである。
(3) (2)9月2日,3日の診療内容等について
ア まず,原告Dの供述及び陳述書(甲A11)によれば,被告が9月2日にAを往診したこと,同月3日に被告がAのもとにエンシュアリキッド(経腸栄養剤)を届けたことが認められる。
イ 次に,前記1(2)エ認定のとおり,8月30日にはAの嚥下機能が低下していたこともあって薬剤の服用が十分にできていなかったことからすると,9月2日の時点において,Aの経口摂取量が減少していたという状態が確認されたことは事実経過として合理的というべきである。
 そして,経口摂取量が減少している中で,被告がAの栄養状態を維持する手段として中心静脈栄養(IVH)を勧めることは治療手段の選択として自然かつ合理的というべきであるところ,前記1(4)アのとおり,原告らはP病院の医師に対して,入院当日に鎖骨付近の血管からの高カロリー輸液は望まない旨を述べており,Aに対する栄養補給方法として中心静脈栄養があることを知りながらあえてこれを拒絶する意思を明確に示したとの事実は,9月2日に被告がAに対する栄養補給方法として中心静脈栄養を勧め,原告Dがこれを拒絶したとする診療録の記載の信用性を裏付けるものである(なお,被告医院に勤務していた看護師である証人Rは,被告が原告Dに対し,Aの入院を勧めたにもかかわらず,同原告がこれを拒否した現場に居合わせたことがあり,被告が原告らに対し,このままでは栄養の経口摂取ができなくなり,全身が衰弱するので,入院して高カロリー輸液による改善に努めた方がよいと説明しているのを聞いたことがあると証言している。)。また,中心静脈栄養は,通常,患者を入院させて行う措置であり,それまで在宅のAに対する措置としては行われていなかったことからすれば,このとき,被告が原告DにAの入院を勧め,原告Dがこれを拒絶したとの診療録の記載についても,同様に信用できるというべきである。
 これに対し,9月2日には,被告から中心静脈栄養もできるから入院したらどうかという具体的な勧めはなかった旨の原告Dの供述は,上記認定に照らし採用できない。
 以上によれば,9月2日,3日の診療内容は,前記1(2)カのとおりであると認定することができる。
(4) (3)9月10日の診療内容等について
ア まず,原告Dの供述及び陳述書(甲A11)によれば,Aが9月9日午後9時ころ,食事中に眼を閉じベッドに寄りかかるように寝入ってしまい,10日の朝になっても目覚めることがなく,意識が戻らない状態は同日夕方の時点でも続いていたこと,同日午後5時45分ころ,被告がAの往診をし,Aの血圧と脈拍,眼の状態を見たこと,輸液の調整をしたことが認められる。
イ そして,前記(2)で説示したとおり,被告は8月28日の時点ではAに多発性脳梗塞が発生している可能性があると認識していたこと,9月9日,9月10日のAの容態の変化は脳に重大な病変が発生していることを疑わせる異常なものであったことは,被告が原告Dに対して入院治療を勧めたものの原告Dが家で面倒をみるとして同意しなかったとの診療録の記載の信用性を裏付けるものということができる。
