令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
自分のために作った
暇つぶしのページ
(あほ話のページ)
ベルギーの修道院謹製ビールのラベル。
「キミのは,これくらいだネ!」
1999/12/06 500円硬貨改鋳
500円玉が出来てからはや15年以上(多分)。これまでよく持ちこたえたというのが実感。最初に500ウォンと同じ大きさに設計した人も間抜けだけど,数年前まで偽造を考えつかなかった世の一般的悪人も間抜けだ。
どうせ改鋳するなら,もっと小さくして真ん中に穴をあければいいのにと思う。かつての50円玉の改鋳のように
告発系サイトについて(纏めました)
一歩間違えば私がそしてあなたが彼らの立場。
1999/06/24 貧しさ指数
今年は公式には発表されなかった「豊かさ指数」だが,富山県などもともと上位の県などが民間に頼んで発表したらしい。「豊かさ」を指数で測ろうとすることこそが「最も貧しい」行為であるということにどうして気付かないのだろうか?
1999/06/21 あなたは本当の冷麺を知らない
日本では冷麺といえば,盛岡冷麺ということになっているが,韓国に3ヶ月いたことのある身からすれば,あれは本当の冷麺ではない。日本でも本当の冷麺を出す店が上野にある。名前は富士吉(ふじよし)。ここの冷麺は私が知る限り韓国の冷麺に引けをとらないし,韓国人も合格点を出す。たまに売りきれることがあるので,電話で冷麺を予約してから行くのがよいだろう。これを食べたら盛岡冷麺は食べられなくなるかもしれない。実際,私は盛岡冷麺を食べられない。なお,予約の際には「細麺の冷麺お願いします」と言っておこう。でないといわゆる盛岡冷麺が出てくるかもしれない。
1999/05/14 性格診断
指導上問題がある家庭教師の教え子に,大学の実習で自分もやった性格診断検査をやってみたら,自分と全く同じ結果が出て凍ってしまった。
1999/03/25 氷河時代
ある同世代の北海道出身者との会話
「今でこそ地球温暖化とか行ってるけど,小学校のころは『氷河期が来る』っていって騒いでたんだよね,覚えてる?」
「覚えてるけど,氷河期が来なくても寒かったよ」
1999/02/17 中日の宣投手
だいぶ前の話だが,1998/05/12で登場した韓国人の生徒が,韓国の飛行機の中で宣選手と一緒になったことがあるそうだ。しかし宣選手はどう見てもただのおじさんで,乗客は誰一人として気づいていなかったそうだ。
1999/02/05 ダイアログの罪
私の友人の友人(コンピュータ素人)が,1999/01/18のところで紹介した私の作ったダイアログを見て,「こんなこと言われてるーどうしよう…」と言って困っていたそうだ。
1999/02/04 小渕総理の戯言
部屋掃除をしていたら,去年取ったこんなメモが出てきたので,捨てる前に書いておこう。
「トゥーアーリー,トゥーマッチで頑張りたい」by小渕新総理
前橋本総理がアメリカの誰だかに,経済政策のことを「トゥーレイト,トゥーリトル」(遅すぎる,規模が小さすぎる)と言われたのを受けて,小渕新総理は就任時の決意を語ったらしいが,とんでもない英語であって日本の英語教育の誤りが如実に表れていると言えよう。この小渕新総理の言葉は「早すぎる,規模がでかすぎる」という意味のけなし言葉だ。なるほど高所得者の減税のことを「トゥーアーリー,トゥーマッチ」と言いたかったのだろうと,今にして納得するものである。
日本の歪んだ外国語教育の問題は,「韓国・北朝鮮の部屋」に置いてあるハングル検定批判にも書いた。「過激につき無関係な方はご注意ください」と注意書きをしておいたのだが,普通の常識人にはけっこう好評な様である。
1999/01/18 ダイアログで遊ぼう!
ダイアログで遊ぼう!という人気ページがある。詳しくは「近視矯正手術体験記」のページの1999/01/17に書いておいたが,投稿しようと思って私も作ってみた。
1999/01/17 早口言葉
「坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた」,慣れるとすごく言いやすいと思うが,なぜこれが早口言葉なのだろうか?
