静岡羊水塞栓症訴訟(富田善範裁判長の不適切訴訟指揮)

  事件番号 終局 司法過誤度 資料
一審静岡地裁 平成21年(ワ)第1809号 判決平成27年4月17日 妥当~B 判決文
二審東京高裁 平成27年(ネ)第3174号 判決平成28年5月26日 判決文追記

 

 静岡県で産婦が死亡したという事件です。まずは亡くなられた産婦さん、胎児のご冥福をお祈りします。

妊婦死亡7千万円賠償命令 医師の過失認定、東京高裁

共同通信社 2016年5月27日

 2008年に静岡厚生病院(静岡市)で帝王切開手術を受け死亡した妊婦=当時(24)=の遺族が、病院を運営する「JA静岡厚生連」(同)と医師らに損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は26日、請求を退けた一審静岡地裁判決を変更し、約7490万円の支払いを命じた。
 富田善範(とみた・よしのり)裁判長は医師の過失を認めた上で「妊婦の死亡との因果関係があった」と判断した。
 JA静岡厚生連の担当者は取材に「判決を確認しておらず、コメントできない」としている。
 控訴審判決によると、妊婦は08年4月、陣痛を訴え来院。医師の診察で、胎盤が子宮壁から剥がれ、胎児は死亡していると分かった。帝王切開手術をしたが、妊婦は大量に出血し死亡した。
 判決は「医師らは正確な出血量を把握しておらず、実際に輸血した量は極端に少なかった」と認定。その上で「妊婦は死亡率が高いと当時考えられていた羊水塞栓(そくせん)症を発症していた可能性があるが、適切に治療すれば救命できた」と判断した。
 原告の夫は「傷が癒えることはないが、明るく優しかった妻のため前向きに生きていきたい」とのコメントを出した。
 14年12月の一審静岡地裁判決は、医師らの過失を認めたが「死亡当時の医療水準に照らした治療では、救命できたとまでいえない」としていた。
◆原告側「極めて意義深い」 控訴審判決を高評価
 「極めて意義深い判決だ」。帝王切開手術を受けた妊婦の死亡を巡り、医師の過失と死亡との因果関係を認めた26日の東京高裁判決。原告代理人の青山雅幸(あおやま・まさゆき)弁護士は同日、静岡市内で記者会見し判決を高く評価した。
 一、二審ともに焦点となったのは、妊婦が発症した疑いのある「羊水塞栓(そくせん)症」に対する治療の可能性だった。羊水が血液中へ流入する病気で、従来は母体死亡率が高いとされたが、控訴審判決はこれまでの医療訴訟と異なり「適切に治療すれば救命できた」とした。
 青山弁護士は「羊水塞栓症が関係する訴訟では、病院側に過失があっても患者側の訴えは退けられてきた」と説明する。発症すれば呼吸困難や意識低下に陥ることもあり「過失の有無にかかわらず、救命は難しい」と考えられてきたからだ。
 過去には根拠を明示せずに死亡率を8割としていた文献もあったが、控訴審判決は「根拠がはっきりした全国調査の結果では、手術当時でも死亡率は20~30%にとどまる」と認定。その上で、今回の妊婦は、中でも治癒しやすいケースだった可能性があるとした。
 青山弁護士は「最新の知見を基に、正確な死亡率を引用した新しい判決だ」としている。

 

 (医療関係者の方は、m3に登録することによって、高裁判決についての詳報を読むことができます。事実認定はこちら、過失と因果関係の判断はこちらです。)

 