 なお,原告Dは,9月10日の被告の往診時に,被告から入院等を勧められたことはなく,しばらく様子をみようと言われたのであり,原告らが家でAの面倒をみるなどと述べたことはなく,被告は,Aの容体をみて驚き,オロオロとした落ち着かない様子であり,その様子を見て,Aに異常な事態,大変な事態が生じていることを認識し,被告に説明を求めたが,被告からは何ら具体的な回答を得られなかったと供述するが,仮にそうであるならば,少なくとも,被告に対し更に具体的な説明や対応策を求め,それでも納得のできる回答等が得られない場合には,自らが救急車を手配するなどして,速やかにAを入院させる手続きを取ったものと考えられる。ところが,原告らは,翌11日にはK看護師およびH看護師からAの容体が急変する可能性があると聞いたにもかかわらず,その後も,同月21日に至るまでAの入院に関して何ら具体的な行動をとらなかったのであって,このような原告らの行動は,原告Dの上記供述内容を前提とすると極めて不自然というべきである。また,原告Dは,9月19日の夕方には,原告Eの知人である看護士から,このままではAの状態は良くならない旨指摘され,これ以上被告やN株式会社の訪問看護に頼ってはならないことを感じ取り,入院することを決めたとしながら,翌20日に入院させるのではなく,丸一日以上が経過した9月21日になってはじめてAを入院させたのであって,この点もやはり不自然というべきである。
 したがって,原告Dの供述は採用することができない。
ウ 以上によれば,9月10日の診療内容は前記1(3)アのとおりであると認定することができる。
 なお,原告Dは,その供述及び陳述書(甲A11)において,被告は原告らに対し,8月28日に「再入院して治療するか,それとも自宅療養を続けるか。」と尋ね,9月17日に「(Aの治療方針について)今後どうしますか。」と尋ねたこと以外に,Aの容体について具体的な説明をして,同人について入院を勧めたことはなく,原告らが入院を拒否したこともないと供述し,その供述の信用性を裏付ける証拠として,同原告作成のメモ,日記等の書証(甲A第13号証ないし第16号証)を提出している。しかし,被告が原告らに対し,Aの入院を勧めていたにもかかわらず,原告らがこれを拒否していたことは前記認定のとおりであることのほか,甲第13号証及び第16号証はパソコンにより作成されたものであり,甲第14号証及び第15号証は鉛筆書きであって,いずれも事後にその書き換えが可能なものであること,甲第14号証及び甲第15号証については,文字が掠れているなど,実際に書き替えが行われたのではないかと疑われる箇所が複数存在することなども認められるところであり,これらを併せ考えると,甲A第13号証ないし第16号証が原告Dの上記供述部分の信用性を支えるものとはいうことができない。
(5) (4)被告による診療録の改ざんの有無について
ア 原告らは,7月31日以降の診療録の記載が不自然に詳細になっていること,被告が往診を行ったとする日に往診料の保険点数が計上されておらず,原告らにも往診分の診療報酬請求がされていないこと,9月10日以前にCT検査等を行うことなく脳梗塞と診断した旨の記載があることを根拠に,被告によって診療録の改ざんが行われたと主張する。
イ まず,診療録の記載が7月31日以降詳細になっていることについて,被告は,7月31日に被告がAに対し入院を勧めた際,原告らが医師である被告の勧めには従わず,医師でない第三者からの勧めにより,Aを入院させることにした旨の連絡を受けたことから,原告らを不審に思うようになり,以降診療録に詳細な記載をするようになったと述べている。医師が患者又はその家族の対応に不信感を持った場合に,診療録の記載を詳細にすることは後日の紛争に備えた対応として十分考えられるところであり,7月31日以降の診療録の記載が詳細であることをもって,被告が診療録の改ざんしたと認めることはできない。
