大橋弘裁判長トンデモ訴訟指揮事件

  事件番号 終局 司法過誤度 資料
一審仙台地裁 平成15年(ワ)第753号 判決平成17年7月21日 妥当  
二審仙台高裁 平成17年(ネ)第317号 判決平成18年6月15日 A  
最高裁
第三小法廷
平成18年(受)第1547号 判決平成19年4月3日 A 判決文
差戻審仙台高裁 平成19年(ネ)第151号 判決平成19年12月21日 妥当  
最高裁
第一小法廷
平成20年(オ)第350号
平成20年(受)第407号
決定平成20年5月8日 却下
不受理
 

(法律家の方には、法律的解説を省くなどした法律家向けバージョンがあります。)

 この事件は、12年ぶりに最高裁判所で患者側勝訴が取り消された医療裁判です。一般に知られている限りでは、平成7年以降の医療裁判における最高裁逆転判決は、病院側勝訴の取り消しが20件以上続いており、この事件での久々の医療側逆転劇に、東京六大学野球における東大ではありませんが、「ようやく勝った」の思いが広がったとの噂も聞いています。

 医療訴訟に関心を寄せる私としては、いずれはそれら最高裁判決を総ざらいしてみたい思っていたところ、平成24年12月のある日、この事件には司法的に相当な問題があったらしいとの話を耳にしたため、慌てて調べることにしました。なぜ慌てたかといえば、最高裁判決が平成19年4月となっており、裁判記録は5年で処分されてしまうため、ともするとこの事件の記録自体が処分されている可能性があるためです。そこでまず仙台地裁に電話をしてその点を尋ねたところ、保存期間は平成25年5月7日までだということでひと安心し、仙台地裁に向かうことにしました。

 事件の概要は、統合失調症で精神科病院に入院していた患者Bが、ある日の午後3時30分に体の状態が悪くなり、強心剤の注射と酸素吸入、点滴で様子を見ていたところ、午後4時50分に吐血し、その後に亡くなられたというものです。死亡後の解剖で小腸に穿孔が見つかっており、急変を予測することは難しい事例だったようです。小腸穿孔はありましたが、小腸穿孔に続いて発症しやすい腹膜炎は、発症していませんでした。

 この事件に対して遺族が提訴し、一審では遺族側が敗訴しましたが、控訴審では、午後3時30分にはショックに陥っていた(全身への血液酸素供給が滞る状態のことであって、一般に言う「衝撃を受ける」ということではありません)のに、それに対する処置をするか、あるいは対応出来る施設に転送するべきだったのにそれらをしなかったとして、病院の責任を認めたのでした。

 医学的には、控訴審の判示内容はお粗末極まるものなのですが、おかしな医師が遺族側に協力して医学的に論外な意見を述べ、医学を知らない裁判官がその協力医の意見を正しいと考えれば、そのような判示をすることがないとは言い切れないのが医療裁判です。しかしながら、この裁判にはそのような協力医がいないどころか、遺族側もショックだとかの医学的な主張はしていないのです。しかも、遺族側が提出した証拠は、戸籍謄本、死亡診断書、遺族自筆の書面2通が全てであり、その書面2通にしても、素人の目に映った事実経過と、病院をなじる文言程度のもので、およそ医学的に筋道を立てて何かを主張したという書面ではありませんでした。

 上告に当たって、病院側から最高裁あてに提出された「上告受理申立て理由書」を見ると、控訴審の問題点が網羅されています。少し長いですが引用します(判例タイムズ1240号179頁、上告受理申立て理由書第2の1の冒頭部分)。

(1) 原判決の問題
 上告理由書においても述べたが、原判決には、判示の前後関係、文脈、医学用語の定義、診断基準等に照らし、明らかに意味不明、理由不明の箇所が多数存在する。そもそも、原判決は、客観的証拠に基づかない採証法則違反、医学専門的経験則とは全く異なる独自の論旨を展開するとの経験則違反、弁論主義違反、釈明義務違反等、さまざまな法令違反が認められる特異な判決と言えるが、客観的証拠もないままに裁判官が偶々聞きかじった医学的知識のみに基づき(しかもそれ自体が不正確な知識である)、強引に結論を導き出そうとしたがために、これら法令違背を積み重ね延いては「理由不備」「理由齟齬」の上告理由を構成するにまで至っているのである。稀に見る杜撰判決である。
 あらためて指摘するが、原判決には判示内容を裏付ける証拠が存在しない。乙号証として申立人(原審被控訴人)から提出した診療記録(カルテ、看護記録)、病理解剖報告書、医師の陳述書、内科病院からの診療情報提供書以外に、医学的知見・評価等に関する証拠は何もない。特に医学文献は全く書証とされていないのである。にも拘らず、原審裁判所は、本件証拠及び弁論の全趣旨から、原判決摘示の事実が認定され、判断が導かれると結論付けているのである。原判決はおよそ判示内容を基礎づける証拠に基づかずに判決に至っているものであり、違法である。
 なお、証拠によらない認定という法令違反は、「理由不備」という上告理由と表裏一体の関係にあり、上告理由と重なり合う部分も多い。