1999/01/09 寿がきや快進撃
最近関東のコンビニでの寿がきやの進出は嬉しい限りである。種類もこれまでの「天ぷらそば」「きしめん」から増殖して,「カレーうどん」「大阪ダブルうどん」「名古屋味噌煮込みうどん」(ふたに「どえりゃーうまいて!」と書いてある)果ては「甲府ほうとう」まで売っている。これでもう「ごんぶと」は必要なくなった。
1999/01/08 世紀末
ここ数年,「世紀末の世の中」とか言って世の中の歪みを押し付ける傾向があるが,「世紀末」がいずれ終わって,そのフレーズが使えなくなってしまうということに人は気づいているのだろうか。
(どうでもいいけど,21世紀は2001年からであるから,2000年が世紀末である。)
1999/01/03 父の音楽志向
私の父・62歳の主張
「わかるのはサザンオールスターズまでだ。それ以降のはどれも同じに聞こえて分からん。」
1998/12/20 秋田書店コミック
久々に実家に戻って弟の部屋を借りたが,床に秋田書店コミックの裏表紙が見えたので,「ブラックジャック」だと思い手にしたのだが,それは「マカロニほうれん荘」だった。
1998/09/25 「ごんぶと」よりうまいうどん
それは,「寿がきや」の生タイプのカップうどんだ。今まで知らなかった自分が恥ずかしい。
ちなみにその「寿がきや」の生タイプきしめんも旨い。
1998/09/04 ウルトラクイズ
1998年8月30日,あの音楽,あの司会者,あのフレーズを引っさげて,ついにウルトラクイズが戻ってきた。
史上最多の5万人を超える参加者を飲み込んで,超満員の東京ドーム。プログラムのスタートを告げるあの懐かしい音楽が鳴り響くと,かつての青年たちの感慨を含んだ小さなざわめきが起こった。そして福留アナウンサーの登場。万雷の拍手と「トメ」コール。福留アナの頭は白んできたが,「ニューヨークへ行きたいかー!」の叫びと共に,かつてのよき時代が目の前に戻ってきた。
というわけで,8年ぶりの福留ウルトラクイズ。行ってきました東京ドーム。
ウルトラクイズといえば,第一問だ。今でも決して忘れることのできない,1989年初参加の第一問。
「ニューヨークの自由の女神は,かつて灯台だった」
その年の第一問は読売新聞の広告として発表され,参加者はドーム入場時に「○」・「×」を決し,「○」と思えば3塁側へ,「×」と思えば1塁側へと入場するのであった。私はほとんど躊躇せずに「×」を確信し,1塁側への入場を選んだ。3塁側の受付は閑散としているのに反して,1塁側への受付は大盛況。その様は1塁側への入場者に「正解」の期待を抱かせるに十分なものだった。ところが…
入場して愕然とした。確かに「○」側に集結した人数は「×」側よりも少なかった。ところが,あらゆる大学のクイズ研究会の「のぼり」は判で押したかのように全てが「○」側に立っていたのだった。1塁側だけでは収まりきらずに,3塁側外野席まで侵食していた「×」の人々の波に漂う不安。追い討ちをかけるかのような,紹介された歴代クイズ王たちの「○」側に向かって走る姿。3塁側から鳴り響く「マル」コール,1塁側から鳴り響く「バツ」コール。しかるにお約束かのように答えは「○」であった。
毎年繰り返される「自由の女神」の第一問。しかしそれは巧妙に仕組まれた選別問題だったのだ。意外なる答えをもって半数以上を振るい落とすように意図的に仕組まれた問題なのだ。これに気づくことこそが,クイズ研究会に属さない我々が「実力」でウルトラクイズ予選突破を目指すための第一歩なのだと,溜め息の漂う1塁側の外野席で私は知った。
今年は何と「自由の女神」問題が第四問まで連続し,かつてのウルトラクイズファンを驚かせた。私はかつての初参加の教訓を十分に生かし,第四問までを「実力」で突破した。
1998/08/31 ボケがきた
たいしたことじゃないけど…
ある言葉を思い出せなくてえらく苦労したのであった。
「あれ? 「石鹸風船」だったかな…」
そうそう、「シャボン玉」だった…
1998/07/02 もっと決定的な理由
まだまだ日本が弱いということだなぁ。次までには何とかなるだろうか。
1998ワールドカップは終わったけど,JリーグやJFLはまだまだこれから。ここでプッツンしないでサッカーを見続けよう。
1998年6月30日(火) 大脳生理がなんぼのもの
ワールドカップの敗因。
(1) 城選手が不出来だった。