 次に,保険点数・診療報酬との齟齬についても,診療報酬請求上の点数上,往診料は,計画的に患者の下に赴いて診療を行うものではなく,急な対応が必要になった場合に行うものであるから(乙A8,乙B1,証人Q),実際に往診した回数が多数回にのぼる場合に,全てを往診として扱うことは困難であるとして,診療報酬の請求の際には,実際には往診を行っていても,往診とは扱わず,往診の診療報酬を請求しないとの取り扱い自体は,特段不自然なものとはいえない。そして,そうした取り扱いをすれば,実際の往診日と保険点数(診療報酬請求の点数)の計算に齟齬が生じ,その結果診療報酬請求との間に齟齬が生じることも十分考えられるところである。また,被告は,看護師や事務員が出勤していない休日や日中の診療が終了した後にも,Aのもとを訪れることがあり,そのような場合には,看護師や事務員が往診の事実を正確に把握できないという事態が生ずることも考えられるところであって,このような場合にも齟齬が生じる可能性を否定できない(乙A8,証人Q)。したがって,保険点数・診療報酬との間に齟齬があることをもって被告が診療録の改ざんをしたと認めることはできない。
 さらに,診療録の8月21日の欄に「再梗塞の疑い十分にあり」,26日の欄に「脳梗塞か脳出血?検査必要」,28日の欄に「診断 脳梗塞発作(多発性)」と記載していること(乙A1)については,8月26日の時点でAに脳梗塞又は脳出血の疑いがあり,同月28日の時点で被告がAに多発性脳梗塞が発生した可能性があると診断していたことは前記(2)認定のとおりであり,8月26日以前の段階においても,Aは脳梗塞のリスク因子である心房細動(甲B4)の既往があったこと,第2の2(2)イのとおり,以前,Aは陳旧性多発微小脳梗塞と診断されていること,前記1(2)イのとおり,8月23日ころから,Aに痴呆の症状が確認されるようになったことからすると,被告がAついて脳梗塞の発症を疑うこと自体は十分考えられるところである。したがって,9月10日以前に脳梗塞と診断した旨の記載があることをもって,被告が診療録の改ざんをしたものとはいえない。
ウ 以上に加え,被告医院では,診療録は記載する都度,事務員が関係書類等を糊で貼り付けることとなっており(証人Q)診療録の改ざんを行うにはこれらを剥がす必要があるため改ざんの痕跡が残りやすいこと,被告は,訪問看護を依頼するに当たって,N株式会社にAに関する診療情報を提供しており,診療録の改ざんを行った場合,診療録の記載とN株式会社に提供した情報との間に齟齬が生じる可能性があることからすると,被告が診療録の改ざんを行ったとしても,発覚する可能性が高いことは明らかであるにもかかわらず,あえて被告が診療録の改ざんを行うということは考え難いというべきである。
 また,本件では診療録(9月10日欄)に,事務員であるQによる記載もなされている(証人Q)ところ,医療事務受託会社である株式会社Sから派遣されていたQが被告の改ざんに協力するとも考えがたいところである。
エ 以上のとおりであり,被告が診療録の改ざんを行ったとの原告らの主張は採用することができない。