 控訴審裁判は違法行為のオンパレードであったかのような書かれ方です。法律家の方からすれば、「そんなことはよくあること」ということになるのかも知れませんが、非法律家である私は、ここまで書かれるほどの裁判を、これまでに見たことがありません。ともかく内容を概観してみたいと思います。

 まず、上告受理申立て理由の1は、「証拠に基づかない認定(採証法則違反)」となっています。そもそも「ショックとは何か」を示す証拠が、この裁判の中にはありません。死因についても、確かに死亡診断書に窒息のことが書いてあるけれども、真の死因が窒息であったことを裏付ける証拠がありません。他にも証拠なき判断がなされている点は多々あり、それらは上告受理申立て理由書に書かれているので、判例タイムズ1240号を参照して頂ければと思います。証拠がないことについて最後に一つ付け加えるならば、信じがたいことに、ある薬の使用上の注意について、控訴審判決文に「(医学書院「治療薬マニュアル2005」参照)」と書かれている部分があるのです。裁判の公正を期すために、裁判官が判断に用いる証拠は当事者(原告・被告)が提出したものに限るということが、裁判のルールの基本中の基本なのですが、この裁判の判決文は、裁判の中で証拠として提出されていない医学文献を参照しろと言っているのです。これは裁判官のうっかりミスという性質のものではなく、悪意がなければ起こりえないことであり、日本の司法制度の中ではありえないことだし、あってはならないことであると言っても過言ではないでしょう。

 上告受理申立て理由の2は、「経験則違反(民事訴訟法247条違反)」となっています。経験則とは「経験的にわかっている法則」のことですから、控訴審の判決文に経験則違反があるということは、「経験的にわかっていることに反している部分がある」ということです。上告受理申立書では、「原判決は、医学文献等の客観的な医療臨床上の経験則を証明する証拠もなく、裁判官の私知とも言うべき浅薄な知識の上部のみを並べて、いかにも尤もらしい判決文を創作するに至っている」と痛烈に批判し、「参考資料7」として添付された、松岡洋夫医師の意見書に基づいた主張が述べられています。その主張は医師の意見書に基いたものであり信憑性も高いと思うのですが、経験則違反を犯したと批判されている控訴審の判決文自体が、証拠に基づかないお恥ずかしい判断がなされたものであり、経験則違反についてはとりあえずおいておきます。

 上告受理申立て理由の3は、「弁論主義違反(民事訴訟法246条違反)」となっています。弁論主義というのはやや難しい概念ですが、ざっくりと言うならば、「裁判の争いの内容は当事者の主張によって決まるのであって、裁判官が勝手に何かを付け加えることはない」というものです。このルールは、「裁判官が判断に用いる証拠は、当事者が提出したものに限ると」いうルールと同様に、裁判の公正さを期すためのルールです。控訴審判決はそれに違反しているというのですが、これは控訴審で、「ショックに陥った時点で気道確保を行うべきだったのに、それをしなかったことが過失」とされている点について、そもそも遺族側の主張の中には、気道確保という文言自体がなく、それを裁判官が勝手に判決文に突然登場させて判断を示したためです。ちなみに判決文には「本件証拠上、事前に気道確保の措置が執られた形跡はない。」と書かれているのですが、証拠もないまま好き勝手なことが述べられているこの判決文の中で、「証拠上云々」などと判示することには、思わず噴き出さずにはいられないというものです。

 上告受理申立て理由の4は、「釈明義務違反(民事訴訟法149条違反)」となっています。控訴審は一審を逆転させたわけですが、口頭弁論は判決期日を含めて3回、あとは和解期日1回だけで判決を出しています。その間に、因果関係や医学的内容、医療体制について当事者らに対して釈明させる義務を尽くさなかったというのです。その通りなのだろうとは思うのですが、どの程度釈明させるべきなのかについては、素人には判断しかねる点であり、この項目については私からは評価を控えます。

 上告受理申立て理由の5は、「先例違反」となっていて、転医義務、医療水準論、因果関係論について、先例となる過去の最高裁判決に違反していることを指摘し、さらに気道確保義務について、過去の最高裁決定に違反していることを指摘しています。ここらへんは、そもそも証拠なくして勝手な判決文を書いた悪事に比べれば些細なことにも思われます。さしずめ、太陽の前では月明かりも暗いと言ったところでしょうか。

