2000年2月の記事

南北海道修羅場(その3)  (1986年の思い出話)

2000年2月27日

大学に入学して最初の北海道旅行。自転車ツーリングサークルに所属した私は,スポーツサイクル車を分解してを函館まで汽車で運んで,函館で組み立てなおして自転車で旅をすることにした。ツーリング愛好家がよくやる方法である。
初日は函館に遅くに午後に到着したので,20km程度走って大沼公園で泊まった。そして二日目は頑張って百数十km先の洞爺湖まで走った。しかしその後自転車で走るのが面倒になり,北湯沢という温泉地で2泊,室蘭で2泊した後,ついに苫小牧で自転車を再分解し,自転車をかついで汽車で旅をはじめたのだった。

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リピーターの北海道  (1981年の思い出話)

2000年2月24日

初めて北海道を訪れたのは,中学1年生を終えた春休みだった。同級の友人との,釧路に住む恩師を訪ねる旅だった。千歳まで飛行機,そこから急行狩勝号で釧路に向かったのを思い出す。
釧路の目抜き通りの末端にかかる「幣舞橋(ぬさまいばし)」。そこに設置された裸体の女性の彫刻4体を見て,ちょっとどきどきした感触が今も残っている。かれこれ19年前のこと。「さすが北海道だ」と思ったものだった。

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問題の修復

2000年2月21日

今日から内科の実習。勉強させて頂く患者さんは大酒のみで,それがもとで病気になった60余歳の方。毎日日本酒5合を飲んでおり,病気が発症した日には焼酎10合を飲んでいたという。
研修医の先生はその患者さんに「酒浸りの生活を抜け出さないとダメですよ」と言いたいようだ。でも私には,この患者さんのような甘美な堕落を抱えながら生き続ける生き方のほうが,真面目一徹で生きて行くよりもずいぶんと楽しい生き方に感じる。

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「寝耳に水」

2000年2月15日

耳鼻科の病院実習。カロリックテストというのを志願して体験した。横に寝かされて30℃の水を耳の穴に注ぎ込まれるというもの。
注ぎこまれて数秒後,もう大変。目がグルングルン回る。遊園地のコーヒーカップどころの騒ぎじゃあない。先生と級友は「振れてますね」とか言いながら,右に左に振れる私の黒目を観察している。尤も目が回るのは正常なのであって,もし目が回らなかったらそれは平衡感覚が麻痺していることを意味する。
うつぶせになると,今度は目が逆向きに回り出した。寝不足の体に酷い仕打ち。先生からは「説明した上で自ら志願したんだから,恨まないでね(微笑)」とのお声がかかる。患者さんの苦しい気持ちをまた一つ理解した。
 「寝耳に水」の本来の意味は「知らないうちに自分の体にとんでもないことが起こること」だったはずだ。間違いない。

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南北海道修羅場(その2) (1982年の思い出話)

2000年2月12日

以下の話は,私のHP(ここ)のTwilight Zone(過去の思いだし話)のコーナーに必ず書き残そうと思っていた話である。私の人生の中でも,最も印象に残っている話のうちの一つである。

渡島当別駅から長い冬の終わりの雪の中を歩き,ポプラ並木の先にトラピスト修道院が見えてきた。見学に訪れていたのは,私のほかに大学生とおぼしき男性3人女性1人のグループ。ところが受付の修道士さん曰く「見学したい人は予約するんですよ」とのこと。そこを中学生の若さに一人旅ということで,お目こぼしで大学生グループと一緒に見学させてもらうことができた。トラピスト修道院は男性修道院であり女性は入院禁止のため,女性一人は外で待つこととなった。

見学が一通り終わると,大学生3人は女性を気遣い早々と外に出た。そこに通りがかった老修道士が「時間があればゆっくりしていきなさい」と私に一言。時間があった私はその老修道士の言葉に甘えることに。「私の部屋に来なさい」との誘いに「キリスト教の話でも聞かされるかな?」と思いつつ,興味半分でついていくことにした。

部屋までの道中老修道士は,雪に足をとられぬよう注意して歩く私の手をとった。中学生と老修道士。手をつなぐことがなんだか不思議な気もしたが,これが修道士というものかと思い私も手を握ったところ,老修道士は力いっぱい手を握ってきた。どうしていいのかわからないまましばし歩くと,老修道士の部屋に着いた。

部屋に入ると老修道士は,今にも顔から湯気が出そうな勢いで興奮して気色ばっていた。「おお,私の可愛い可愛い子供よ!」と言いながら老修道士は私を力いっぱい抱きしめてきた。もうどうしていいかわからない私は,ただただ何事もなく終わってくれと祈るばかりであった。しかるに老修道士は,今にも私の唇を奪わんばかりの勢いで顔を近づけてきて,私に頬ずりをする。私は力いっぱい避けることもままならず,既に脱力している腕の力を振りしぼってやっとのことで抵抗するのが精一杯だった。

凍る時間。私のなけなしの抵抗が通じたのか,私の唇は奪われることなく抱擁は解かれた。しかしその事件は,中学生の少年の心の奥深くに何をか残すのには充分すぎるほど強烈であった。

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