4 争点(1)(脳梗塞の発症を見落とし入院加療指導を怠った過失の有無)について
(1) 原告らは,被告が9月10日の往診時に,Aが脳梗塞を発症した可能性があることを認識し得たにもかかわらず,脳梗塞の発症を見落とし,栄養剤,抗生剤を投与するほかは,何ら治療を行うこともなく,漫然と点滴治療を継続し,入院加療指導を怠ったと主張する。
(2) しかしながら,前記1(2)ウのとおり,8月28日に被告はAの症状が多発性脳梗塞発作である旨診断して,そのころ入院の必要性を説明したが,原告らがこれに反対したこと,前記1(2)カ,1(3)アのとおり,9月2日と10日にも原告らに対しAの入院を勧めているのであるから,被告に脳梗塞の発症を見落とし,入院加療指導を怠った過失があるとは認められない。
(3) なお,被告は,9月10日以降,脳梗塞に対する治療は行っていないが,9月10日の時点でAに対して行うことのできる脳梗塞に対する治療は,グリセロールやヘパリンの投与であると考えられるところ,前記2(2)カのとおり,グリセロールは,心臓・循環器系機能障害のある患者や高齢者には慎重投与とされており,ヘパリンについても出血合併症の危険があるとされている。これらの薬剤の特性・危険性等に照らすと,被告の往診やN株式会社の訪問看護がなされているとはいえ,在宅では十分な管理ができないことは明らかというべきであり,被告がAについて脳梗塞の治療を行っていないことをもって不自然・不合理ということはできず,この事実をもって,被告がAに脳梗塞が発症した可能性があることに気づいていなかったことを示す事実とは認められない。
 また,被告は,N株式会社の看護師への訪問看護指示書・在宅患者訪問点滴注射指示書に,Aに脳梗塞が疑われる旨の記載をしていないが,N株式会社の看護師において脳梗塞の治療行為として行うべき措置等はなく,訪問看護指示書等に脳梗塞についての記載をする必要があったとまではいえない。したがって,上記訪問看護指示書・在宅患者訪問点滴注射指示書に脳梗塞との記載がないことも,被告がAに脳梗塞が発症した可能性があることを認識していなかったことを示すものとはいえない。
(4) 以上によれば,被告に脳梗塞の発症を見落とし入院加療指導を怠った過失があるとする原告らの主張は採用することができない。

