初めての夜間開催での東京ダービー

(1988年6月7日)

1988年のトゥインクルレースの開催告知には,「夜のダービーが来る」というキャッチフレーズが使われました。1987年の開催では,僅かな日程差によって東京ダービーは昼間開催に回され,マイナー競馬場特有の盛り上がりがない重賞競走としてのそれを見ていた私は,待ちに待った夜間の東京ダービー開催を開門から駆けつけて観戦することにしました。

開門前に入場門に到着すると,平日の昼間だというのに入場券売り場はすでに長蛇の列が出来ていました。誰もがそわそわしているようです。開門時間になり入場券発売がスタートすると,入場券を手にした人は次々と入場し,多くの人は場内にある指定席券売り場へとダッシュしていきました。私もその一陣に加わり,何とか指定席を確保しました。

指定席が売り切れても入場者は後をたたず,場内は「大井でもこんなに入るのか」というほどに混んできました。尤も,混雑だけならその前年のトゥインクルレースでも見られたし,年末年始の開催も同様に混んだものでしたが,この日の場内は空気までもがいつもの開催日とは違うように感じられ,それが私には不思議に感じられました。それは前年の東京ダービーでは全く感じられなかったことで,人々の緊張から来る汗の臭いが,場内全体に漂っているようでした。

第8レースが終わり,第9レース東京ダービーがやってきました。パドックは黒山の人だかりでした。発売窓口の長蛇の列をみて,「これじゃあ定刻までには捌けなさそうだ,そういえば昔大井で中央競馬招待競走のときに,締め切りが30分以上延びたせいで発走する前にテレビの実況中継が終わったことがあったんだっけ……」なんてことを考えていると,案の定発売締め切りは延長され,定刻より10分近く遅れての締め切りの鐘が鳴り響きました。

やれやれ,と思いながら馬場を眺めていると,いつもの聞きなれた重賞ファンファーレのテープが場内に鳴りはじめました。「ついに来たか」と思うのもつかの間,今度は観客達の拍手が沸き起こったのでした。それは今でこそ当たり前となっている光景ですが,それ以前の大井競馬を知っている人には新鮮な驚きをもたらす,おそらく大井競馬史上初めてファンファーレと同時に起きた拍手でした。そして私はその瞬間になってようやく,その日の大井競馬場に漂っていた空気が,中央競馬のG1のそれと同じであったことに気づいたのでした。大井競馬の重賞競走が中央のそれのように歓声をもって受け入れられるとは,それ以前には思いもよらないことでした。

大井競馬はこの日からメジャー競馬場の仲間入りをしたのだと思いました。