眼底造影検査アレルギー死亡訴訟

  事件番号 終局 司法過誤度 資料
一審名古屋地裁 平成19年(ワ)第5278号 判決平成22年7月28日 妥当 資料
二審名古屋高裁 平成22年(ネ)第1008号 判決平成23年5月26日 妥当  
最高裁 平成23年(受)第2066号  

 加齢黄斑変性という病気に対して眼底造影検査を行われた73歳の男性が、その造影剤のアレルギーで死亡したという事件です。患者さんや遺族の方は、「心停止もありうる」との説明を聞かれていたとはいえ、まさか眼科の造影検査で実際に死亡するとは考えもしなかったことと思います。亡くなられた患者さんの冥福を深くお祈り申し上げます。

 患者さんには、フルオレセインという蛍光造影剤を投与されました。その投与から46秒後には咳がではじめ、5分後には心臓が止まってしまいました。担当医は急変中、治療としてステロイド剤およびアドレナリン製剤の投与、点滴などを行いました。最終的には救急車で基幹病院に搬送され、そこで気管内挿管され治療を継続されましたが、最終的にお亡くなりになりました。

 あまりの急な出来事で、あとから厳密に見れば、処置の順番が違っていればより良かったなどの指摘もありますが、大筋ではやるべきことをやっており、また処置の順番が違っていれば助かったとも言えないようで、担当医に法的な過失はないものと思われ、実際名古屋地裁、名古屋高裁ともに、医院側に責任なしという判決を出しています。

 そんな事例でも裁判を起こすからには、ここがおかしかったと原告が主張するポイントがありました。ポイントはいくつかありますが、私が記録を見た限りでは最大のポイントは「アレルギー発症後、直ちに気管内挿管しなかった」という点でした。実際には眼科医が気管内挿管するなどということは、救急の実地研修を終了した直後であれば別かも知れませんが、普段眼ばかりを診ている眼科医には、到底自信を持ってできることではありません。もとより個人の眼科診療所に、気管内挿管をするための道具が置いてあることなど、考えにくいことです。原告のこの主張を見ての私の感想は、「厳しく突いてくるなぁ」というものでした。

 ところが、この厳しい原告の主張に対して、被告側が颯爽と反論します。攻防の一連の流れを追ってみます。

訴状(原告の主張)
気管内挿管をしなかった過失がある。
被告答弁書(被告の主張)
眼科医におけるショック対応において,気管挿管等の,文献にあげられている事項を全て実践しなければ過失が認められるというものではない。
原告準備書面1(原告の主張)
被告は,眼科医におけるショック対応において,気管内挿管等を実施しなければ過失が認められるというものではないと主張する。しかしながら (・・・) 気管内挿管の実施が眼科医には求められていないとの被告の弁解は失当である。
被告準備書面1(被告の主張)
原告は,準備書面1において,被告が眼科医には気管内挿管の実施が求められていないと弁解していると述べているが,被告は,眼科医は気管内挿管を行わなくてもよいと主張するものではない。(・・・) 実際に行なっているアンビューバックによる人工呼吸が効を奏していることと,技術的に気管内挿管が必ずしも簡単なものとは言えないこと等を対比して,気管内挿管を行わなかったことが過失とは言えないと主張しているのである。

 つまり、気管内挿管とは、気管がふさがって空気を肺に出し入れできなくなると困るので行うものだが、今回はエアバックで口から空気を出し入れできていたし、気管内挿管自体が必ずしも簡単なものではないので、緊急気管内挿管を行う必要はなかったという主張です。

 これは原告側の事前調査に問題があるのではないかと私には映りました。そもそも気管内挿管が必要だったかどうかという根本的な部分の評価が不十分だったのですから。眼科医対象の文献に「眼科医にも、アナフィラキシーショックの際には、気管内挿管を実施することが当然期待される」というような記載があるので、原告側はこれで行けると思ったのでしょうね。ところが開けてびっくり、被告病院には挿管用器具が常備されており、さらに必要ならば直ちに挿管すべきことの義務は否定しないと反論されたのだから、もうしどろもどろでしょう。原告代理人は医療事故情報センター理事長である柴田義朗弁護士でしたが、そのような大きなグループを率いるリーダーがこの仕事というのは、ちょっと恥ずかしいように思います。例えて言えば、医師が手術にあたって術前評価を適切にできなかったようなもので、医師がこの原告側ど同程度の事前評価の誤りを犯して損害が発生するようなことがあれば、訴えられれば敗訴することでしょう。

 それでも原告側は、直ちに気管内挿管する義務があったことを立証しようとします。その証拠の一つとして、事故発生時に看護師が書いた「チアノーゼあり」の旨の記載でした。これを取り上げて、酸素不足だったのだから気管内挿管が必要だったのだと主張しました。しかし、後から駆けつけた救急隊の救急記録にはチアノーゼの記載はなく、むしろ「顔面紅潮」と記載されていたのでした。

 普通に考えれば、看護師とはいえ眼科勤務で、今回のような緊急事例に遭遇することが全くと言っていいほどない人によるカルテ記載と、普段から救急隊として活躍している人による緊急事態に関する記載とでは、救急隊による記載のほうが信憑性が高いということは、通常人であれば疑いを差し挟まないと思います。しかもこの事例では、目で見て胸が上下していることを確認できた、つまり肺に空気を送り込むことに成功しており、救急搬送時にもそれは続行できていたそうですから、なおさら原告側の言い分は無理があるというものです。

