受精卵の逸失利益とは…?

2010年10月6日

 不妊治療中の夫婦の,培養器で培養されていた5個の受精卵が,予定されていた停電の対策を病院側が怠ったために使えなくなったため,夫婦が病院側を訴えた,という事件が報道されました。

培養器事故で受精卵5個成育不能 弘前大を提訴 青森の夫婦

培養器事故で受精卵5個成育不能 弘前大を提訴 青森の夫婦
 担当医の過失による培養器の事故で受精卵5個が育たなかったとして、青森県弘前大病院(弘前市)で不妊治療を受けた青森市の夫婦が30日までに、弘前大に対し、受精卵から生まれる可能性があった子ども5人分の逸失利益や慰謝料など計1830万円の損害賠償を求める訴えを青森地裁弘前支部に起こした。
 訴状によると、同病院の担当医は2008年10月、原告夫婦の体外受精を実施。受精卵5個を培養器に入れたが、数日後に培養器の電源が切れる事故があり、受精卵の成育が不可能になったという。
 原告側は「担当医の過失で事故が起きた」と主張。受精卵の着床や出産のリスクを考慮した上で、受精卵から生まれる可能性があった子ども5人分の逸失利益を計400万円と算定した。損害賠償のほか、学長名での謝罪文と東北地区の産婦人科学会への事故報告を求めた。
 原告側は訴状で「5人の子どもを医療事故で亡くしたと感じ、大きな精神的ダメージを受けた。病院側の不誠実な対応でさらに傷つけられた」としている。
 病院側は「培養器の電源が切れたのは事実だが、弁護士と相談中で詳しくコメントできない」としている。

2010年08月31日火曜日 河北新報社

 毎日新聞には,「同日は電源点検のため停電実施日だったという。」と書かれており,予定された停電であったことがわかります。そうすると,その停電に対する対策を怠ったために受精卵が使えなくなったことについては,病院側に落ち度があったと言えそうですから,このご夫婦の悲しみと怒りは理解ができます。

 しかし,理解できないのは訴額,とりわけ受精卵の逸失利益です。受精卵5個で400万円ということは,1個あたり80万円になります。普通の訴訟であれば,受精卵よりもさらに成長した胎児であっても,逸失利益は認められないものと認識していたのですが,このご夫婦はそうではないと主張されているようです。もしも受精卵が実際に新生児として出生し,成人して賃金を得ることを考えているならば,逸失利益は一千万円ないし数千万円という計算になるはずです。本当に摩訶不思議な主張と言わざるを得ないと思っていました。

 そうしたところ,これに対して病院側が反論したことが報道されました。

弘前大学医学部付属病院で受精卵が成育不可能になったのは培養器管理に過失があったとして、
青森市内の夫婦が同大に1830万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が22日、
青森地裁弘前支部(村上典子裁判官)であった。大学側は請求棄却を求める答弁書を出し、争う姿勢を示した。

 訴状によると、夫婦は不妊治療を受けていたが、08年10月12日、受精卵5個を入れた培養器の電源が落ちて温度が低下し、全受精卵が成育不可能になっているのが見つかった。精神的損害は甚大だと主張している。

 大学側は答弁書で、因果関係の主張立証内容が不明瞭(ふめいりょう)などと指摘し、受精卵について逸失利益を算定できる法的根拠の明示などを求めた。【塚本弘毅】

毎日新聞 2010年9月23日(木)

(赤文字はブログ主による強調)

 これを見ると,ご夫婦は根拠を示さずに逸失利益の主張をされたのだということがわかります。こういう行為を医療に例えるなら,根拠のない治療方法を闇雲に開始するようなものと思われます。医療でそのような行為を行えば倫理的に批判を免れないことは勿論,それによって損害を発生させれば,賠償責任を負わされて当然と言えるでしょう。受精卵の逸失利益の主張を,ご夫婦が自ら考案したのであれば別ですが,代理人弁護士が繰り出したのであれば,その姿勢は如何なものかと思うのですが如何でしょうか。

 ちなみに,請求金額1830万円の場合,標準的な着手金は100万5000円になるようです。あくまで想像ですが,着手金を約100万円に揃えるために,慰謝料1300万円+弁護士費用130万円では足りない分を,むりやり逸失利益として捻出したように見えてしまいます。ただ,そのように考えた場合,(1)なぜ弁護士費用を慰謝料と逸失利益の和に対して1割と計算しなかったのか,(2)なぜ着手金がきっちり100万円になるようにしなかったのか(慰謝料1200万円+弁護士費用120万円+逸失利益500万円),というツッコミが入りそうです。

 普通に考えれば,悪ければ敗訴,良くても慰謝料100万円がせいぜいの事案に思われるのですが,着手金が100万円になるような訴額での提訴というのは,如何なものでしょうかね?

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コメント

  • ご夫婦の弁護人をしている弁護士です。
    初めまして
    ちなみに着手金とかゼロで実費のみでやっております。
    訴額の計算は5人生まれることを前提としてその方の生命がゼロ歳で奪われた場合の額です。
    まあさすがにそこまでは認められませんでした。
    でも今後生殖医学が進歩するにつれて受精卵というものの価値が高まっていくのではと思われます。
    よろしくお願いいたします。

    2012年8月24日 | 夏目 邦彦

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