 さて、病院側からは上告受理申立てだけではなく、上告もされていました。素人の我々にはわかりづらい仕組みなのですが、ざっくり言えば、上告は、控訴審に憲法違反や手続き上の重大な瑕疵がある場合にするものであり、上告受理申立ては、その他の重要な事項を含む場合にするものとなっています。そして、上告の理由となりうる「重大な瑕疵」の中に、「判決に理由を付せず、又は理由に食違いがあること」があります。この控訴審の判決文では、損害賠償の裁判で必ず判断されるべき「過失と損害との因果関係の有無」に関する判断が完全に欠落しており、これが「判決に理由を付せず」に当たるとして上告がなされました。たとえ過失があっても、過失のせいで損害が生じたわけではない、つまり過失と損害とに因果関係がないのであれば、当然ながら賠償する責任は発生しません。ですから、裁判の判決で因果関係の有無について判断を示すことは、賠償責任を判断する民事訴訟では極めて重要なことなのですが、控訴審判決では、それがなされていないのです。

 以上見てきたように、高裁判決はキング・オブ・トンデモ判決とも言えるもので、司法の信頼性を揺るがすほどのものであるとまで言っても過言ではないでしょう。私がこれまでに見てきた裁判の中で、最も問題のある判決だと思っていたのは一宮身体拘束裁判だったのですが、一宮の事例に見られる判断内容の齟齬は、裁判官の明白な悪意によるものとまでは認めにくいのに対して、本件の控訴審では裁判官の悪意が明白だと言って差し支えないからです。このような判決だったのですから、最高裁が逆転差し戻しを行うことは当然なのですが、ではどのように逆転させたのかを見ていきたいと思います。

 その上告及び上告受理申立てですが、これまた素人の我々にはわかりづらいのですが、上告そのものは棄却され、上告受理申立てによって上告を受理するというものでした。上告受理申立てが通ったので、上告そのものが棄却されても大きな問題ではないかも知れませんが、そこに記されていた上告棄却の理由が、意味不明でした。上告を棄却した理由は、「理由の不備・食い違いをいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反」だからだというのです。因果関係判断の項目が完全に欠落している控訴審判決について、最高裁は、それは控訴審判決に理由不備があるというわけではなく、控訴審判決の単なる事実誤認なり法令違反だ、と言っているようなのですが、何を言っているのかさっぱりわかりません。

 一方、上告受理申立てには受理するだけの理由があるとして、最高裁判所が受理したわけですが、先に見てきた上告受理申立て理由のうち、1の採証法則違反と、2の経験則違反の一部のみを取り上げ、2の残りの部分と3~5は重要でないとして排除されました。司法の素人が考えるには、2の経験則違反などと言うものは、所詮は医学の素人である裁判官が裁く限り、しばしば起こりうることである一方、1の採証法則違反や3の弁論主義違反は、裁判官が裁判官の本分に悖る行為を行ったことに他ならないわけで、法的にはこちらのほうが重要だと思うのですが、なぜ3の弁論主義違反まで「重要でない」として排除したのかがわかりません。

 ともあれ最高裁では、上告受理申立て理由のうちの、1の採証法則違反と2の経験則違反の一部について審理されることになりました。そして控訴審での病院側敗訴を破棄したわけです。その最高裁判決ですが、内容を大雑把にまとめると、「午後3時30分の時点では呼吸不全の症状を呈していたが、ショックに陥っていたとはいえないのであり、ショックを前提として気道確保義務や転送義務を認めたことは経験則に違反している」というものでした。

 最高裁のこの言説自体は、医学的には正しいものと考えられます。しかしここで大きな疑問が浮かびます。控訴審までに医学文献が一切証拠提出されていないこの裁判で、先に述べたような、午後3時30分の時点の症状は呼吸不全の症状であった等の医学的事実を、最高裁がどのようにして認めたのだろうかということです。なるほど最高裁あてに提出された上告受理申立書には、参考資料がたくさん添付されており、その中には医学文献もありました。また医師による意見書もあって、そこには「午後3時30分の時点での症状は、呼吸不全の症状に過ぎない」との旨も書かれていました。最高裁はこれらの参考資料を参考にして、病院側が上告受理申立書で主張した医学的事実を認めたようです。しかしながら、これは素人考えなのかも知れませんが、参考資料はあくまで参考資料なのであって、形式的には証拠によって事実認定をしたことにはなっておらず、採証法則違反の疑いがあるのではないかと思います。百歩譲って参考資料を証拠扱いしても構わないとしても、そもそも最高裁の役割は、法的に重要な事項について判断することなのであって、事実誤認を積極的にひっくり返すことではないはずですから、その点でも問題があると思います。さらにその点をも譲ったとしても、上告審になって病院側から初めて出てきた主張について、それを遺族側に認めるとも認めないとも明言させぬまま、上告審でお決まりの法廷1回を開いただけの形式的な審理を以って、病院側が主張した事実をそのまま認めた判決文を書くなどということは、審理不尽(審理が尽くされていないこと)にも程があると言わざるを得ません。