 経過を大雑把にまとめます。早朝に妊婦さんが陣痛があり病院に行き診察を受けたところ、胎児の心拍が確認できず、超音波検査にて常位胎盤早期剥離が確認され、当時のその病院での一般的な対応として帝王切開して胎児を娩出することが決定されました。血液センターに輸血を依頼しましたが、一部がうまく伝わっていませんでした。9時半頃、胎児を娩出して死亡が確認された頃から、それまでも多少低かった血圧が突然急激に低下しました。輸液をしても血圧が戻らず、10時頃に痙攣または不穏状態がありました。10時半頃、輸液ではなく輸血を開始すると、一時的に血圧が上昇するもののその後すぐまた低下するばかりでした。血圧は総じて低かったのですが、明らかな大量の出血等はありませんでした。その後、帝王切開手術中の痙攣または不穏状態が、脳内出血などから来た可能性も考えらるとして、全身を含めてCT検査をされました。すると子宮が巨大化(通常500グラムのところ1300グラム)しており、腹部大動脈、下大静脈が虚脱していることがわかりました。CT検査に行く間に呼吸が異常となり、検査終了後亡くなられました。死亡後の解剖で、羊水塞栓症を発症していたことが明らかになりました。酸素飽和度は一貫して100またはそれに近く、肺機能は概ね問題ありませんでした。なお、脳内出血を疑ってCTを行うことにしたのは、担当医の尋問によれば、その2年前に分娩中の妊婦が脳出血をおこしてたらい回しになった後になくなり裁判になったという、いわゆる大淀病院裁判事件が念頭にあったためだとのことでした。

 原告(遺族)側は、9時半頃の急激な血圧低下は出血性ショックによるものだと主張し(ショックとは、血流不良で体の酸素供給が滞ってしまう状態のことであって、一般的に言う精神的打撃のことではありません)、それに対する治療がきちんとなされていなかったため死亡したと主張しました。一方被告(病院)側は、その急激な血圧低下は羊水塞栓症に起因するアナフィラキシー(アレルギー反応)によるショックであって、確立した治療法がないので死亡という結果は仕方がなかったと主張していました。

  また、原告側は、常位胎盤早期剥離を発症した後は、産科DICを発症しやすいのだからそれに早々に予防・対応していく必要があるのにそれを怠ったと主張しました。被告側は、アナフィラキシーによるショックが起きており、現状ではこれに対する有効な治療法が確立しておらず、救命・延命が期待できるものではなかったと主張していました。(産科DICは死亡にもつながる血液の異常状態ですが、ちょっと簡単に説明ができないので、詳しく知りたい方はWikipediaなどをご参照下さい。)

 私はこの裁判の判決直前の弁論期日と判決とを傍聴しました。判決前の弁論期日には通常「弁論終結」と言って、全ての審理を終えたことが宣言されます。そしてこの裁判でもその日に「弁論終結」しました。その弁論終結する日の法廷で、富田善範裁判長は「当時に注意義務の水準が存在していたが、被控訴人(病院側)は反論ができていない。ただし因果関係のところは考慮する。」との旨を述べつつ、「最高裁で、『医療訴訟では、因果関係がなくても過失がある場合に責任を認める』という判断が出ている」などと言うのでした。過失はあるが因果関係は認められないという心証を語ったと言えるでしょう。その時私は、死亡しないで済む相当程度の可能性も含めて考えられない(=地裁の判断と同じ)という意味だと取ったのですが、後から考えるに、相当程度の可能性がある場合の責任を想定しての発言だったのかもしれません。

 ともあれ、この裁判長の心証の内容に、病院側弁護士は面食らった様子でした。いきなり急激なショック症状を発症して、輸液にも反応しなくてにわかに原因がわからない状況で、やるだけのことはやったのに責任を認められてはかなわないというようなことを述べていました。そして裁判長は責任ありの前提で和解を強く迫りろうとし、それを病院側弁護士が無理だと告げると、裁判長は「和解したほうが病院側のためにもなるだろう」という旨の上から目線の発言までして重ねて和解を迫りました。しかしながら私が傍聴した印象では、ここまで病院側が和解は無理というならば、和解に至らないまま判決が出るだろうと考え、どういう判決文が出るのかに興味津々でした。

 そして判決の日も傍聴しました。判決では約7490万円という、因果関係を認めなければ出てこないであろう高額の賠償が認められました。これには私はびっくりで、急ぎ判決文を含めて記録の閲覧をしました。(実際には記録の閲覧が認められたのは判決の4営業日後以降でした)

