ウルトラクイズ

1998年8月30日,あの音楽,あの司会者,あのフレーズを引っさげて,ついにウルトラクイズが戻ってきた。

史上最多の5万人を超える参加者を飲み込んで,超満員の東京ドーム。プログラムのスタートを告げるあの懐かしい音楽が鳴り響くと,かつての青年たちの感慨を含んだ小さなざわめきが起こった。そして福留アナウンサーの登場。万雷の拍手と「トメ」コール。福留アナの頭は白んできたが,「ニューヨークへ行きたいかー!」の叫びと共に,かつてのよき時代が目の前に戻ってきた。

というわけで,8年ぶりの福留ウルトラクイズ。行ってきました東京ドーム。

ウルトラクイズといえば,第一問だ。今でも決して忘れることのできない,1989年初参加の第一問。

「ニューヨークの自由の女神は,かつて灯台だった」

その年の第一問は読売新聞の広告として発表され,参加者はドーム入場時に「○」・「×」を決し,「○」と思えば3塁側へ,「×」と思えば1塁側へと入場するのであった。私はほとんど躊躇せずに「×」を確信し,1塁側への入場を選んだ。3塁側の受付は閑散としているのに反して,1塁側への受付は大盛況。その様は1塁側への入場者に「正解」の期待を抱かせるに十分なものだった。ところが…

入場して愕然とした。確かに「○」側に集結した人数は「×」側よりも少なかった。ところが,あらゆる大学のクイズ研究会の「のぼり」は判で押したかのように全てが「○」側に立っていたのだった。1塁側だけでは収まりきらずに,3塁側外野席まで侵食していた「×」の人々の波に漂う不安。追い討ちをかけるかのような,紹介された歴代クイズ王たちの「○」側に向かって走る姿。3塁側から鳴り響く「マル」コール,1塁側から鳴り響く「バツ」コール。しかるにお約束かのように答えは「○」であった。

毎年繰り返される「自由の女神」の第一問。しかしそれは巧妙に仕組まれた選別問題だったのだ。意外なる答えをもって半数以上を振るい落とすように意図的に仕組まれた問題なのだ。これに気づくことこそが,クイズ研究会に属さない我々が「実力」でウルトラクイズ予選突破を目指すための第一歩なのだと,溜め息の漂う1塁側の外野席で私は知った。

今年は何と「自由の女神」問題が第四問まで連続し,かつてのウルトラクイズファンを驚かせた。私はかつての初参加の教訓を十分に生かし,第四問までを「実力」で突破した。