カテゴリー「Twilight Zone」の記事

若いお巡りさん (とおじさん) (2001年の思い出話)

2006年11月21日

ある朝、夜勤が明けてアパートに戻り玄関を開けると、風が吹いてきた。足の踏み場も無い散らかった部屋は相変わらずだったが、窓が開いていた。鍵の部分を切られた跡がある。泥棒が入ったあとだった。よく見ると、雑然とした中でわずかに床が見える部分にはスニーカーの足あとがあり、物入れや引き出しも半開きだった。
「まずい」
ちょうど大きな集金をしたあとで、部屋には40万円以上が置いてあった。文具をこれまたごちゃごちゃに入れてある引き出しの、そのごちゃごちゃの底に忍ばせてあった大金はそのまま残っていた。まさか文具を掘り起こすとそこに大金が…とは思いもよらなかったのだろう。この点では作戦の勝利であった。
一安心の後に、生まれてはじめての110番をした。ほどなく制服の若いお巡りさんと私服のおじさんがやって来た。私服のおじさんは刑事さんだと言う。刑事さんはにこやかな顔をして開口一番「これなんじゃないのぉ? これ!」と小指を立てながら言い放った。
「ええっ?! そんなことはない… と… おもうんです… けど…」
とだんだん声が小さくなる自分がいる。そこに刑事さんが畳み掛けるのである。
「そうかなぁ? そんなことないだろうと思っていても、意外とそういうこと多いんだよォ!」
「いやぁ、そんなことはぁ…
その豪快な話の持って行きっぷりに、僕は完全にやられた。マクドナルド式の「スマイル0円」のような営業術なんてクソ喰らえだ。

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あゝ上野駅(1985年ころの思い出)

2006年11月19日

中学から大学時代にかけて、たびたび北海道に一人旅に出かけた。旅の出発点は上野駅であり、終着点も上野駅である。
今はもうすっかり改装されてきれいになっている中央口だが、当時の中央口は雑然として、まさしく終着駅そのものである。そんな中央口をスポーツバックひとつで外に出ると、いかついおじさんが近づいてきた。
「こんにちは。きみ、学生さん?学校通っているの?」
さほど怪しい感じは受けず「高校生ですが…」と答えると、
「そうか、高校生なんだね。私、自衛隊の者なんだけど、学生さんは勉強がんばらないとね。がんばってね」
と言い残して去っていった。
終着駅を舞台にした自衛隊の勧誘。家出少年でも狙っていたのだろうか。不思議なものに出会ったものだと思っていたら、翌年も引っかかってびっくりした。

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こうして過剰栄養になる (2000年頃の思い出話)

2005年7月2日

大学病院で実習中のこと。昼休みに病院食堂に入った。そこには患者さん向けの治療食メニューがあった。痩身なわりに血中脂肪が高い私は「低カロリー食」を試してみることにした。

食事を持ってきたおばちゃん曰く、「足りないだろうから、おかわりあげるよ!」と。

 

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中央線飛び込みと100円 (1985年ごろの思い出話)

2004年8月10日

かつて新宿から西に向かう各駅停車の夜行列車が存在していた。ある日友人たちとの小旅行でその列車に乗り込んだ。八王子を過ぎたあたりであったろうか、電車はガクンと停車し、モーター音が切れた。しばらくして「人身事故が発生したため…」と車内アナウンス。さらにしばらくすると、車掌が車内を歩いてきた。「はねられた人を覆うために新聞紙などが必要なのですが、余っている方はいらっしゃいませんか?」と。古新聞を差し出すと車掌は礼を言って先頭車両のほうに向かって行った。しばらくして運転再開し、車掌が私のところに来て100円くれた。

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雄武(おうむ)のパチンコ屋  (1985年ころの思い出話)

2001年3月9日

北海道のオホーツク側の北のほうの小さな街,雄武での話。

中学1年だか中学2年だかの夏休み,家族と親戚とで北海道を旅行したとき,雄武という小さな街に泊まった。夜父親に連れられて,小学生以来久しぶりにパチンコ屋に入ったのだが,小さな街のたった一軒のパチンコ屋で,お客さんはまばらだった。それでも当時デビューしたてで,まだ出玉規制のない出放題のフィーバー機(というのかな? 777がそろうと無制限に出るヤツ)があった。尤も我々はそのシステムを分かっておらず,どの台を見てもデジタル数字が光っていたので,それで打つことにしたのだが。

しばらくして親父が777を出した。したがって親父の台は玉が出っぱなしになった。しかしその仕組みを分かっていない親父は「台が故障した」と言って手を離してしまった。程なくポケットは閉じ,数字は再び回り始め通常の状態に戻った。結局獲得して景品に換えた玉は1000個に満たなかったと思う。店員のおじさんが「あれ,フィーバーしてたじゃないの?」と言って不思議がっていた。

後になって「フィーバーしたら打ち止めになるまで打つものだ」ということが分かって親父曰く,「こんな知らない小さな街の,人もあまり入っていないパチンコ屋で,儲けないほうがいいんだよ」と。

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