「表面上の意味」と「内容」の区別について

 諸君は単語・熟語を覚えるときにはその単語の意味をどういう形で覚えているだろうか? 恐らくは単語集・熟語集などを使い,日本語訳でその意味を覚えているのではないかと思う。しかし,そこに諸君を英語不得意者へと導く罠がひそんでいるのである。日本語の「橋を架ける」という表現に該当するいくつかの外国語の表現を例にとって見てみよう。

 「橋を架ける。」 我々は日本語の話し手であるからこの表現になんの違和感も感じない。もちろんその内容は「橋を建設する・橋を作る」ということだ。しかし私が知る外国語にはこういう表現をするものはないのである。英語はどうか? 'build a bridge'(表面上の意味は「橋を築く」)だ。これぐらいなら我々にもほとんど違和感がないだろう。しかし韓国語となると,「 」(表面上の意味は「橋を置く」)と表現するし,フランス語では 'jeter un pont'(「橋を投げる」),さらにドイツ語では eine Bruck schlagen(「橋を叩く」)という表現で,「橋を建設する・橋を作る」という内容を表わしているのである。一覧にすれば,次のようになる

  表現 表面上の意味 内容
日本語 橋を架ける 橋を架ける 「橋を建設する・橋を作る」ということ
英語 build a bridge 橋を築く
韓国語 다리를 놓다 橋を置く
フランス語 jeter un pont 橋を投げる
ドイツ語 eine Bruck schlagen 橋を叩く

 正直なところ私自身も,初めはいったい「橋を叩く」のどこをどう考えると「橋を建設する・橋を作る」という意味になるのかよく分からなかったが,ネイティブにとっては昔から使っている言葉なので,それぞれの表現の表面上の意味からその内容を連想する上でなんら違和感も感じないのだろう,ということが分かってきた。

 このような違和感は,実は外国人日本語学習者も感じているのである。我々にはなじみの深い「橋を架ける」という表現も,外国人にとってはどうして「橋の建設」という内容になるのか最初は戸惑うのである。もし君が韓国人のキムさんに,『「橋を架ける」というのは,韓国語でいえば「橋を置く」の意味ですね』といわれたらどうだろう。キムさんが日本語の「橋を架ける」という表現を見るたびに,頭の中で「橋を置く」と訳しながら考えているとしたら,キムさんの日本語もまだまだだな,そんなことで速く読んだり書いたりできるのかな? と思うだろう。また,フランス人は『「橋を投げる」の意味だね!』とか,ドイツ人は『それは「橋を叩く」だろう!』と,めいめい勝手に自分の国の言葉に置きかえているとしたら,「おまえら日本語習ってるんだから「橋を架ける」ぐらいそのまま理解しろよ!」と言いたくもなるだろう。彼らの問題点はとどのつまり,日本語という彼らの言葉とはなんの関係もない言葉の表現を,彼らの言葉という彼らの土俵の上に引きずり込んで理解しようとしている点である。

 我々が英語を習うときも同じことである。例えば 'build a bridge'(橋を築く)という表現を見たら,「城を築く・城壁を築く」のと同じように,積み上げていくイメージをまず思い浮かべなければいけない。つまり表面上の意味で考えるべきなのである。 build(築く)には,「橋を架ける」と言うときの,二つの物のあいだに「架ける」イメージは無いのだから,橋を「架ける」という日本語表現の表面上の意味を考えても無意味である。もし 'build a bridge' と聞いて,「ああ,橋を架けるか,」などと訳しながら理解したとしたら,さっき日本語学習者に対して考えたことと同じ理由で,英語のネイティブに「アホか?」と言われることになる。そんなことでは速く読めないし,だいいち英語をよく理解していない,日本語の土俵に英語を乗っけてどうするんだ,というわけだ。だから英単語・英熟語を覚えるときは何よりもまず,表面上の意味を理解するよう心掛けよう。英語を日本語の土俵に引きずり込むのではなく,我々が英語の土俵の上に乗り込むように努力しよう。先の表で言えば,次の白い部分がイメージとして即座に連想できるようにしよう,ということである。

日本語 橋を架ける 橋を架ける 「橋を建設する・橋を作る」ということ
英語 build a bridge 橋を築く

 そしてもし「日本語に訳せ」といわれたら,その時初めて「橋を架ける」という日本語を考えればいいのである。「橋を建設する・橋を作る」という内容がわかれば「橋を架ける」という言葉を思い出すのは簡単だ。我々は英語はだめでも日本語はできるのだから。

まとめ1

「表現」…  言葉そのもの
「表面上の意味」…  その言葉が持つ本来のイメージ
「内容」…  その言葉が実質的に表していること

まとめ2

外国語の学習で最も大事なのは,おのおのの「表現」の「表面上の意味」を理解した上で,必要に応じて「内容」を連想できるようにすることである。日本語訳を覚えるときは,英語の「表面上の意味」とのギャップがあることを確認した上で覚えないと混乱を産む元となる。


 さて,「表面上の意味」と「内容」を区別しないことから来る混乱は,単熟語レベルだけではなく,構文・文法レベルにまで及んでいる。例としてtoo...to...構文で考えて見よう。

例文. This stone is too heavy to move.

 "too heavy"の表面的意味がが「重すぎる」で,"to move"の表面的意味が「動かすのは」であることを考えれば,この例文全体の表面上の意味は「この石は動かすには重すぎる」ということになる。このように考えればこの表現に関してはこれ以上なんら問題ない。しかしもしこの表現の意味を「この石は重すぎて動かせない」と考えたとしたら問題である。「この石は重すぎて動かせない」というのは,この例文の「表面上の意味」とはずれているのである。この例文をよく考えて見れば,なるほどこの例文の「内容」には「この石は重すぎて動かせない」というニュアンスが潜んでいるかもしれない。そして多くの英語参考書では,その「内容」を重視して,この表現は「否定語を使わない否定表現である」と書いてある。ここに「表面上の意味」と「内容」との混同がある。

 日本語で簡単に考えて見よう。もし諸君の目の前に重そうな石があって,「この石は動かすには重すぎるよ」と言ったとする。それは否定表現といえるのだろうか? 答えは簡単,「いえない」である。否定的な「内容」ではあるが,表現自体が否定表現なのではない。もしこれが否定表現かも知れないと思ったのなら,それはこの表現の表す「内容」を,「この石は重すぎて動かせない」という別の表現にすりかえて考えてしまったからであろう。

 上記の英語例文でも同じことである。この例文のように表面上の意味が,日本人にもすんなり納得できる表現について,わざわざ別の日本語表現にすりかえて考える必要はないのである。あくまでも「表面上の意味」が最も重要なのであって,「内容」に立ち入るのは,表面上の意味がすんなり受け入れられないときの参考にするときだけにとどめるべきである。

まとめ3

外国語の学習では,様々な「表現」の持つ「表面的な意味」を必ず考えなければならない。「表面的な意味」を無視して「表現」と「内容」をつなげようとすると様々な問題がおこる。


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