十日町病院術中死訴訟・二審高裁判決文

(事件概要はこちら、二審高裁黒岩意見書抜粋はこちら、最高裁判決文はこちら)

平成19年1月31日判決言渡
平成17年(ネ)第5782号(原審・東京地方裁判所平成11年(ワ)第22713号)

主文
1 原判決を取り消す。
2 飛行訴人は、控訴人らに対し、それぞれ476万6666円及びこれに対する平成9年6月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は、第1、2進を通じてこれを3分し、その1を被控訴人、その余を控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人らに対し、それぞれ1422万1880円及びこれに対する平成9年6月10日から支払済みまで年5部の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。

第2 事案の概要
1 本件は、控訴人らの母であるAが、被控訴人県立十日町病院(以下「被控訴人病院」という。)において左大腿骨の人工骨頭置換手術(以下「本件手術」という。)の施術中に心停止となり志望したことについて、同病院を設置・管理する被控訴人に対し、Aが死亡したのは、(1)被控訴人病院の麻酔薬の過剰投与及び不適切な血圧管理、(2)不適切な蘇生措置、(3)緊張性気胸の見落とし並びに(4)心肺蘇生後の不適切な措置によるものであるとして、不法行為(使用者責任)による損害賠償請求権に基づき、それぞれ、1422万1880円及びこれに対する 平成9年6月10日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める事案である。
 原審は、控訴人らの請求をいずれも棄却したため、控訴人らが控訴した。

2 前提となる事実、争点及び争点に関する当事者の主張は、原判決の「事実及び理由」第2の3中の各控訴人らの主張に「午後2時20分ころ」とあるのを「午後2時20分ころ(正しくは午後2時18分ないし19分)」と改め(原判決3頁23行目、12頁3行目及び同頁8行目)、当審における控訴人らの主張を付加するほか、原判決の「事実及び理由」第2の1ないし3に摘示されたとおりであるから、これを引用する。

(当審における控訴人らの主張)
 被控訴人の医師らの注意義務違反の内容について、原判決の「事実及び理由」第2の3においててきじされたほか、以下の通り主張する。

ア 麻酔薬の投与について
 塩酸メピバカインの極量は体重1kgあたり7mgであるところ、本件ではこれを超える量を投与しているので過剰な投与である。
 塩酸メピバカインの投与に先立ち、テストドーズとして全身麻酔前の患者の意識のあるうちに少量を投与して、麻酔の効果を確認すべきであるのに、これを行っていない。
 Aに投与された複数の麻酔薬は、併用による相乗の効果を考慮すると過剰であった。

イ 血圧管理について
 顕著な血圧の下降が認められた以上は、必ずしも必要ではなかったプロポフォールを早めに中止し、ラクトリンゲル液の点滴速度を速めたり、もう1本の静脈路を確保して代用血漿剤を投与するなど血圧の急墜の防止に努める必要があり、投与する昇圧剤は、抹消欠陥収縮作用のない塩酸エチレフリンではなく、新拍出量を増加させる短時間作用性のエフェドリンを投与すべきであった。

第3 当裁判所の判断
1 本件手術の経緯について
 本件手術は、平成9年6月10日午後1時15分ころから行われ、Aは、午後2時20分ころに血圧の測定が不能になり心停止した(以下「1回目の心停止」という。)後、心肺蘇生措置を受けて心拍が再開し、自発呼吸も回復したものの、再び心停止し(以下「2回目の心停止」という。)、同日午後7時53分ころ死亡したものである。本件手術の経緯については、原判決の「事実及び理由」第3の1に説示するとおりであるから、これを引用する(正、原判決20ページ4行目の「その後」を「その後4,5分して」に、21頁7行目の「点滴静注」を「静注」に、22頁16行目の「1度目の心停止後、心肺蘇生措置」を「午後2時20分ころから、血圧の異常な低下に対応する措置及び心肺蘇生措置」にそれぞれ改め、同頁18行目の「約20回」を削除し、同頁20行目の「薬20回」を「約20回」と、それぞれ改める。)。なお、同日午後1時20分から午後4時30分までの経過を時系列に従って列記すると、次のようになる(左は同日午後の時刻を、**-**・**は、最高血圧mmHg-最低血圧mmHg・脈拍を示す。)。

