大井競馬平場戦ではじめて生ファンファーレを鳴らした日

(1989年の夜間第一回開催初日)

そのころ私は大井競馬場にいろいろな改善案を投書し続けていて,その中に「夜間開催では生ファンファーレを」というのがありました。今でこそ生ファンファーレは当たり前のアトラクションですが,当時では,中央競馬のG1や岩手競馬のダービーグランプリくらいでしか聞けないものでした。平場戦のファンファーレを生でやるなんて考えられもしなかったのですが,トゥインクルレースならさまになると私は思ったのでした。

私の投書が功を奏したのかどうかは不明ですが,とにかく生ファンファーレがはじまるとの発表を耳にして,私はその年の夜間開催初日に大井競馬場に駆けつけました。生ファンファーレは3人編成のトランペット隊によって後半3レースで行われたのでした。

さあ初の平場戦ファンファーレです。夜間照明の下,トランペット隊がゴール板手前に現れました。ところが多くの観客は生ファンファーレのことを知らなかったらしく,「あれ,何だ?
ファンファーレでも吹くのか?」といった声がぱらぱらと聞こえてくるのでした。そしていざファンファーレ。ところがこれが何とも不思議なメロディーで(あのメロディーを覚えている方いますか?),しかも音がうまく揃わなくて,ファンファーレ隊は完全に浮きまくってしまったのでした。

私の「うーん,ハズしているなあ……」との思いが消えないままに,次のレースがやってきて同じ生ファンファーレが吹かれました。しかもまたしても一人が音をはずして。私が「またか……(失笑)」と思っていると,どこかのおじさんの大きな声が聞こえてきました。「おーい,拍手でもしてやらんとなぁ!」と。すると,前のレースとは違って,そのおじさんの周りでは拍手が起こったのでした。

最終レース。3回目の生ファンファーレ演奏です。ハズれた音調は相変わらずだったものの,前のレースでの一部の拍手に刺激されたのか,今度は大きな拍手がスタンド中に渦まきました。かくして「ちょっとハズした」生ファンファーレは,一日をまたずしてファンにすっかり受け入れられたのでした。ファンと大井競馬場の親和力を感じた,いい一日でした。

ところでハズしやすいメロディーにはわけがあったのでした。作曲家が曲を作るときに,シンセサイザーベースで作ってしまったために,肺活量を無視した演奏しにくいメロディーになった,と後に競馬組合さんから教えて頂きました。