 ところで、これがもし本当に気道閉塞していた事例であったならば、裁判の行方は全然違っていた可能性があるでしょう。本当に気道閉塞していたけれども気管内挿管されないままに亡くなられて、この弁護士で名古屋地裁の永野圧彦裁判長にかかっていたならば、被告側敗訴が優に想像されます。気道閉塞という、より重症であった場合に、かえって医療者の過失が認められやすくなりそうです。想像するだけでも嫌なものです。

 その他の原告側主張は、気管支喘息の既往があったのだから、検査に当たってはステロイド剤の予防投与を行う義務があったとか、ショック発症後の輸液が少なすぎであり、ポンピング輸液を行う義務があったなどです。裁判進行の比較的早期(平成20年6月18日付準備書面)に、被告側が鑑定を申し出たところ、原告側が「診療経過に争いはなく、アナフィラキシーに対する処置に関しては確立した治験がある。専門家の知見を補充する必要性は乏しく、法律家の健全な経験則で判断可能。」と主張した(平成20年9月2日付準備書面)にも関わらず、原告側は結審間近になって手のひらを返したように鑑定を申し出て(平成22年3月11日付の準備書面)、裁判所から当然に却下されており、素人的にはかなり見苦しく感じられました。(ちなみにこの事件は、平成19年12月19日の第1回弁論準備から、一貫して弁論準備手続が進められ、平成22年2月5日に第1回口頭弁論、同年3月12日第15回弁論準備、同年5月14日第2回口頭弁論で結審という進行でした。このような進行の仕方は初めて見ました。)

 先に述べた通り、一審は原告敗訴でした。判決内容はまずまず妥当だと思うのですが、「ステロイドの前投与をすべき義務はない」という判断の中に、怪しい部分がありました。判決文では、患者さんの既往歴(気管支喘息)を気管支炎と誤認しており、造影検査実施の指針において特に注意が必要な疾患として、気管支炎は挙げられていないので、そこまでの義務はないと判示しました。控訴審ではこの点について、原告側が以下のように主張しています。

原判決(一審判決)の事実誤認。原判決で「気管支炎なのでステロイド投与の義務はない」と書かれている。これは気管支炎と気管支喘息とを混同している。原判決は「気管支喘息」と「気管支炎」を混同するという,医療専門部の裁判官としては信じがたい事実誤認を犯し,その結果,的外れの結論を導いているのである。このように,争点の前提となるA(亡くなられた患者さん)の疾患について,かかる初歩的な事実誤認をすること自体,如何に原審(一審)の事実認定が杜撰であったかが裏付けられるのである。

 原告代理人は自分のことを棚に上げてよくここまで書くなあ、というのが私の感想なのですが、とは言え気管支喘息を気管支炎と誤認した点は確かにお粗末と言っても良いでしょう。気管支喘息の既往がある場合、アレルギーに対して注意する必要がありますから、たとえ判決全体には影響しないにしても、一審判決のその部分はちょっとお恥ずかしいものがあります。

 その点について、一審と同じ原告敗訴となった控訴審ではどう判断されたかというと、「一審での気管支炎の表記は気管支喘息の単なる誤記である」とされたのでした。

 いやいや、誤記じゃないから問題なんですけど・・・

 その後原告側は、最高裁に上告受理申立てをしていますが、その申立書には、以下のようなことも書かれていました。

・ 心臓マッサージを1人で15分行った事実。5分で交代しておらず、有効でなかった。
・ 看護師がチアノーゼを誤認するはずがない。救急隊員がチアノーゼを記載しないことは十分ありうる。

 うーん、医療の世界では、誤診の疑いが強くなればそれまでの診断を速やかに取り消して、新しいより確からしい診断に基づいて治療方針を変更するのが当然であり、またそうせずに悪い結果を招いて提訴されれば敗訴するわけですが、法律家の方のお仕事は、医療とはだいぶ違うようで羨ましいです。

 この医療裁判では、20分という短い時間における医師の判断に対して過失を問うているわけですが、その過失を問う人やその判断をする人たちが、はるかに長い時間をかけておきながら、上記の如く「最善の司法」・「最善の弁護」とは言い難いお仕事をされているのを見ると、全くもってうんざりするというものです。20分という短い時間における医師の判断に対して、これだけ厳しく責任を問うたり、ときに厳しく判断をするような人々に対しては、その仕事の制限時間が極めて長いことに鑑みて、限りない厳しさを以て批判を続けていきたいと、決意を新たにする次第です。

 法律家の方々には、その批判を受け続けることを通して、国家として人数を限定して免許する専門職に対する過失認定はどうあるべきかを、よく考えて頂きたいと思います。このような方法を以てしてでないと、本来頭脳明晰であるはずであろう法曹資格者の方々に響く気配がないという現実に、半ば絶望を感じてはおりますが、それでも望みを持って頑張りたいと思います。

事件概要等については、資料をご覧ください。

平成24年4月27日記す。


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