1:20 152-86・86
1:25 146-76・82 ベクロニウム4mg静注 ガス(笑気60%・酸素)吸入
プロポフォール80mg静注 (~1:35)
1:30 130-82・68
1:35 115-80・63 プロポフォール7.5mg/kg/時静注(持続投与)
2%メピバカイン液2ml硬膜外腔へ注入(テストドーズ)
塩酸ケタミン45mg静注
塩酸ケタミン0.75mg/kg/時静注(持続投与)
1:37 75-45・− 昇圧剤塩酸エチレフリン2mg静注
1:40 118-80・63 ガス(笑気70%・酸素)吸入
2%メピバカイン液18ml硬膜外腔へ注入
1:45 104-62・66
1:48 80-50   昇圧剤塩酸エチレフリン2mg静注
1:50 115-54・94
1:55 82-35・75 昇圧剤塩酸エチレフリン2mg静注
執刀開始
2:00 78-40・75
2:05 90-42・80 昇圧剤塩酸エチレフリン10mg・塩酸メトキサミン10mg点滴静注
2:06 このころまでに骨切り、大体骨頭取り出し
2:10 112-55・78
2:15 80-44・76 これまでに大体骨髄腔拡大・研磨
ここまでの呼吸状態は正常(酸素飽和度96%以上)
2:20 ----・74 血圧の測定が不能となる 心室性期外収縮頻発
麻酔薬投与中止
気道の確認
純酸素吸入
昇圧剤の点滴注入速度の増大
このころ 2:22 心室細動(事実上の心停止)
アドレナリン、ノルアドレナリン及びイソプロテレノールの投与
手術創縫合
気管内挿管
心臓マッサージ(~2:50)
強新薬の投与(約20回)
除細動
重炭酸ナトリウムの投与 等
2:50 脈拍触知
2:51~血中酸素分圧95.5~118.6mmHg(通常は650~700mmHg)
3:05 副腎皮質ホルモン静注
4:00 洞性調律を示す。
4:05~ 80-20
4:15 咽頭反射あり
4:30 自発呼吸回復

2 本件医療行為とAの死亡の原因
(1) 前期事実関係及び証拠(甲24、E)によれば、Aは、本件骨折の前、骨粗鬆症が認められる以外は健康状態は良好であり、本件骨折による入院日の翌日である9.6.6から本件骨折前まで、脱水予防と尿量の維持のため1日1000mlの輸液(ラクトリンゲル500ml、ポタコールR(糖質・電解質輸液)500ml)を受け、9.6.9の尿量は1700mlあり、同月10日の手術当日には、脱水・貧血状態にはなく、血圧、脈拍、体温等の全身状態のバイタルサインも良好であり、本件手術への適応を有していたことが認められる。ところが、Aは、本件手術中に心停止を生じ、蘇生措置に関わらず死亡したというのであるから、死亡の原因は本件手術に求めるほかない。そして、本件手術は、B医師による執刀とC医師による麻酔からなり、心停止の原因につき、控訴人らはC医師の麻酔の過誤(方法、投薬等)が基本的原因であり、その後の蘇生措置等の不手際(過失)により死に至ったと主張し、被控訴人は、これを否認し、B医師の執刀術に伴う電撃型脂肪塞栓を死因であるとする。Aの死亡については、これ以外の原因の存在が想定されないものではないが、当事者の主張を前提とする限り、上記各死因について検討することが相当である。

(2) 麻酔の方法、麻酔薬の投与について
ア 本件で投与された麻酔薬は全身麻酔薬と硬膜外腔へ注入された硬膜外(局所)麻酔薬に分かれる。
 局所麻酔と全身麻酔を併用したことは、一般的にも行われている麻酔方法であり(甲52、78)、手術による苦痛を嫌うAの希望にも沿うものであって、これを不適切ということはできない。また、効用及び効果期間の異なる麻酔を組み合わせて使用することも、一般的に行われている麻酔方法であり(乙59及び同添付資料の各文献)、これを不適切な方法と認めるべき証拠はない(なお、血圧への効果において、塩酸ケタミンはプロポフォールとは逆行している(乙53)。)。
 なお、局所麻酔の外に数種の薬剤による全身麻酔を併用することは、各薬剤の効能に応じた苦痛の除去が可能というだけでなく、相互に各薬剤の量を減らすことができるという利点がある(甲16,17,63,64、乙6等)反面、各種薬剤の複合効果による影響(特に血圧低下)に留意を要するものとされている(甲39,56,57)。