5 争点(2)(脳梗塞の発症を見落とし入院加療指導を怠った過失とAの死亡との間の因果関係の有無)について
 上記のとおり,被告に脳梗塞の発症を見落とし入院加療指導を怠った過失があると認めることはできないが,念のため,争点(2)についても判断しておくこととする。
(1) 原告らは,Aが,9月10日午後5時45分に被告が往診した時点で適切な病院に搬送していれば,グリセロールやアスピリン,エダラボンの投与など,脳梗塞急性期の治療を受けることによって脳細胞壊死を最小限に食い止め,一時的な意識障害を脱し,軽度の後遺障害を残すのみで転帰又は軽快できた可能性が極めて高く,そして,Aの意識障害が一時的なものに止まっていれば,Aの全身状態及び嚥下機能の低下は避けられ,Aが誤嚥性肺炎を発症することもなかったのであるから,10月1日の時点でAが死亡するという結果は生じなかったと主張する。
(2)ア 確かに,グリセロールやアスピリン,エダラボンの投与等は,脳梗塞急性期の治療として推奨される治療方法とされている。
 しかし,前記2(2)オのとおり,エダラボンの投与は,脳梗塞発症後24時間以内の患者に対し行われる治療であるところ,高齢者や心疾患のある症例には慎重投与とされていることのほか,前記1(3),(4)で認定した事実によれば,9月9日午後9時ころ,Aに脳梗塞が発症したものと認められるが,被告が9月10日に往診したのは,発症から約21時間が経過した後のことである。そこから病院に搬送する時間,搬送後に搬送先医療機関において各種検査等を行う時間等を考慮すると,9月10日の往診時にAを適切な医療機関に搬送する手続きがとられていたとしても,搬送先医療機関においてAにエダラボンの投与によって,Aの症状がどの程度改善したかも明確でない。)。
 また,9月10日にAが入院することとなった場合には,グリセロールやアスピリンの投与が行われたと考えられるとしても(ただし,グリセロール(グリセオール)は心臓,循環器系機能障害のある患者には慎重投与とされており,高齢者に投与する際には,水・電解質異常に留意し,慎重に投与することとされている。),グリセロールやアスピリンの投与によって,どの程度の症状の改善が期待できるのかなどについては,本件証拠からは不明といわざるを得ず,原告らの主張するように,上記治療法により,Aが一時的な意識障害を脱し,軽度の後遺障害を残すのみで転帰又は改善した可能性が高いと認めることはできない。
 なお,原告らは,上記主張の根拠として,前記2(3)のとおり,心原性脳梗塞であっても,死亡に至るという重篤な結果に至るのは全体の約12%とされており,大半の患者は退院して通常の日常生活,又はそれに準じた生活を送れる状態に転帰していることを挙げる。
 しかしながら,上記報告によっても,ベッド上での生活となり,失禁があって,常に看護や注意が必要な状態となった者が全体の19%おり,これと死亡とを併せると,全体の30%を超えているのであって,死亡又は非常に重篤な後遺障害が残る可能性は決して低いものではない。
 さらに,上記報告にかかる統計には,平成17年に保険適応となったt−PA治療が行われた患者は含まれていないものの,発症からの経過時間からすると,Aに適応のなかった経動脈的血栓溶解療法が施行された患者が含まれていると考えられること,原告らが根拠とする上記報告には,年齢が比較的若く体力のある患者や入院時の脳梗塞の症状の軽い患者なども含まれていると考えられるところ,当時,Aは86歳と高齢であり,9月10日の被告の往診時に,既に意識がない状態であり,脳梗塞の症状としては重症であったこと,Aの状態は,9月9日の急変以前でも全身衰弱が著しい状態であったことなどからすれば,多くの患者が退院して通常の日常生活又はそれに準じた生活を送ることのできる状態に転帰しているという統計の結果をそのまま当てはめて,Aがそのような状態にまで改善した可能性が高いという結論を導くことはできないというべきである。
イ また,仮に前記治療によりAの意識障害が一時的なものに止まっていたとしても,9月10日の急変以前に,Aは経口摂取が困難となっており,全身衰弱も著しかったことなどからすると,入院中は,寝たきりの状態で,経管栄養チューブによる管理が行われたと考えられる(なお,前記1(4)アのとおり,中心静脈栄養については,原告らがその施行を拒否していることから,行われなかったものと認められる。)が,前記2(4)アのとおり,寝たきり患者では仰臥位にあるため,口腔・咽頭分泌物に加え,胃液の不顕性誤嚥を生じやすく,また,経管栄養チューブの存在は,下部食道括約筋の機能を阻害して更に誤嚥を生じやすくなるとされているところである。そうすると,Aの意識障害が一時的なものに止まったとしても,やはり誤嚥性肺炎を発症した可能性は高いというべきであり,誤嚥性肺炎の発症を回避できたとは認められない。そして,前記1(3)イないしオのとおり,Aに発熱が確認された9月11日からP病院に入院した同月21日までの間にも,9月17日を除き,被告及びN株式会社の看護師らによって,リンコマイシン系抗生剤であるリンコシンの筋肉注射が行われ,9月18日,19日には解熱し,肺雑音も消失するなど,P病院への搬送前にも,Aの肺炎に対する一定の治療はなされていること,P病院に入院後,肺炎に対する治療としてメロペンの投与等が行われているが,Aの症状に改善は認められなかったこと,前記2(4)アのとおり,不顕性誤嚥に伴う誤嚥性肺炎の予後は不良であるとされていることなども併せ考えると,仮にAが9月10日に入院し治療を受けていたからといって,誤嚥性肺炎が軽快したとはいえず,10月1日の死亡の結果が回避できた高度の蓋然性があるとは認められない。
(3) 以上によれば,Aを9月10日に入院させていれば,10月1日の時点での死亡を避けることができたということはできないから,仮に,原告らの主張するように,被告に脳梗塞の発症の見落とし入院加療指導を怠った過失があるとしても,その過失とAとの間に因果関係があるとは認められない。

