令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
「寝耳に水」
2000年2月15日
耳鼻科の病院実習。カロリックテストというのを志願して体験した。横に寝かされて30℃の水を耳の穴に注ぎ込まれるというもの。
注ぎこまれて数秒後,もう大変。目がグルングルン回る。遊園地のコーヒーカップどころの騒ぎじゃあない。先生と級友は「振れてますね」とか言いながら,右に左に振れる私の黒目を観察している。尤も目が回るのは正常なのであって,もし目が回らなかったらそれは平衡感覚が麻痺していることを意味する。
うつぶせになると,今度は目が逆向きに回り出した。寝不足の体に酷い仕打ち。先生からは「説明した上で自ら志願したんだから,恨まないでね(微笑)」とのお声がかかる。患者さんの苦しい気持ちをまた一つ理解した。
「寝耳に水」の本来の意味は「知らないうちに自分の体にとんでもないことが起こること」だったはずだ。間違いない。
南北海道修羅場(その2) (1982年の思い出話)
2000年2月12日
以下の話は,私のHP(ここ)のTwilight Zone(過去の思いだし話)のコーナーに必ず書き残そうと思っていた話である。私の人生の中でも,最も印象に残っている話のうちの一つである。
渡島当別駅から長い冬の終わりの雪の中を歩き,ポプラ並木の先にトラピスト修道院が見えてきた。見学に訪れていたのは,私のほかに大学生とおぼしき男性3人女性1人のグループ。ところが受付の修道士さん曰く「見学したい人は予約するんですよ」とのこと。そこを中学生の若さに一人旅ということで,お目こぼしで大学生グループと一緒に見学させてもらうことができた。トラピスト修道院は男性修道院であり女性は入院禁止のため,女性一人は外で待つこととなった。
見学が一通り終わると,大学生3人は女性を気遣い早々と外に出た。そこに通りがかった老修道士が「時間があればゆっくりしていきなさい」と私に一言。時間があった私はその老修道士の言葉に甘えることに。「私の部屋に来なさい」との誘いに「キリスト教の話でも聞かされるかな?」と思いつつ,興味半分でついていくことにした。
部屋までの道中老修道士は,雪に足をとられぬよう注意して歩く私の手をとった。中学生と老修道士。手をつなぐことがなんだか不思議な気もしたが,これが修道士というものかと思い私も手を握ったところ,老修道士は力いっぱい手を握ってきた。どうしていいのかわからないまましばし歩くと,老修道士の部屋に着いた。
部屋に入ると老修道士は,今にも顔から湯気が出そうな勢いで興奮して気色ばっていた。「おお,私の可愛い可愛い子供よ!」と言いながら老修道士は私を力いっぱい抱きしめてきた。もうどうしていいかわからない私は,ただただ何事もなく終わってくれと祈るばかりであった。しかるに老修道士は,今にも私の唇を奪わんばかりの勢いで顔を近づけてきて,私に頬ずりをする。私は力いっぱい避けることもままならず,既に脱力している腕の力を振りしぼってやっとのことで抵抗するのが精一杯だった。
凍る時間。私のなけなしの抵抗が通じたのか,私の唇は奪われることなく抱擁は解かれた。しかしその事件は,中学生の少年の心の奥深くに何をか残すのには充分すぎるほど強烈であった。
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医者の奥さんの分類
2000年2月4日
先日ある病院の医院長先生が講義中に話してくれたありがたいお話。
男医者の奥さんは4つの型に類型化できる。
1型.女医
2型.看護婦
3型.パラメディカル(女医・看護婦以外の医療関係者)
4型.その他
各類型別の結婚生活の特徴は次の通りである。(カッコ内は筆者補足)
1型.女医さんとは晩婚が多いが,浮気は少ない。(ただし離婚率は高い。一説には50%とも言われている)
2型.看護婦さんとは早婚が多い。(看護婦さんが「今日は大丈夫よ」とか言って仕掛けるらしい)
3型.パラメディカルスタッフとの結婚生活はいい意味でわりと平凡である。
4型.その他の場合はカップルによって千差万別である。
さらに先生が付け加えるに,この分類の特徴は「このように類型化することによって,4型から2型に移行する場合が有意に(=明かに)多いことが指摘できることである。特に男性医師の当直日数が増加したような場合,それは『前癌病変(癌になる手前の腫れ物)』と考えて良い」ということであった。
その他の女性が奥さんである場合,医者という仕事の特殊性(きつい,時間に振りまわされる)などを容認できずに不和が生じ,旦那である男医者が,すぐそばにいて自分の立場もわかってくれる看護婦さんに移ってしまう,ということらしい。
一番古い記憶 (1971年ころの思い出話)
2000年2月1日
自分の一番古い記憶。
「幼稚園のお遊戯の時間に,「右」と「左」の概念がつかめなくて困っていたこと。」
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大阪ショック(その4) (1993年ころの思い出話)
2000年1月25日
大阪で道を訊ねた。
私:「アメリカ村はどこですか?」
大阪人:「あっち行って左に行かはったらええです。嫌でも着きます。」
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