イ プロポフォールは、全身麻酔の導入、維持に適切な麻酔薬であるが、血圧低下作用があり、作用発現時間(30秒)も作用持続期間(3ないし5分)も短い(甲53,65、乙53,55)。能書(乙19)によれば、導入として、プロポフォール0.5mg/kg/10秒の速度で就眠が得られるとされており、プロポフォールの医事としては、4~10mg/kg/時の投与速度とされ、また維持における使用量として、導入後の10分間は10mg/kg/時、10~20分間は8mg/kg/時、20~30分間は6mg/kg/時とする投与速度の例が記載されている。
 プロポフォールは、塩酸メピバカインと併用することによって、血圧の低下がさらに増強されることが指摘されており(甲56,57,68等)、前者の能書には、局所麻酔薬との併用について、用法として、併用時には通常より低容量で適切な麻酔深度が得られる旨記載され、相互作用(併用に注意すること)として、麻酔・鎮静作用が増強されたり、収縮期血圧、拡張期血圧、平均動脈圧及び心拍出量が低下することがあるので、局所麻酔と併用する場合には投与速度を減速するなど慎重に投与すべき旨の注意が記載されている(甲78、乙19)。
 塩酸メピバカインは、硬膜外麻酔、伝達麻酔、浸潤麻酔の局所麻酔有効薬であり、血圧低下作用を伴い、重大な副作用として、除脈、不整脈、まれに心停止等のショックがあるとされ(乙18、52の2)、髄腔内に注入されて神経を麻痺させるまでの作用発現時間は5ないし10分であり、血中濃度が最大となり最大効に達するまでの時間は文献により幅があるが20分前後であり、最大効の持続時間も長い(甲56,60,85)。その能書(甲77、乙18)によれば、その使用量は、通常、成人で麻酔方法が硬膜外麻酔の場合、濃度2%の注射液使用時では200~400mg(2%注射液としては10~20ml)、基準最高容量は、1回500mg(2%注射液としては25ml)とされている。ただし、用法として、年齢、麻酔領域、部位、組織、症状、体質により適宜増減すべき旨、また、使用上の注意として、硬膜外麻酔のための高齢者への投与について、投与量の減量を考慮するとともに、患者の全身状態の観察を十分に行うなど慎重に投与すべき旨記載されており、控訴人ら提出の専門書(甲40から45まで)によれば、硬膜外麻酔の必要使用量は、年齢及び体格等により減量すべきものとされ、高齢者に対する塩酸メピバカインの使用量を、70歳の人では18歳の人の約半分の量で足りるとする文献や65歳ないし74歳の下肢の手術の場合で8mlとする文献もある。また、この配慮は、一定の年齢によって高齢者か否かを分けて、高齢者に当たらなければ配慮を不要とするものではなく、加齢による麻酔範囲の広がりやすさ、麻酔に対する認容性低下を根拠とするものであり(甲77、乙52の2)、加齢に応じた配慮を求めるものである(甲23,43、乙6)。清水泰行医師の鑑定書(甲39)は、Aの体格及び年齢を考慮すれば、8mlの投与が適切であるとしている。

ウ 麻酔による血圧低下の気所として、硬膜外麻酔による循環系への影響は、(1)交感神経節前線維を麻痺させ交感神経を遮断することにより、抹消血管を拡張させて循環血液量を減少させる(一般的に生じる影響)。(2)第4胸椎以上の交感神経にまで麻痺が及ぶと、心臓促進神経のブロックのため除脈や心拍出量の減少を引き起こす。(3)血管に吸収され、血流を介して伸三の受容体に作用し、心拍出量を減少させるという機序に基づいて発生し、高度の影響を受けた場合は心停止に至るものであり、(1)については、人体の代償作用として、他の抹消血管が収縮し、血圧を一定に維持する機序が作動するが、全身麻酔を併用する場合には、全身麻酔の影響により他の血管も拡張するため、上記代償作用は十分に機能せず、(1)の機序による影響を特に増大させることとなる(甲33,56,62)。
 一方、全身麻酔薬は、中枢神経抑制作用により効用を得るものであり、当該作用により血圧を低下させることがある。

