令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
マイ・チーム (1990年の思い出話)
2000年10月30日
シアトルのユースホステルでのお話。
15年ほど日本に住んでいたという40歳近いアメリカの女性が泊まっていた。日本語ができるのでいろいろ話したが,いつしか野球の話になった。
「私は巨人が大好きだった。巨人の野球を観に行って大声で応援したものだった。アメリカに戻ってきてからも野球は観るけれど,巨人を応援するように熱狂的には観れない。」
巨人のことを口にするだけで,遠い目になっているようだった。
「誰がやってた頃ですか?」
「最後の頃は監督が川上さんで,長嶋,王,藤田…」
「長嶋とか藤田はその後巨人の監督をやったんですよ。長嶋はいいときと悪いときがあったけど,藤田は優秀だった」
と,かつてのヒーローがその後も活躍していることを伝えると,言葉無く目が潤み出した。彼女にとっての強固なマイチームが,彼女が離れていた時間を超えて,連続性を見せながら彼女の琴線に迫ったのだろう。
彼女が今年の日本シリーズを観ることができていたならば,彼女はどんな気持ちで観ていただろうか…
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射撃の練習 (1990年の思い出話)
2000年9月30日
坂の多いシアトルのダウンタウンの運転にもようやく慣れてきた滞在3日目,アメリカでは拳銃の射撃練習場があるというので,入ってみることにした。フリーペーパーで情報を仕入れて行ったのだが,道に迷った。迷っているうちに警察署があったので入って訊ねることにした。
“Hello”というあいさつに続いて,つたない英語で”I want to shoot a gun for joy”(遊びで銃を撃ちたい)と言った途端に,その場の空気が変わった。応対してくれた婦警さんの顔がこわばり,”You want to shoot a gun for joy???!!!”と訊ね返してきた。一瞬の間の後,婦警さんの緊張の理由を察知した私は,つたない英語に身振り手振りで必死に釈明した。婦警さんの後ろで,私の意図を察知してくれた別の警察官が,婦警さんに声をかけてくれて,ようやく事なきを得た。アメリカ旅行での2番目の大緊張の経験であった。
無事射撃場の場所を教えてもらい,ほどなく到着して射撃を体験した。
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外科学実習中
2000年9月29日
手術室は危険である。
全ての人がマスク着用だ。ボディスタイルも大事だが,最終勝負は目であり,眼鏡使用者はかなり不利だ。目元に惹かれても,後で外で会うと萎える危険もある。
手術室の恋は危険である。
奇才 (1990年頃の思い出話)
2000年9月17日
同じ学部の先輩が幼稚園児だったときの話を思い出したのでちょっと書いておこう。
幼稚園で受けた知能テストの,人間の顔半分が描いてあり「のこりをかきなさい」という問題で,その先輩は「人体図鑑」で見た絵を思い出して,残り半分に顔の解剖図を描いたため,大騒ぎになったそうだ。
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恋愛世相講話その3: オカモトの憂鬱
2000年8月24日
今の世の中,コンドームの売上が伸び悩んでいるという。若者のコンドーム入手方法の変遷を見てみよう。
20年前… 「明るい家族計画」の自動販売機。
10年前… この頃からコンビニにコンドームが置かれ始める。包装紙に包まれて棚に並んでいた。
現在は… どこでも手に入る。包装紙によるカモフラージュもない。しかし「感度が落ちる」との理由で若者はコンドームを使わない傾向が出てきた。
さしずめ「気持いいからヤル」→「コンドームは気持ち良さに水を差す」というところだろう。なんと単純明快。そしてその思考回路をつかさどる大脳自体も単純明快である。
#2年前に某高校(共学・レベルは低くない)に通う予備校の教え子から聞いた実話。「これはあまり言っちゃマズイかもしれないけど,うちの高校,文化祭の日に先生からコンドーム配られますよ」