日野心筋梗塞訴訟

  事件番号 終局 司法過誤度 資料
一審東京地裁
立川支部
平成18年(ワ)第1572号 判決平成22年10月
(28日か29日か不明)
判決概要等
二審東京高裁 平成22年(ネ)第7809号
平成23年(ネ)第623号
(附帯控訴)
判決平成23年8月23日 妥当 判決概要等
(上と同じ
ページ内)

一審編

 夜間救急受診時に心筋梗塞の診断が遅れたため、心臓機能が低下したとして提訴した例です。地裁判決後に以下のように報道されました。(記事内の個人情報を伏せます)

日野市立病院診断遅れ 市と担当医に1308万円支払い命ず 東京地裁立川支部
10/10/29 毎日新聞社

 日野市立病院で96年に診察を受けた日野市×××、無職、Aさん(65)が、心筋梗塞(こうそく)の症状の発見が遅れて後遺症を負ったとして、日野市と当時の担当医に約4000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が地裁立川支部であり、市川正巳裁判長は担当医の注意義務違反を認め、市と担当医に約1308万円を支払うよう命じた。

 判決によると、Aさんは96年8月11日、心筋梗塞を発症し、同病院に搬送された。心電図検査など適切な処置がされず、心筋梗塞の発見が遅れたために、心臓機能低下などの後遺症を負った。10キロ以上の物を持てないなど労働能力を79%失ったとしている。

 判決後、Aさんは「病院の非を認めたということで喜んでいます」と話した。

 市立病院総務課の中村和幸課長は「判決文を見ていないのでコメントは控える」と話している。【喜浦遊】

 Aさんは、平成8年8月11日午後8時45分ごろから心窩部痛を自覚し、午後9時45分に救急受診をしました。そのときの症状が心筋梗塞を疑わせるものではなく、採血によってもそれと思わせるものではなかったため、もともと消化器専門であった担当医は、Aさんの症状は消化器系の症状と考えたようです。鎮痛剤などを点滴した上で入院を勧めたものの、Aさんは翌日に用事があったことから、入院を断って帰宅したようです。

 その後に再び強い痛みが出たために、翌午前2時45分ごろに再度救急受診をしました。ところがその時点でも心筋梗塞を強く疑わせる症状がなく、担当医はとりあえずの入院と、翌朝の心電図、採血、の指示を出しました。

 翌日の心電図、採血で心筋梗塞が強く疑われる結果が出たのですが、その結果が担当医に伝わるまでに数時間かかり、その数時間分については治療が遅れたようです。

 さて、訴訟で賠償責任が認められるには、原則として、明らかな過失と、その過失によって損害を被ったこととの両方が認められる必要があります。ところが、この事件では3人の第三者医師によるカンファレンス鑑定が行われたのですが、その記録を確認する限りでは、過失も因果関係も認められないと考えられました。

 まず、診察内容に過失があったか否かについてですが、1回目の受診時の診察については、鑑定医3人全員が、不適切とはいえないと判断しています。2回目の受診時については、2人が不適切とはいえないと判断し、1人が心電図を取るべきだったと判断しました。そこで、心電図を取るべきだったと判断した医師に対して、他の医師が「『すべきである』の意味合いが、医療と司法とで違う。我々医療者は、『すべきである』をわりと気軽に使うが、医療の『すべきである』は唯一無二ではない。」と指摘したところ、心電図を取るべきだったと指摘した医師は、「『取ったほうが良かった』とニュアンスは同じようなものだが、どちらかと聞かれれば『取るべきだった』と答えたほうが良いと思った」との旨の返事だったのでした。

 以上の通り、鑑定医の2人が「不適切とはいえない」と答え、もう1人にしてもこの通りの微妙な判断なのですから、法的過失があったとは言えないと判断せざるを得ないと思います。そうでなければ、カンファレンス鑑定をする意味がないでしょう。裁判記録を読むと、このような症状のときに「心電図を取るべき」という旨の記載が医学書にあったことから、裁判長がこの点に拘ったことが窺われます。そして判決では、初診時の採血だけでは心筋梗塞を否定できないからという理由で、結果論的に過失を認めているようですが、これは過失判断のあり方として正しくないと思います。

