令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
雑記2004-2005
2005-7-11 55歳の主婦が群馬大学医学部を不合格になった真の理由(推定)
群馬大学医学部サイト内の学士編入学FAQに、入学後の家庭教師アルバイトに関して「勉学に差し支えないようにするには、週1回日曜日に行うくらいが限度」と書いてある。
一方、東京新聞の特集によれば、この主婦が群馬大学を選んだ理由が「週末には帰ってきて家事ができる距離に」あるからというのである。
先のFAQは学士編入学に関するものであって一般枠のものではないとはいえ、群馬大学医学部側が「ハードな勉強に耐えられるか」を意識していることが良く分かる。しかるにこの主婦は、「週末には東京の実家に帰って家事をする」などと言ってはばからないのである。こんな了見では群馬大学の判断基準の元では合格できるわけがない。年齢以前の問題である。
だれかこの主婦に、以上のことを知らせて差し上げられないものだろうか。
2005-7-10 群馬大医学部は蛮行をしたのか?
群馬大学医学部を受験した55歳の主婦が、学科試験の点数が合格者の平均点を上回っていたのに不合格になった。その主婦が「年齢を理由に不合格にされた」と、入学許可を求めて提訴したという。(東京新聞の特集)
意外や意外、ウェブを回っていたら、この主婦を擁護する意見が続出している。
私は、この主婦は敗訴すると思う。
この主婦の主張の最も弱いところは、入試科の担当者が「個人的見解」として述べた「卒業時の年齢を考えたとき社会に貢献できるかという点で問題がある」という言葉を、あたかも入試担当者の公式見解であるかのように曲解している点である。
そして、公式見解が裁判で明らかになるのか否かは不明だが、なったとしても「年齢」という言葉を出してくる可能性がまずないだろう。
さらに入試要綱には「学力検査・面接・小論文の成績ならびに調査書を総合して判定する」と明記されているのである。
端的に言って、まともな裁判にならないのではないかと思う。
続きは後日に。
2005-7-2 こうして過剰栄養になる(2000年頃の思い出話)
大学病院で実習中のこと。昼休みに病院食堂に入った。そこには患者さん向けの治療食メニューがあった。痩身なわりに血中脂肪が高い私は「低カロリー食」を試してみることにした。
食事を持ってきたおばちゃん曰く、「足りないだろうから、おかわりあげるよ!」と。
2004-10-5 どこに行っても同じ味
近所に「クイックレストラン Sガスト」という、すかいらーく系の早食いレストランがある。
DISガストの間違いじゃないかと思ったよ。
2004-9-29 多分お困りでしょう
かつて敷居スベリのコマーシャルで知られた川口技研。巷で噂のカワグチ技研とは関係ない模様。
2004-9-24 悲惨だねプロ野球界2
「来年もセ・パとも6球団にする」てことで決着ついたが、ライブドアとか楽天とか、0からチーム作っていきなりプロ参入って、そんなんで大丈夫かよ? しかも本拠地をライブドアがすったもんだの末に仙台を指定したら、楽天がそれにかぶせて仙台かい。
結局はやり手企業のパワーゲームの広告塔から一つも脱却しないわけだ。
シダックスのプロ化のほうがいいんじゃないのかね?
2004-9-7 なつかしのメロディー
昨日の手術室でのこと
半年前に他の場所で左眼の白内障手術を受けた方の、反対眼の手術を執刀した。BGMは東京ブギウギ、東京ラプソディー、思い出の渚、空に太陽がある限り、などなど。
12分の手術後、その方は「半年前に受けた左眼の手術はたいそう痛かった」、と前置きしながら、「いつ痛くなるかと思って覚悟しながら受けていたのにいつまでたっても痛くもなんともなくて、音楽も懐かしいいい音楽でとてもよくて、まるで喫茶店にでも来たかのようで、とても気持ちよかったです。」と。
2004-8-31 われらの誇り
オリンピック終了。母国愛とは大したものだ。個人的に顔見知りでもない選手の、また普段気にもかけない種目を、一大事かのように食い入るように見入り、勝利すれば大喜びだ。日本国内でやっている試合で、個人的に顔見知りでもない選手の、また普段気にもかけない種目のテレビ中継を食い入るように見入ることがあろうか?
個人的に顔見知りでもない選手が勝利して、我がことのように歓喜する原動力はもちろん、選手が日本人であり我々も日本人である、という事実である。当たり前すぎて忘れがちだが我々が日本人であるということは、それほどに濃いことであるということを改めて自覚した。
2004-8-10 中央線飛び込みと100円(1985年ごろの思い出話)
かつて新宿から西に向かう各駅停車の夜行列車が存在していた。ある日友人たちとの小旅行でその列車に乗り込んだ。八王子を過ぎたあたりであったろうか、電車はガクンと停車し、モーター音が切れた。しばらくして「人身事故が発生したため…」と車内アナウンス。さらにしばらくすると、車掌が車内を歩いてきた。「はねられた人を覆うために新聞紙などが必要なのですが、余っている方はいらっしゃいませんか?」と。古新聞を差し出すと車掌は礼を言って先頭車両のほうに向かって行った。しばらくして運転再開し、車掌が私のところに来て100円くれた。
2004-7-31 都立国立高等学校・夏の高校野球
7月26日準決勝、穎明館10-1都立国立(7回コールド)
仕事でテレビもネット速報も見れず、仕事が終わってチェックしてみたら大敗していた。茫然自失。しかしダイジェスト番組での選手たちの笑顔を見て、残念さを満足感が上回った。
強豪を3連覇してのベスト4は凄かった。自分が観に行った日大鶴が丘戦の9回、2死からの同点タイムリー、逆転、駄目押し追加点の猛攻は、恍惚の人になってしまうほどの快感の連続攻撃だった(尤もこれは相手からすればこの上ないほどの残虐さの連続でもあったわけだが)。
これからも、自分が死ぬ前か、あるいは野球自体が廃れてしまう前に、1回でいいから甲子園に国高が立つ日を見せてくれと祈りながら、毎年夏の高校野球に注目することになるのだ。
2004-7-25 国高野球拾い読み
朝日新聞・7月22日の5回戦の記事、1980年甲子園出場回顧(←必見)
国高同窓会・最も速い試合速報と、今大会これまでの戦い、甲子園への道〔回想〕
ニュース0425のバックナンバー、80年10大ニュース、”考える野球”の勝利(←必見)
寄付金が目標の3倍を超えて大量に集まったことや、応援バスが79台も出たことなどが記事になっている。
甲子園で緒戦で敗れたため余った寄付金が、当時では珍しい学校屋上の天文台になったという話を思い出す。今では天文台程度は八丈島の八丈高校にまである時代であるが。
参考…ニュース0425の表紙は「こちら」
2004-7-24 都立国立高等学校・夏の高校野球
5回戦、法政一2-3都立国立
2点先制されてから、7回裏に1点返し、9回裏2死ランナー無しからの大逆転!