 判決文は正直なところ気持ちが悪いものでした。所々で歯切れが悪いというかごまかしがあるからと言えばいいでしょうか。例えば、この事例の最大の山場である当日 9:30の急激な血圧低下について、「アナフィラキシーショックではないが、出血性ショックとも断定しがたい」旨を述べ、その「断定しがたい」出血性ショックにつて、「ショックインデックス」という、当時一般的であったとは言えない診断方法を用いていなかったのは過失だと述べ、また、死因は常位胎盤早期剥離に起因する産科DICであり、その産科DICに対する治療を正しく行わなかった過失があり、それによって死亡したと認定しました。しかも、経過中のどの時点でどのような治療を始めていればどれほどの可能性で助かったはずなのかの言及がなく、判決の理由が曖昧に過ぎるのです。この中でも特に、患者側は経過中の「どの時点で、何をした/しなかったことが過失」と主張しているにもかかわらず、それを「一連の治療であるから分断して検討することが適切とは言いがたい面もある」として、勝手に一括して検討しはじめています。検討するだけならまだしも、結論としてどの時点で何をしなかったことが過失なのか明言しないのは、当事者の主張に従って判断を示していないことから「弁論主義(裁判官は訴訟の当事者の主張の範囲を逸脱して判断をしてはいけない)」に違反していると言わざるを得ません。また、救命可能性についても、事件発生時よりもずっとあとの、医学が進歩してからの資料を参考にして救命が可能であったと判断しており、司法判断手法として不適切です。 (平成29年10月31日注:: この記述について疑問を複数頂きました。筆者の言わんとする所は、「当時の医療水準における救命可能性ではなく、その後に医学が進歩した状況での医療水準における救命可能性の資料を参考にして、救命が可能であったと判断した」ということです。ただしこの点に筆者に誤認がある可能性もあるようにも思われるので、後日記録を再度閲覧してから必要があれば書き直します。判決書だけでは検討は十分できないと思っています。)(令和2年5月16日注:先日(令和2年3月27日)静岡地方裁判所で改めて記録閲覧をしてきました。その結果,救命可能性について医学が進歩してからの資料を参考にしてとの部分は私の誤解でした。関係者各位および本稿をご覧頂いた皆様に深くお詫び申し上げます。誤った理由としては,本件診療時よりも後に発行された「産科出血ガイドライン」が参考にされたことと混同した可能性があります。ただしその発行は本件診療の2年後であ��,「ずっと後」とは言えず,ずっと後と認識したことについては他の理由があったかも知れませんが,今となっては推測不能です。申し訳ありません。)

 この事例は、裁判官が膨大な資料を検討して十分な日時をかけてしても、「出血性ショックとは断定しがたい」としか結論づけができないほどの謎の急激な血圧低下が起こった事例であり、それにに対して試行錯誤で対応したけれども残念ながらダメだったという事例です。このような事例をあとから何年もかけて審理して、そのわからないところはごまかしたまま、産科DICという大枠の病名に依拠して「本例は産科DICに対して適切に治療していれば助かっていたはずだ」という物言いは、私から言わせれば不誠実極まりないというものです。このような不誠実さで、わずか数時間の必死の格闘に違法法な判断をして責任を負わせるその神経が全く理解できません。人間としてどうかしていると考えざるを得ません。

 またこの事例の控訴審が物語る恐ろしいことは、弁論を終結できるほど裁判官が全てを審理した上で「因果関係がない」との心証を開示した後であっても、弁論を再開することもないまま「因果関係があった」という判決文を書くことができる、ということです。これには2つの恐ろしさがあって、一つは裁判官の気持ち一つで正反対の結論を書くことができる場合があるという事実と、もう一つは裁判官は二枚舌が使える職業であるのだという事実です。