エ 本件での麻酔の経過は、前記1の通りであるから、全身麻酔(プロポフォール等)は投与を始めた午後1時25分からまもなく効果を生じ、その後も維持され、局所麻酔(塩酸メピバカイン)の神経作用は午後1時40分の5ないし10分後から生じ、その後、血中濃度の上昇に従い徐々に効果を増し、午後2時ころに最大効に達し、その効果を持続したものと推認される。そして、午後1時37分に生じた血圧低下は、各薬剤が効果を生ずる時間に照らし、専ら又は主として全身麻酔の影響によるものと考えられ、午後1時48分及び午後1時5分の血圧低下は、全身麻酔の影響かで徐々に局所麻酔が影響したことによるものと考えられ、これらが少量の昇圧剤塩酸エチレフリンの投与で血圧上昇を売ることができたことは血圧低下の機序及び昇圧剤の効果から理解できるところである。これに対して、午後2時05分の血圧低下は局所麻酔の影響が増大したことによるものと推認され、午後2時10分の血圧上昇は2種類の昇圧剤をそれまでより増量して点滴静注することにより、一時的に昇圧を得られたものと解し得るものである。さらに、午後2時15分の血圧低下とこれに引き続く心停止が上記増量された昇圧剤の継続的な投与かで発生したものであること、その時期が、硬膜外麻酔の血中濃度及び効果の高まりの経過に符合し、発生の機序において硬膜外麻酔の影響と矛盾がないこと、また、本件において前記の通り全身麻酔が併用され、硬膜外麻酔薬がやや多目であったと評しうること(鑑定の結果)からすれば、午後2時15分の血圧低下は、通常予想できる前記ウ(1)の機序を超えて同(1)ないし(3)の機序が強く作用したことによるものと推認することができる(甲56)。

 原審における鑑定人の意見は、麻酔方法による心停止の可能性は低いとするものであるが、上記意見は、(1)硬膜外麻酔による血圧低下は軽度で少量の昇圧剤投与によって回復していること、(2)心停止前に循環血液量の大きな減少がみられていないこと、(3)投与された塩酸メピバカインの総量が安全使用量(500mg)以下であることを前提としているところ、(1)については、上記意見において硬膜外麻酔の影響によるとされる午後2時15分の血圧低下が昇圧剤の継続的投与下で発生したことについて説明がなく、(3)についても、全身麻酔との併用を考慮すると「やや多目」であったとするものであることに加え、塩酸メピバカインの能書(甲77)に記載のある上記500mgがこれを上回らなければ麻酔中毒を発生することがあり得ない使用量として規定されているものとは解し得ないこと(やや多目であるが危険ではなかったとする趣旨も、一般的な危険性に言及するもので上記因果関係に関する推認を排斥するものではない。)から、これを採用することはできない。また、被控訴人は、麻酔による血圧低下は、必ず昇圧剤(カテコラミン)の投与によって例外なく回復するのであるから、その投与によって回復しなかった午後2時15分以降の血圧低下は麻酔によるものではないと主張し、C医師もその旨の見解を述べている(乙55など)が、これを裏付けるに足りる証拠はなく(なお、甲14によれば、カテコールアミンは、各種のショックについて、著しい血圧低下に対して最も有効とされているが、確実な血圧の回復が保障されていることを意味するものとは解されない。)、上記主張は採用し得ない。

オ 訴訟上の立証における因果関係は、自然科学上の確定的な因果関係の立証を要するものではなく、高度の蓋然性をもって足りるところ(最高裁昭和50年10月24日第二小法廷判決・民集29巻9号1417頁参照)、1回目の心停止の原因としては、上記の麻酔による影響以外の要素があり得るとしても、上記検討からすれば、麻酔が1回目の心停止における主要な原因であることができ、Aの死因につき他の積極的な原因が認められない限り、1回目の心停止がAの死亡の端緒となったものと推認される。