準々決勝、都立国立5-2日鶴
生観戦。1回表国高1点先制も、その後2点返される。9回表、2アウトランナー3塁からの連打で大逆転!
神宮球場、約30年ぶりに行ったら驚いた。外野が芝生から椅子に変わっており、それでありながら売店やトイレの古いこと。30年前(小学生のとき)に観にいったときにあれほど大きく感じた野球場、実はこんなに小さかったのね。
今日印象に残ったこと
1.9回表の猛攻に、応援席は校歌の繰り返し。観衆総立ち!
2.フォアボールを出した相手ピッチャーに対してブーイング
3. 後の席にFC東京のファンがいたこと、他にもFC東京のタオルマフラーを頭に巻いた人がいたこと
2004-7-21 都立国立高等学校・夏の高校野球
2回戦、都立秋留台0-30x都立国立
猛攻で4回裏までに30点の大量得点で勝利。
3回戦、都立国立13-1都立調布北
2年ぶりの生観戦。国高投手は背番号10番、コントロール良く安定した投球。途中から背番号12番に交代の余裕。適時打と敵失の繰り返しで大量得点して勝利。
4回戦、都立国立4-1創価
国高と同様の大量得点で勝ち上がってきた創価との対戦。先制されるも逆転勝ちでベスト16、久しぶりに甲子園にかなり近づいている。明日は法政一高との対戦。
試合速報は、都立国立高校同窓会HPにて
2004-7-21 釈迦に説法?
親と車に乗っているときにノートパソコンをいじっていたら、母親に言われた。「こんな暗いところでそんなもの見てたら目が悪くなるよ!」
…
…
…
…
おいおい、俺は目医者だぞ!
2004-7-17 冬ソナの人気理由
約15年前に韓国語を学び始めた私としては、今の韓国ドラマブームは隔世の感あり。それはともかくとして、冬のソナタをNHKで見て、その女性人気の高さの理由の一つが分かった。それは出演女性が外見的にさほど素敵ではないからだ。
2004-7-14 悲惨だねプロ野球界
1. 終身比例1位のはずだった中曽根元首相までその座を追われる時代に、何を勘違いしているのか老害安泰体制
2. 阪急→オリックスが良くて、さらに言えば西鉄→太平洋が良くて、さらにさらに太平洋→クラウンライターが良いというのに、近鉄→ライブドアが門前払いだという謎
3. どこまで行っても企業お抱え思想から脱却できない旧態依然な体制。これは近鉄→ライブドアに売却となっても同じこと。どこまで行っても同じこと。
選手は「タカがブン屋が、タカが運送屋が」って言い返してやったらいい。
2004-7-4 ちょっとだけ旧きよき時代CM集
御幸毛織 | ロート製薬 | 牛乳石鹸 | 文明堂 | 桃屋 | 黄桜
2004-6-3 実録・勤務医の生活実態
地域のゴルフコンペに無理やり駆り出されたときのこと。ゴルフ場まで副部長と待ち合わせていくことになった。ゴルフクラブは当然借り物。二人とも車を持っていないので、駅で待ち合わせて電車で行くことになった。朝6時前に待ち合わせることになり、朝食をどうするかで相談した。
私「朝食、どうしましょうか?
ゴルフ場で食べればいいですかね?」
副部長「ばか、そんなところで食べたら1000円じゃ済まないだろう!
松屋の牛丼だったら朝早くても開いているだろう!」
当日、私はぎりぎりに起きたため空腹のまま待ち合わせに。副部長はお言葉どおり松屋で朝食を済ませてきた。
2004-5-27 決め手は情報量の差
5人を連れて帰ってきた小泉さんに非難を浴びせた家族会・救う会が、今度は世論に非難されている。推測に過ぎないが、家族会・救う会は、他の拉致被害者の生存情報などを蓮池さん・地村さん・曾我さんあたりから教えてもらっていて知っていたであろう。ところが小泉さんが生存情報のセの字も持って帰って来なかったら怒ってるんだろう。そうだとしたらその気持ちも分からないでもないが、何も知らない我々一般国民に対して、知っている者の立場で怒りをぶちまけたところで理解を得られるはずもない。そういう言動を無思慮にしてしまうようなら、むしろ記者会見などは控えたほうがいいのではないか。
2004-5-26 マスコミの節操
蓮池さん、地村さんの子供たちの帰国にあたり、雑誌協会だとか新聞協会だとか放送協会だとかが、「節度ある取材」を申し合わせたという。普段は節操のない取材活動をしている、と自認している模様である。