 患者側代理人の青山雅幸弁護士は、控訴審の最後の書面で以下の様なことを述べました。

 このような医師らが三人、そして、一つの医療機関が存在するのである。これに対し、医学的根拠に基づく合理的な判断がくだされなかったとしたらどのような事態が招来されるのであろうか。
 少なくとも被控訴人らは同様のずさんな医療を続けるのであろう。また、この判決を知った産婦人科医らは、被控訴人等と同様、研鑽を怠り、漫然と狭い自己の知見の範囲内での治療を続け、仮に人命を失わせることがあったとしても何の責任も問われることもない、と安心して自己の知見を向上させる努力を怠るであろう。医療機関とて同様である。
 責任が問われることがない分野は必ず堕落する。司法が尊敬され、三権分立という重い権限を委譲されているのは、世論や圧力におもねることがなく、国民一人一人の未来に責任を背負っているからである。

 

 一般の法律家であれば誰でもすぐに分かることのはずですが、「責任が問われることがない分野」とは何かといえば、それは取りも直さず裁判官以外にあり得ないのであって、そうすると「司法=必ず堕落する分野である」と述べているのと同値であると考えられるところ、それにもかかわらず「司法が尊敬され」などと文章を続けるそのセンスにはめまいがする思いです。これも私が日頃ひしひしと感じている法曹の庇い合いの一症状なのかなと、妙に納得するばかりです。

 ちなみにこの病院は、2016年の春についに産科の分娩取り扱いを中止しました。このような「ずさんな」医療を行う医療機関が消滅したことで、青山雅幸弁護士はさぞ嬉しく思ったことでしょう。青山雅幸弁護士はこの控訴審での患者側逆転勝訴を以って記者会見を開き、続く参議院選挙に打って出る計画だったようですが、うまくいかなかったようです。素人目には、上記のようなことを述べるような人物は、少なくとも医療行政を扱うには向かない人物であろうという印象は持ちました。

 この事件で病院側は上告および上告受理申立てを行い、それに合わせて控訴審判決の強制執行停止の申立を行いました。するとその申立を行った後に東京高裁民事第14部の裁判長が交替になり、強制執行停止が認められました。一般に、一審から控訴審に進む際の強制執行停止の申立は、逆転判決になるような「事情がないとはいえないこと」が必要ですが、どんな裁判でも逆転する事情がないとまで言い切るのは難しいものであり、実際その強制執行停止は認められるのが普通です。しかし最高裁に進む際の強制執行停止申立では、逆転判決になるような事情が明らかにされた場合にのみ認めることになっており、その判断は控訴審判決を出した高裁のその部署が行うのですから、自らの判断がひっくり返させることが明らかになったと認めるなどは普通ありえないことですし、実際こんなことはまずない話だと複数の弁護士の方から教えてもらいました。(令和2年3月27日注: その後、控訴審判決の強制執行停止を詳細な検討なく認めたと思われる例を本件以外に2件確認しました。)

 上記のように、法廷と判決で言っていることが違い、同僚に逆転の事情があると判断されるような判決を指揮した富田善範裁判官は、この夏に横浜地方裁判所の所長として異動されたようです。 私に言わせれば、この判決のように違法な判断を示した裁判官こそが一刻も早く退場するべきだと考えますが、こういう人物でも横浜地方裁判所という大きな地裁で所長ができるという事実に衝撃を覚えます。東京高等裁判所はこの判決の1ヶ月後に、ウェブ上でブリーフ姿を公開するなどして品位を貶めたとして、所属している岡口基一裁判官に対して厳重注意をしましたが、岡口基一裁判官の行為は、確かに品位の点では疑問を持つ向きはいるとしても、司法の公平性に対して何ら疑問を与えるものではないのに対して、富田善範裁判官の行為は司法の公平性を強く疑わせるものであり、一体東京高等裁判所は何が正義だと思っているのかと問い詰めてみたいものです。「責任が問われることがない分野は必ず堕落する。」 この言葉をしっかり肝に銘じて批評を続けていきたいと思います。

 

平成28年8月25日記す。

平成28年9月1日、「一審東京地裁」との誤記を「二審東京高裁」に訂正(ご報告くださった方ありがとうございました。)

平成29年10月31日、本文中に注記を追加。

令和2年3月27日、本文中に注記を追加。また、誤字、脱字および冗字修正。

令和2年5月16日,本文中に追記を追加(誤解についてのお詫び),別ページとして追記を追加(こちら)。

令和3年6月23日,誤字訂正。


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