(3) 電撃型脂肪塞栓について
 被控訴人は、Aの死因について電撃型脂肪塞栓症の可能性が高いと主張し、C医師、B医師及びD医師(被控訴人病院整形外科部長)はこれに沿う供述をしている(乙24、乙25、証人C純久、証人B章)。午後4時5分ころAの尿に血液が混じっており、膀胱内の血液分を生理的食塩水で洗浄した後も血尿が認められたこと及び肺から湿性ラ音が出始めたこと(前記引用に係る原判決の「事実及び理由」第3の1(4)エ)など、脂肪塞栓症の結果と矛盾しない証拠は認められるものの、証拠(甲30、甲39、乙28の1から3まで、乙36の2)によれば、1回目の心停止の後、午後4時46分から同48分にかけて撮影されたAのCT画像からも脂肪塞栓症の発症を断定できないこと及び脂肪塞栓症が生じていれば、その発症に伴いETCO2(終末呼気二酸化炭素濃度)の値が低下するが、Aの血圧が急激に低下した午後2時15分においても、ETCO2の値は低下しておらず正常値であること(前記引用に係る原判決の「事実及び理由」第3の1(4)イ)を考慮すると、1回目の心停止の原因は電撃型脂肪塞栓とは認められず、また、Aの死亡の原因が電撃型脂肪塞栓であると推認することはできない。従って電撃型脂肪塞栓の可能性をもって、Aの死因に関する上記推認を覆すには足りない。
 なお、このことは、直ちに麻酔の方法に過失があったこと、あるいは過失とAの死亡との間に相当因果関係があったことを意味するものではない。

3 麻酔薬の投与における過失
(1) 医療においては、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務が求められるところ(最高裁昭和36年2月16日第一小法廷判決・民集15巻2号244頁参照)、麻酔においては、麻酔薬の投与自体が患者の身体への侵襲行為であり、副作用として重篤な血圧低下や心停止等の重大な結果をもたらす可能性を有する行為であることからすれば、施術による患者の苦痛を排除するという目的に必要な範囲で、かつ、薬剤による身体への侵襲を最小限とし、不測の事故を生じさせないため、患者の身体状況に応じ、かつ、方法において緩徐、薬量において最小に努めることが要請されているものというべきである。このことは、塩酸メピバカインについて能書などにおいて特に言われることでもあるが(甲77、乙52の2)、医療行為における一般的な注意義務としても是認し得るところである。

