裁判官の方々へのメッセージ

 私はホームページにこのようなコーナーを設けて,「司法過誤」などという言葉まで使って判決文批判をしてはいますが,実のところは,難しい事件に対して常日頃真摯に取り組んでおられる裁判官の方々を大変尊敬しています。

 それにもかかわらずこのようなコーナーを設けているのは,「司法過誤」と考えられる判決を出された裁判官の方々を,殊更に非難したいからではありません。高度の専門性と結果の不確実性を併せ持つ医療の仕事をしている私としては,同じく高度の専門性と結果の不確実性を併せ持つ司法の仕事が非常に難しいものであることを十分認識しているつもりです。判決に疑問があるからといって過剰な非難をするようでは,その難しい仕事をなさっている司法の専門家に対して失礼になりますし,またそのような非難が日常化するようならば,そのような専門性の高い仕事は続けられるものではないことを良く知っています。

 それでもあえてこのようなコーナーを設けて判決批評を掲載しているのは,その高度の専門性と結果の不確実性を併せ持つ司法の仕事の関係者の方々が,医療の高度の専門性と結果の不確実性を理解せぬままに厳しい法的責任を科したと考えられる例が少なからず見られるため,では司法関係者の方々が逆のことをされたならどう思うかということを,実体験してみて欲しいと思ったからです。

 先日,防衛医大教授が強制わいせつ罪に問われ,最高裁で逆転無罪となった事件がありましたが(平成19年(あ)第1785号),その最高裁では5人の裁判官の意見が分かれて,3人が被害者の供述になお合理的な疑いを差し挟む余地があるとして無罪と判断する一方,2人が信用できるとして有罪と判断し,意見が分かれました。

 そして最高裁判決の主文を“正しい”判断であるとするならば,少数意見を出した2人の裁判官は,結果的には“誤った”判断をしたことになります。ついでに言えば,一審と控訴審で有罪判決を出した裁判官も,“誤った”判断をしたことになります。しかし当然ながら,結果的に“誤った”判断をした裁判官には法的責任はありません。おそらく道義的責任も問題視されないでしょう。このような場合に法的責任を認定されるようでは,裁判官という職業そのものの存在が脅かされることは明白でしょう。

 医療訴訟におけるいわゆる「トンデモ判決」の類型として,被告医師ないしは被告側意見医の医学的判断と,原告側意見医ないしは鑑定医の医学的判断とが分かれるような場合に,裁判官の最終判断によって被告医師の医学的判断が全否定されるものがあります。先の最高裁判決の例で司法判断が分かれるのと同様に,医学的な判断が分かれるような例において,“誤った”判断をした医師に対して法的責任を認めてしまうわけです。当然「これでは医療はやっていられない」ということになります。

 そのような状況において,もう一度司法に眼を向けてみると,「この過失が医療過誤として有責にされるのであれば,この判決は司法過誤と言われてもやむを得ないのではないか?」と思うような例がたくさん目に付くようになりました。だからといって,そのような司法過誤を犯しても法的責任を認定されない司法は甘いだとか,裁判官の再任審査を厳しくすべきだとかいった類の主張をしたいと思いません。願わくば裁判官の方々には,微妙な判決を司法過誤だと指摘されたときに感じる気持ちを,微妙な判断を医療過誤だと指摘される医療者の気持ちに敷衍することを通じて,医療も司法と同様に高度の専門性と結果の不確実性を併せ持つのであり,法的責任追及にはおのずと限界があるのだということを理解して欲しいと思います。

平成21年8月8日記す。


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