6 結論
 以上のとおりであり,原告らの請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第34部
裁判長裁判官 村田渉
裁判官 松本展幸
裁判官 小野本敦


主張要約書

第1,第2 (略)

第3 損害額
(原告らの主張)
1 Aの損害
(1)逸失利益
ア 基礎年収
 Aは,生前,年間102万7800円の老齢基礎年金を受領していた。
 また,Aは,生前,株式会社Tの代表取締役を務めており,同社から年間60万円の役員報酬を受領していた。
 したがって,Aの逸失利益算定の基礎とされるべき基礎年収額は,これらの合計額である162万7800円である。
イ 平均余命年数に対応するライプニッツ係数
 Aは,死亡した10月1日当時,86歳であったから,その平均余命年数は7年であるところ,平均余命年数7年に対応するライプニッツ係数は,5.7864である。
ウ 生活費控除率
 Aの逸失利益を算定するにあたり,生活費控除率は30%とされるべきである。
エ 結論
 よって,Aの死亡による逸失利益は以下の算定式により,659万3371円が認められるべきである。
 (算定式)
 162万7800円×5.7864×(1−0.3)=659万3371
(2) 死亡慰謝料
 Aは,86歳という高齢に達していたものの,平成18年6月ころまでは極めて健康で,日常生活や会社の伝票付け等も自らこなすほどで,100歳まで元気に過ごすことを目標に日々生活していた。
 Aは,8月16日にM医療センターを退院した後,被告の「無理にM医療センターでの外来診療を受けなくてもよい。」との助言にしたがって,被告の往診を受けることとしたのであるが,その際も体力が回復して日常生活を送れるようになるのを心待ちにし,被告にも「助けてください」と言っていたほどであった。
 Aが脳梗塞を発症した翌日である9月10日に被告が往診に訪れた時点で,直ちに精密検査及び適切な治療が受けられる病院に搬送すべきとの判断を被告が行っていれば,Aの脳梗塞に対する治療が行われ,肺炎等も発症せず,通常の社会生活を営める程度に回復したはずであったのに,被告の誤診によって,最愛の家族と再び言葉を交わすこともできないまま生涯を終えざるを得なかったAの無念は計り知れない。
 よって,Aの死亡慰謝料として2400万円が認められるべきである。
2 原告ら固有の損害
(1) 原告ら固有の慰謝料
 原告らは,母であるAを敬愛し,いつまでも元気ですごしてくれることを願い,また母の元気な姿を喜びとして日々生活してきた。原告らは,病院での入院治療を望まなかったAの意向になるべく従いながらも,Aの病状が回復するのに最善の措置をとることを望んでいたのであるが,被告からAの病状やその原因について十分な説明を得られなかったために,ただひたすら被告の往診を受けながら自宅療養によってAの介護を続けるという途しか選択する余地を与えられず,必死の介護を続けてきた。平成18年9月21日にP病院でAが肺炎や脳梗塞といった多数の病気の診断を受けたことを知り,Aに十分な治療を受けさせられなかった原告らの無念と悲しみは計り知れない。特に,Aと同居していた原告Dは,Aの回復を信じて,9月9日に昏睡状態に陥ったあとも,四六時中付ききりでAの介護を続けてきたのであって,最愛の母を失った悲しみは他の原告にも増して著しいものがある。
 したがって,Aの死亡による原告ら固有の慰謝料は,原告Dにつき200万円,その他の原告らにつき100万円が認められるべきである。
(2) 葬儀費用(原告Dの損害)
 原告らは,Aの死亡後にAの葬儀を執り行ったところ,原告Dは原告らを代表してAの葬儀費用を支払った。原告Dが負担した葬儀費用は860万円余りに上るが,このうち150万円は相当因果関係ある損害として認められるべきである。
(3) 弁護士費用
 原告らは,本件訴訟の提起及び追行を原告ら代理人に依頼したところ,これに要する弁護士費用のうち,少なくとも損害額の1割が相当因果関係ある損害として認められるべきであり,その金額は,原告Dにつき110万円,その余の原告らにつき85万円となる。
3 原告らによる相続
 原告らはAの子であり同人の相続人であるところ,原告らの法定相続分は各4分の1である。よって,Aの損害額について原告一人あたりの相続により取得した金額は,764万8342円(1円未満切り捨て)となる。
4 結論
 したがって,原告らの損害額は,原告B,原告C,原告Eにつき949万8342年,原告Dにつき1224万8342円となる。
(被告の主張)
 争う。


[御意見簡易送信窓]批判・激励・文句,なんでも歓迎。

2022年4月以降に動作ドラブル起きていることが判明しました。
現在復旧を試みています。ご連絡の方はツイッターなどをご利用ください。
その後にメッセージをお送り頂いた方には、深くお詫び申し上げます。(2022/11/3記す)

 メール(任意)
 名前(任意)

本文公開可 非公開希望 私信

確認欄←ここに""と入力してから、「OK」を押してください