 余談ですが、すべてを教科書通りにしなければならないというのであれば、教科書通りの訴訟技術に沿っていないないような弁護活動がいくらでもあると思いますし、また、特に医療訴訟では、司法であっても教科書通りの司法判断がなされていないような例が、少なからずあるというのが私の実感です。医療にしろ司法にしろ、専門分野の教科書というものは、およそ理想論が書かれているものであって、実際の現場では現場の判断が優先されるものであると考えますが如何でしょうか。

 続いて因果関係についてですが、因果関係認定も過失判断と同様に無理があると考えられました。8月12日午前6時頃までに心臓カテーテルを施行していたら、左心室の機能低下が少なくて済んだ(左室駆出率が40%を保てた)というのですが、その高度の蓋然性を的確に示す証拠がなく、裁判所の判断が空想的なものになっているからです。そもそも、2回目の受診時には発症から少なくとも6時間が経過しています。これは原告協力医である森功医師の意見書にすら書いてあることですが、心臓カテーテルが有効である可能性があることが、証拠をもっていえる時間は発症後6時間以内です。そうすると、発症後6時間以内の治療開始であっても、せいぜい「有効である可能性があった」ことが言えるだけなのであって、それ以降の時点での治療開始については、有効である相当程度の可能性すら認められない、という判断が司法判断としては最も妥当であると思われます。少なくとも、発症後6時間以降の心臓カテーテルの有効性について、高度の蓋然性をもって障害を回避できたと判断する理由はありません。過失認定がそもそもおかしいと思うので、これを言ってもあまり意味がないのですが、「因果関係はないけれども相当程度の可能性はあった」という判断であれば、因果関係に関する判断としてはまだ救われているのかも知れませんが、この判決は、誤判に誤判を重ねて論外の結論を導いたものと思えてなりません。むしろ、結論ありきで結論にこじつけるために判決文を書いたという印象です。

 司法が医療崩壊の一因と指摘されはじめて久しい平成22年になっても、なおこのような判決が書かれているのか、と憤りを感じた判決でした。なお、かの有名な加古川心筋梗塞訴訟も、類似の問題を孕んでいたと考えています。


控訴審編

 平成23年8月24日に、東京高裁で控訴審判決が出ました。患者側逆転敗訴でした。

 判決では2回目の受診時の診療について、当時の2次救急病院の実情を汲んだ上で、カンファレンス鑑定の内容を踏まえて、過失とは認められないと判断しました。過失が認められないので病院側に責任はなく、その余(治療の遅れと損害との因果関係)の判断はなされていませんでした。そのため、医療訴訟の判決文としては比較的短い15ページの判決文となっていました。私としては、当該病院が多忙であった点については言及不要であったようにも思いますが、一裁判官の医療に対する理解の表れ、と受けとめておきたいと思います。判決の概要については、「判決概要等」をご覧ください。

 この事件では、患者である原告が普通に(とは言い切れないのかも知れませんが、とにかく)生きており、裁判にも足しげく出頭するほどでしたから、裁判所としては、心情的にも病院側無責判決を書きやすかったかも知れません。これがもし、患者が亡くなっていたような場合にも、同じように書けたかどうか気になるところです。尤も、控訴審の裁判長は、東京地裁に医療集中部が発足したときに部長をされていた前田順司判事で、いずれにしても過失判断はぶれなかったであろうと愚考します。

 あと、本当に蛇足なのですが、一審での原告側の損害計算において、逸失利益(障害がなければ得ていたであろう収入)の計算が、一般的な計算方法から逸脱しており、附帯控訴で修正されていました。控訴審で逆転敗訴したのでむしろ事無きを得ましたが、一審判決ではその逸脱のために、通常の計算よりも少ない額の賠償額の認定となっており、原告本人への説明と同意があったのであれば別ですが、そうでなければ弁護過誤になるところでした。この点についても、「判決概要等」にメモしてあります。

平成23年8月21日記す。平成23年9月1日、控訴審編追記。


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