令和4年3月11日: 東日本大震災トリアージ訴訟を掲載
前回記事の判決について追記
2010年10月4日
ゾウの時間・ネズミの時間として記事にした件ですが,新小児科医のつぶやきというブログでも取り上げられ,様々な意見が出ました。そこに私も少し書いたので,こちらでまとめておきます。
記事を改めて読んだところ,判決の「過失がなくても後遺症が残った可能性がある」という部分に注目が行ってしまい,ちょっと誤認のある感想を書いてしまいました。以下のとおりです。
これは,最悪ですね。
皆さんご存知の通り,法的責任を認めるための過失因果関係の認定には,「過失があったから損害を被ったことの高度の蓋然性」の証明が必要です。そしてその証明は,僅かな疑義を挟まない程度の科学的な証明ではなくても,通常人でも疑いを挟まない程度の証明である必要があります。
ところが引用された部分には,「「過失がなくても後遺症が残った可能性がある」として損害額の3割を減じた。」と書いてあります。
過失がなくても後遺症が残った可能性があるというのですから,通常人でも容易に,過失と障害との因果関係に疑義を挟む(むしろ挟まないのが異常)と言うべきものです。
この裁判官には,通常人程度の論理的思考能力が欠けていたものと断言して差し支え無いと思われます。
この裁判官は,裁判官に向いていないと思います。
その後に読みなおしたところ,「過失がなくても後遺症が残った可能性がある」とはするものの,過失と死亡との因果関係は,後遺症の有無とは別に認めたのだろうと気づきました。そのため,以下のように訂正を書きました。
あー,激しく恥ずかしい読み違いをしていました。
判決では,過失があっても後遺症が残った可能性があると判断しているけれども,過失がなければ死亡はしなかったという判断なのですね。
しかしそうなると,「損害額の3割を減じた。」という判断の仕方は,一体どういう理屈によるんでしょうかね? 通常なら,「賠償金額」=「過失があった時の損害額」ー「過失が無かった時の損害額」という判断をすると思われますが,ここでざっくり3割引という判断をする根拠がわかりません。是非とも判決を読みたいものです。事件番号が分かる方がいらしたら,教えてください。
さらに,どうにもこの損害額認定の手法が胡散臭く思われたので,追記しました。
「過失がなくても死亡した可能性がある」と判断すると,因果関係認定ができないから,死亡したのはあくまで過失があったからだと判断して因果関係を認定しておいて,しかし実際のところは,証拠類からは過失がなくても問題が起きた可能性を否定するのも難しいので,それを後遺症の可能性とだけ認定して,賠償額減額の理由に持ってきたということでしょうかね。巧妙な手口に思いますが,これ以上は判決文や裁判記録を読まないと何とも言えませんね。裁判官がペテン師である可能性は否定できないと思います。
ま,ペテン師は言い過ぎで,法令ギリギリにうまいこと言いくるめたという程度かも知れませんが,報道から読み取る限り,通常の損害額認定のやり方からはかなり外れていることはまず間違いないと思われます。ベースには,通常の民事訴訟における過失因果関係認定のあり方が,医療訴訟にはうまく噛み合わないという問題があると思います。
尤も,それ以前に,医師の過誤を安易に認定する一部司法の過誤が問題なのだと思います。司法の過誤の例は,医療裁判・医療訴訟に既にいくつか挙げてあります。