(2)C医師の前記投薬のうち、導入として使用したプロポフォールは80mgで、能書に記載された使用量の範囲(86~107.5mg)内であり、投与した速度も、約0.003mg/kg/秒(約10分間で80mg)であり、能書に記載された速度よりも遅い速度で投与されている。また、プロポフォールの医事として、約10分間の導入後、7.5mg/kg/時で維持投与を行っているところ、その投与量は、導入後20分以降の時間帯において、能書に記載された維持における使用例を若干超過する量となっているが、能書に記載された維持における成人の通常の投与量(4~10mg/kg/時)の範囲内である。
 Aに対し投与された塩酸メピバカインについては、テストドーズとして濃度2%の注射液2ml(塩酸メピバカインの量としては40mg)が投与された後、さらに18ml(塩酸メピバカインの量としては36mg、合計400mg)が投与されているが、この使用量(400mg)は、能書に記載された硬膜外麻酔における成人に対する通常の使用量(200~400mg)の最高限度の量であり、基準最高容量よりも100mg少ない量である。控訴人らは、本件における塩酸メピバカインの投与が過剰であるとする根拠として、その極量が体重1kgあたり7mgであると主張するところ、塩酸メピバカインについては、血中濃度の上昇による急性中毒を防止する目的から上記極量が提唱され、麻酔科の専門書にも記載があることは事実である(甲56,81,84,85)。しかし、極量にあたる投与量につき確定的見解が成立しているものとは認められず(甲57,67,76)、麻酔科の専門書中でこれに論及しないものもあること(甲40、乙6,34)及び能書において記述がないことに照らせば、上記極量は、本件当時の医療水準として確定していたと認めるには足りない。ただし、臨床における経験的基準として、臨床における配慮の存在を窺わせるものということができる。
 したがって、上記各麻酔薬の投与量を単独で検討する限りは、いずれについても、過剰と認めるには足りない。また、その余の麻酔薬(塩酸ケタミン、笑気)についても同様である。
 しかし、塩酸メピバカインの能書には、使用上の注意として、硬膜外麻酔のための高齢者への投与について、投与量の減量を考慮すべき旨の、プロポフォールの能書には、局所麻酔剤併用時には、通常より低容量で適切な麻酔深度が得られる旨の各記載があり、複数薬剤による相乗効果及び上記量薬剤を併用した場合には一方の必要量が少なくなることについては、既に見たとおり多くの文献で指摘されていること、そして、現に多くの主要な医療機関において、局所麻酔と併用した場合に、プロポフォールの使用量を1~2mg/kg/時(持続投与)に低減させた方法が採用されていること(平成13年度に行われた我が国の代表的な病院における麻酔関連約の使用状況についての日本麻酔科学会の医薬品等適正使用評価委員会によるアンケート調査の結果)からすると、本件においても、麻酔医としては、単に個々の薬剤が能書の記載の最高容量の範囲内であるように配慮するというにとどまらず、個々の能書に規定する年齢、体重、身長等を考慮した増減を考慮し、また、他の薬剤との相互作用を考慮した麻酔薬総量に対する配慮をすべきであったということができる。
 しかし、本件においては、プロポフォール及び塩酸メピバカインがそれぞれ単独で使用される場合を想定した使用量が投与されており、また、塩酸メピバカインについては、能書に記載された硬膜外麻酔における成人に対する通常の使用量(200~400mg)の最高限度の量を投与しているのであって、上記配慮がされたものと認めることはできない。
 よって、本件においては、C医師において、Aに対する麻酔薬の投与量を決定するについて、薬剤による身体への侵襲を最小限とし、不測の事故を生じさせないため、患者の身体状況に応じ、薬量において最小に努めるべき注意義務を怠った過失があるというべきである。
 なお、控訴人らの提出したガイドライン(甲53、「医薬品等適正使用推進施行事業−麻酔薬及び麻酔関連薬使用ガイドライン」、平成15年4月社団法人日本麻酔科学会作成)は、平成13年、社団法人日本麻酔科学会によって麻酔指導病院(同学会の認定した病院)を対象にしてされた麻酔薬の使用状況の調査に基づき、麻酔事故の防止を目的として作成されているものであるから(甲52)、これに反したからといって過失判断の直接の根拠となるものではないが、臨床現場においては、麻酔薬の使用量についても、能書の記載のみならず、医療実態に応じた配慮がされていたことを窺わせるものということができる。

(3) 塩酸メピバカインのテストドーズについて
 控訴人らは、塩酸メピバカインの投与に先立ち、テストドーズとして全身麻酔前の患者の意識のあるうちに少量を投与して、麻酔の効果を確認すべきであるのにC医師はこれを行っていない注意義務違反があると主張する。
 しかし、テストドーズは、硬膜外麻酔の投与について、くも膜下腔や血管内への注入及びアレルギー反応を予防するための手段であるところ(甲91)、本件において、心停止の原因として、くも膜下腔や血管内への注入及びアレルギー反応が問題とされてはいないのであるから、テストドーズの実施の有無及びその方法の適否は、本件心停止とは関係がないので、上記注意義務違反の有無については、論じない。