 控訴審には、普通の法律家であれば誰が見ても明白な、日本の裁判所ではあり得ないとんでもない問題が存在していたにもかかわらず、最高裁はそのことを積極的には指摘せず、医学上の経験則違反についてだけ判示をして、「その余の点につき判断するまでもなく、破棄を免れない」などと述べました。しかしながら、法的に重要な判断を示す役割を担っている最高裁にとっては、「その余の点」こそ判断を示すべき点であることは明らかなのであって、なぜ最高裁までもが審理不尽の違法を顧みずに、瑣末な経験則違反を指摘するに留めたのか、理解に苦しみます。これは下衆な勘ぐりかも知れませんが、あまりにお粗末な控訴審の実態を、できる限り隠そうとする意図でも働いたのでしょうか。もしそのような意図があるのであるとすれば、その意図はある程度成功しているように思われます。実際、判例タイムズ1240号176頁および判例時報1969号57頁では、控訴審の数々の違法には触れられておらず、控訴審の判断に経験則違反があることを最高裁が認めた例として紹介されています。別冊判例タイムズ22号58頁では、控訴審で証拠に基づかない事実認定があったらしいことが、よくよく読めばようやく分かる程度の書き方で示されてはいますが、やはり経験則違反の部分を中心に解説されています。判例時報1990号183頁の判例評論、民事法情報254号77頁、民商法雑誌173巻2号228頁では、控訴審の杜撰さについての言及はありますが、それでもやはり医療訴訟における経験則のとらえ方が話題の中心となっています。総じて見ると、司法の身内のかばい合いがある程度成功した事例と見えなくもありません。しかも、控訴審の杜撰さに言及している後者3誌の解説であっても、最高裁が控訴審の経験則違反を指摘して破棄したことは妥当とされており、最高裁の審理不尽については言及がないのです。控訴審判決が破棄差戻しに値することは明々白々なのは論を待たないとして、私の考えでは最高裁判決も、審理不尽のため控訴審判決と同様に「破棄差し戻し」に値するものだと思います。この点最高裁は、司法の専門性、司法の閉鎖性を利用して、うまく立ちまわったなと思う次第です。

ところで私がこの事件について調べ始めたのは、平成24年12月の衆議院選挙の2週間前でした。衆議院選挙と同時に行われる最高裁判所裁判官国民審査では、上記のような審理をした最高裁判事にこそ罷免を求めるべきと思ったのですが、この事件自体が既に5年前の事件であり、堀籠幸男裁判長、上田豊三裁判官、藤田宙靖裁判官、那須弘平裁判官は既に退官しており、残る田原睦夫裁判官は、前回衆議院選挙と同時に国民審査を受けており、今回の国民審査で審査を受ける裁判官はいませんでした。なお、最高裁での調査官は増森珠美調査官で、私が増森調査官の名前に接するのは、八戸縫合糸訴訟一宮身体拘束裁判についで3回目でした。

 最後の遺族側からの上告において最高裁に提出された手書きの書面には、「大橋弘裁判長のようなはやく判断できる立派な裁判官をそだててください。」と書かれていました。勝訴判決を書いてもらった側からすれば、大橋弘裁判長がさぞかし頼もしく思われたことでしょうが、私の考えでは控訴審の裁判所の所業は、検察に例えれば大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件に、医療に例えれば山本病院事件に準ずるほどの悪事で、他の業種であれば刑罰を科されてもおかしくない所業であり、およそその後の職業生命の存続などあり得ないものではないかと思います。ところが大橋弘裁判長は、その後首都大学東京の法科大学院で教授をされているようなのです。司法の「自分に甘く、他人に厳しい」には、想像を絶するものがあると感じます。

 私はこの「医療裁判・医療訴訟」コーナーをはじめるにあたって、「裁判官も医学を理解しろ」というような無理なことを要求せぬよう留意し、また裁判官の方々へのメッセージでも書いたように、裁判官への尊敬の念を忘れずに記事を増やしてきました。そのような中でこの事件だけは、最高裁の態度も含めてどうにも許しがたいものがあります。司法の閉鎖性、司法のかばい合いによってこの事件の控訴審および上告審の審理が大きく批判されなかったのであれば、我々医師がその体質を"診断・治療"することに多少は意味があるのではないかと思い、他の記事よりも筆致を厳しくして書きました。

平成25年2月4日記す。平成25年2月11日、仙台高裁判決期日を訂正(お詫びします)。

平成29年7月7日、大橋弘氏の肩書が変更になっていることを踏まえてリンクを変更。参考:首都大学東京の法科大学院

注: 最初の上告審平成18年(オ)第1343号は、平成19年1月16日に棄却決定されています。


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