(2) ただでさえどんぐりの背比べだったFW陣で,わざわざ城選手を中心に据えてしまった岡田監督の誤算。
(3) 城選手が笑っていたから。
オリンピックで原田選手が笑うのはいいだろう。飛ぶときは一人で飛ぶのだから。でもねえ,サッカーは11人でやるのだ。まわりへの影響を考えないとだめ。
1998年6月17日(水) チケット価格を釣り上げたのは…
ワールドカップのアルゼンチン戦のチケットのヤミ価格は,10万円~20万円だったようだ。品薄になればヤミ価格が上がるのは当然だが,今回の騒動で,「渡仏しても観戦できなければ旅行代金全額返還」を打ち出したJTBがヤミ価格を釣り上げた可能性があることはおさえておきたい。数ある旅行会社の中でJTBの対応が一番良心的だと評価は高いが,その裏でJTBはツアー代金と同額を出してでもチケットを確保して観戦させたはずである。
1998年6月13日(土) あっぱれ西鉄旅行
私は自己紹介の通り,元旅行会社正社員である。(たった9ヶ月間だけであったが…) そのため今回のワールドカップチケット騒動は他人事ではない。尤も他人事ではない最大の理由は,つい先日までは私もあわよくば観戦に行こうと思っていたからである。
この大混乱の中,事前からチケットを完全確保してあり,ツアーをすべて予定通り催行する会社が私の知る限り2つある。Jワールドトラベルと西鉄旅行である。
このうちJワールドトラベルは,公認チケット代理店としての座を入札によって射止めた旅行会社であるから,すべてのチケットはワールドカップ組織委員会から入手している。絶対安全なわけである。
それに比して西鉄旅行は公認チケット代理店ではないので,チケットは他の旅行会社と同様に自力で調達しなければならなかった。西鉄旅行の偉いところは,自社のツアーに使うチケットを,すべて公認チケット代理店との契約で確保し,確保した枚数分だけのツアーを売った点である。
実は旅行会社ならどこでも,「なせばなる」を身上とする場当たり的な性格がある。今回の騒動では,その性格がことごとく裏目に出てしまったわけだが,儲けたい心を抑えリスクを客にまわさなかった西鉄旅行の自制心は全くあっぱれというべきものである。報道では話題にならないようだが,特筆大記すべきことである。
1998年5月21日(木) 韓国人の家庭教師と電話
韓国人高校生の家庭教師をしている。きっかけがすごい。韓国料理屋で一人で夕食を摂っていたときに,隣に座っていたおじさんと話をしているうちに,そのおじさんの息子をみることになったのだ。在日韓国人ではなく本国出身の韓国人なのであるが,かれこれ4年間日本に住んでいるので教えるときは日本語で十分であり,その彼と韓国語で話をしたことはなかった。
ところが今日,家庭教師の最中に韓国の友人から携帯に電話がかかってきた。どぎまぎしながら韓国語で電話する私をみて,韓国人である教え子は目を丸くして驚いたというわけ。日本人である家庭教師の先生が,突如韓国語を話しはじめたのだから驚くのも当然か。
1998年5月16日(土) 女性党
最近うちの大学の正門の前に女性党の宣伝カーが出没するようになった。ところがこれが,車の上に立った女性が「日本の政治,今のままでいいんですかぁ?!」「私たちはかえたいんです!」「ちからをください!」等々,感情的に絶叫するだけで訴えるものが何もなかったりする。あれでは逆効果であろう。立ち止まって聴き入る人はおろか,通りすがりに顔を向ける人さえ全然いない。
1998年5月8日(金) 「はかるくん」
![]() そんな気前のいいことをやっていたのだったら,北朝鮮旅行のときに持っていけば面白かったのに,と今になって後悔するところである。 はかるくんに関する相談窓口は以下の通り。 財団法人
放射線計測協会 業務部 |
1998年5月7日(木) 朝鮮人参
朝,一月ほど前に韓国の友人の知人である医大の助教授(皮膚科)に,頼まれた日本の皮膚科の教科書を送ったお礼が届いた。さっそく中を開けてみると,朝鮮人参エキスの精力剤と朝鮮人参茶の詰め合わせであった。(笑)
試験勉強などで疲れていたので,さっそく精力剤を使うことにしたが,用法の言う「一回5錠」は恐いので,3錠飲んで大学に向かった。すると午前中の授業では眠気が全くこなかった。しかも疲労感がない。全くよくできている。
しかし学校が終わり午後3時ころになると効き目が切れてきたのか,だるくなってきた。午後4時ころ仕方がなく寝る。起きたら午後9時30分であった。