4 控訴人らの主張するその余の過失について
(1) 血圧管理について
 当裁判所もC医師の血圧管理について不適切であった(過失があった)とは認められないものと判断する。その理由は原判決の「事実及び理由」第3の2(2)に説示するとおりであるから、これを引用する。
 なお、控訴人らは、顕著な血圧の下降が認められた以上は、必ずしも必要ではなかったプロポフォールを早めに中止し、ラクトリンゲルの点滴速度を速めたり、もう1本の静脈路を確保して代用血漿剤を投与するなど血圧の急墜の防止に努める必要があった旨、投与する昇圧剤は、末梢血管収縮作用のない塩酸エチレフリンではなく、心拍出量を増加させる短時間作用性のエフェドリンを投与すべきであった旨の主張もする。しかし、本件において、全身麻酔と硬膜外麻酔の併用によりある程度の血圧低下の発生が予見し得たことは事実であるが、午後2時15分までの血圧低下の程度が本件麻酔により通常予想された範囲を超えた異常なものであったと認めるに足りる証拠はないので、現実に発生する血圧低下に対して、直ちに全身麻酔を終了させずに、昇圧剤による対応を行っていくこととしたC医師の措置が不適切であったとまでは直ちにはいえない。また、ラクトリンゲルの点滴速度についてはこれを不適切とすべきまでの具体的な根拠はなく、昇圧剤についても、塩酸エチレフリン及び塩酸メトキサミンの投与により、現実に血圧の低下が改善されていたこと及び午後2時15分以降の血圧低下の経過からして、午後2時15分間までの間にエフェドリンを投与することによって心停止を回避できたと認める根拠もないことから、エフェドリンを投与しなかったことが不適切であると認めることもできない。

(2) 蘇生措置について
 蘇生措置のうち、心臓マッサージの開始時刻については、麻酔記録に午後2時30分から開始されたことを意味する記載があり、この記載について、被控訴人は誤記であり、心停止後まもなく開始したものであると主張する。
 確かに、心停止後10分間心臓マッサージを開始せずに放置することは経験則に反するといえる。しかし、麻酔記録は手術における麻酔、蘇生措置にされる文書であるから記載時点において記載すべき内容が不明確になっていることは考えられず、また、5分間隔で升目が印刷されている用紙に記載するものであり、30分毎の升目には上部にくさび形の印を記載して升目を読み取りやすく配慮されていることが認められる(乙1の1の1)から、麻酔記録に午後2時30分前後の特定の時点を記載するに際して、升目を越えて誤記することは一般的には考えにくいというべきである。したがって、麻酔記録の記載からすれば、心臓マッサージの開始時刻は午後2時30分を過ぎることはないとしても、それに近い時刻であったことを記述したものと介することが相当である。よって、被控訴人の上記主張は採用できない。
 なお、1回目の心停止に至る経過は、午後2時18分から19分ころにパルスオキシメーターに脈派を感知しなくなって異常が検知され、これを認識したC医師は総頚動脈の拍動を触知しつつ血圧を確認したところ、午後2時20分には、拍動を触知できない状態となり、自動血圧計も血圧の測定値を表示せず、午後2時22分には心室細動が発生し心停止に至ったものである(乙54)ところ、C医師は、異常を認識した後、バッグの加圧により気道が保たれていることを確認し、麻酔薬の投与を中止して、純酸素の吸入を開始し、昇圧剤の点滴を速めたうえで、今日新薬の静注による投与を行った(以上で約5分を要した。)が、反応が見られず、次いで手術を中止して手術創を縫合し、同時に気管挿管を行い、仰臥位に戻し、その後に心臓マッサージを開始したと述べている(乙25)ところ、これらの経過からしても、心臓マッサージの開始時刻が午後2時25分以降であったことが推認できる。
 したがって、被告訴人病院の担当医師らは、心停止後、早急に開始すべき心臓マッサージの開始を手術創の縫合や気管挿管等を先行させたことによって時間を費やした結果、心停止から5分以上を経過して開始したものと認めるほかない。
 なお、蘇生措置における薬剤投与を不適切と認められないことについては、原判決の「事実及び理由」第3の3(3)に説示するとおりであるから、これを引用する。

(3) 緊張性気胸について
 当裁判所も被控訴人病院の医師らに緊張性気胸を治療しなかったことについて過失があったとは認められないと判断する。その理由は、原判決の「事実及び理由」第3の4に説示するとおりであるから、これを引用する。なお、当審において被控訴人病院の医師らに過失があるとする黒岩政之医師の意見(甲57)が提出されているが、上記認定を左右するには足りない。

(4) CT室への搬送について
 当裁判所も被控訴人病院の医師らがAをCT室に搬送したことについて、注意義務違反があったとは認められないと判断する。その理由は、原判決の「事実及び理由」の第3の5に説示するとおりであるから、これを引用する。

5 以上によれば、C医師には、プロポフォールを主体とする全身麻酔に塩酸メピバカインによる局所麻酔を併用するに当たり、これらを併用するという事情及びAの年齢等の個別的事情に即した薬量を配慮しなかった過失があり、これにより、1回目の心停止が生じ、これがA死亡の原因になったものということができる。
 また、1回目の心停止後の蘇生措置においても、心停止後、直ちにこれに応じた心臓マッサージが開始されなかったことも過失と評価することができる(被控訴人は、速やかな心臓マッサージを履行したものであり、麻酔記録の記載が不正確であると主張するものであり、速やかな心臓マッサージをすべき義務を否定するものではない。)。
 もっとも、仮にC医師において薬量の加減を検討して、塩酸メピバカインの投与を減らしたとしても、その程度は麻酔担当医の裁量に属するものであり、その減量により、最終的に1回目の心停止及び死亡の結果を回避できたといえる資料もなく(控訴人らは極量の範囲であれば本件死亡を回避できたとするもののようであるが、これを認めるに足りる証拠はない。)、また、1回目の心停止後速やかに心臓マッサージが開始されたとしても、麻酔薬の影響下で既に循環不全を伴っていたAの速やかな蘇生に成功していたか、更に最終的に死亡の結果を回避できたと言える資料もない。したがって、Aの死亡を回避するに足る具体的注意義務の内容(死亡と因果関係を有する過失の具体的内容)を確定することは困難というべきである。
 しかし、薬量の加減を検討して、塩酸メピバカインの投与をある程度減らしていた場合は、血圧低下の程度及びその持続時間がより緩和されたものとなって1回目の心停止を回避できた可能性及び速やかな蘇生措置が施された場合には、蘇生の可能性は高まり、午後7時53分ころのAの死亡を回避し、延命を得た可能性が相当程度あることは否定できないから、被控訴人は、控訴人らに対して、Aが上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものと解するのが相当である(最高裁平成12年9月22日第二小法廷判決・民集54巻7号2574頁、最高裁平成15年11月11日第三小法廷判決・民集57巻10号1466頁各参照)。
 これらの両過失がなかった場合に本件死亡を回避できた可能性の程度を直接証する資料はないが、各義務は麻酔及び蘇生に関する基本的義務であり、それぞれ有意な割合で死亡事故を回避する可能性を有したものと考えられ、それぞれの死亡事故を回避する可能性は2割ないし3割に止まるとしても、両過失の競合により死亡の確率は高まることになるから、心停止の他原因の可能性、本件死亡の直接的原因としての他の循環器、呼吸器の病変の可能性が否定できないとしても、両過失がなかった場合に本件死亡を回避できた可能性は、少なくとも35%程度は存在したものと認めることが相当である。

6 延命可能利益の侵害による損害額は、直ちに死亡損害の一定割合の損害を肯定するものではないが、Aの死亡による損害(逸失利益額は1558万円、慰謝料は2200万円と認められる。)、本件死亡を回避し延命ができたとしても、完全な社会復帰ができるまでに回復したとまではいえないこと(甲56参照)をも考慮すると、Aが本件における死亡を回避し、延命を得た可能性を侵害されたことによって被った損害の額は、1300万円をもって損害額とすることが相当であり、弁護士費用は130万円をもって相当損害額と認められる。
 したがって、控訴人らは、それぞれ相続分(Aからの相続分及び原審原告Bからの相続分の合計)に応じて、上記損害に係る損害賠償請求権を476万6666円ずつ相続したものと認めることができる。

7 よって、控訴人らの請求は、各自476万6666円及びこれに対する不法行為の日である平成9年6月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるので、原判決を取り消したうえで、これを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第11民事部

裁判長裁判官 富越和厚
裁判官 中山顕裕
裁判官桐ヶ谷敬三は、転補のため署名押印することができない。
裁判長裁判官 富越和厚


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